材大なれば用を為し難し

返信投稿フォーム
ニックネーム:
30文字以内
URL:
* コメント: [絵文字入力]

1000文字以内
文字色:
* 印の付いた項目は必須です。

たとえ茶碗作る技能は (コメント数:1)

1 Ryou 2014-06-26 19:39:12 [URL]

たとえ茶碗作る技能は陶工に譲るとしても、ちょっと物認めるその字がかつての名茶人の物したごとく無理をせぬ、品の良い雅致と風懐を具えた見識あるものであるかどうか。少なくとも俗書の域を脱しているかどうか。卑見ながら私の目に映じただけのものを想起しても、元禄頃以降を見て感心出来るお茶人の書というものを見たことがない。相当有名で伝わるお茶人の書というものその手紙に見るも、器物の箱書に見るも、竹花入れ茶杓に書かれた字に見るも、俗書の多いのには驚くばかりである。日本茶道の伝統を誇る茶人にして、だんだんと降っていくこの有様は、遺憾というより他にない。これはどうしたことかと、私は幾度も考えてみたが分らない。俗書はなにから生まれるか、なにが俗書を生むかである。殊に家元の人々といえば、茶の宗家として由来崇め続けられている人々である。それがどうしたことか、かつての名茶人が必ず持ったところの茶人にかぎる持ち味というものは、後代の茶人には合点がいっていないようである。
Ads by Google
(c)Copyright mottoki.com 2007- All rights reserved.