岩倉市の「自治基本条例」を廃止せよ!!
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■ 市民参画の論理的な破綻 市民参画の意義について、幅広く市民の意見を集め、行政施策に反映させるためというのは、少なくとも表向きとしては、賛成派、反対派問わず異論のないところでしょう。言いかえれば、あらかじめ偏った人を委員として集めるのは、ダメということです。 しかし、先ほど述べているように市民とは一括りではなく、思想信条によって様々なグループに分かれていますので、よほど恣意的に人選を行わなければ、その委員会が一致した見解、結論を得るのは至難の業なはずです。 例えば、自民党の支持者と社民党の支持者の間で今後の青森市の総合計画を作成する議論をしたらどうでしょう? おそらく、何一つまとまらずに、ただただ時間ばかり、コストばかりがかかって、最終的にも何も決められず終わるでしょう。 逆に、この人たちがお互い納得できるようなことは、そもそも最初から議論の必要すらない当たり前であり、結局のところ、市民参画というシステムは、この程度の議論の余地のない当たり前の話しか解決できないことになります。 偏った人選にならないよう公正を期して、裁判員を選ぶように無作為抽出で委員を選べば、時間とコストを膨大にかけても何ら結論は得られないが、偏った人選をするのでは、市民参画の意味を失うということです。 このことから市民参画は、そもそも破綻した論理だといえるのです。少数派がズルをして主導権を握ろうとするから、こんなおかしなしくみが必要になるのであって、真っ当な政治には、全く必要のないしくみといえます。 2011/12/25
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