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【歴史の断面】 (コメント数:15) | ||
1 あるサイトから、、 2014-05-25 00:05:37 [編集/削除]
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2 転載。 1 2014-05-25 01:17:37 [編集/削除]
--------- 前野徹著『日本の敵は日本人』 <マッカーサー「3つの戦略」> 1.天皇制の存続 ・ 戦後の民の反乱は抑えられた。 2.マスコミの飼いならし ・ 言論を統制し日本人を洗脳するためには、マスコミをうまく使うのがもっとも効果的だと判断したのだ。 3.官僚機構の温存 ・ 日本の統治機構の基盤である官僚制度を温存してコントロールすれば、日本全体をコントロールできる。 (1)アメリカの永続支配のため (2)共産主義革命の阻止 ロシア革命後、レーニンは共産主義を流布するために、「コミュンテルン」を組織、全世界に支部を置いた。その日本支部として誕生したのが日本共産党だった。左翼分子に与えられた役割は、後方撹乱によって民族国家、主権国家を敗北に導くという戦略の遂行で、具体的には天皇制打倒、日本の転覆だった。 日本はソ連の標的になっており、大正時代、知識人、エリートの間に左翼思想が広まった。昭和に入ってさらに左翼思想は日本の大きな脅威となった。それを阻止するために、日本政府は共産主義者を取り締まった。 しかし、戦後、左翼勢力は息を吹き返す。この背景には、社会主義的思想をも日本人のマインド・コントロールに利用しょうとした、GHQのしたたかな計算があったのだが、それでも、共産主義国家になることだけは阻止しなければならない。 そこで官僚だ。政治家は選挙によって変わるが、官僚は永続的に存在する。官僚に大きな権限を与え、彼等を管理しておけば体制が転覆されることもない。言ってみれば、体制維持の安全弁として官僚を活用したわけである。この役割を官僚は果たし、戦後の混乱に乗じて共産主義国家への転覆を図るソ連の野望を阻止した。 | ||
3 転載。 2 2014-05-25 01:24:09 [編集/削除]
<「左翼勢力の活用」はアメリカの日本分割統治の国内版である> 日本に対して無知で社会主義を信奉するニューディーラーをおどらせて、左翼勢力を “獅子身中の虫” として育てる。同時に、左翼勢力が占拠したマスコミを飼い慣らし、“日本人の洗脳、精神破壊”に利用するという “一石ニ鳥の戦略” だ。 左翼勢力にしても、反戦、反軍備を訴える。一見すれば、いかにも人道主義、平和主義に基づいているかのようだが、彼等の狙いはそこにはない。共産陣営の手先である左翼勢力の最大の目的は、“世界における共産主義の勝利” である。 彼等の崇めるソ連が革命を起し勝利するためには、非軍備である方が、都合がよい。日本人が反戦、反軍備なら容易にソ連も攻め込める。反国家的な人間で日本がみたされれば、革命を起しやすい。 旧社会党がかたくなに護憲を訴え、共産党が現行憲法遵守を絶対としているのも、一皮むけば、共産主義、社会主義に日本を染めかえるための戦略にすぎない。 目的は違えど、左翼勢力とアメリカの利害はある意味一致していた。 アメリカの最大の狙いは、二度と白人に刃向えないよう、日本を解体・改造することである。左翼の反戦、反軍備、反日は、アメリカにとっても都合が良かった。 但し、共産主義革命が起こり、自由主義体制の転覆につながっては本末転倒だ。そうならないよう、確実な保険として “官僚組織” を担保に取り、“一定の成果が見られるとニューディーラーの政策を制限した” というのが真相のように思う。 (前野徹著『日本の敵は日本人』) ⇒ その官僚が今妖しい。 又、ニューディーラーが採用した政策も見直す必要がある。その一つが教育公務員の組合の禁止である。 ---------- 転載終わり。 (ニューディーラー: 1929年のアメリカ合衆国史上最大のウォール街株価大暴落の流れに続く世界恐慌の中、フランクリン・ルーズベルト政権下で 統制経済(政府が市場経済に積極的組織的に関与)を軸とする社会主義的な経済政策である ニューディールで切り抜けようとしたブレーンらをいう。 世界初のケインズ理論の採用といわれる。) | ||
4 あるサイトから、、 2014-05-25 01:26:32 [編集/削除]
------------ 4月28日はサンフランシスコ講和条約発効記念日、又の名を主権回復記念日とも言います。 1951年(昭和26年)9月8日に調印され、翌昭和27年4月28日に発効されました。 国際法上はこの条約の発効により日本と、多くの連合国との間の「戦争状態」が終結したとされています。 このサンフランシスコ講和条約には、 〓日本は政治および経済条項で特別の義務あるいは責任が課せられなかった。 〓賠償についても日本の弁済能力が不十分なことを認めて、役務賠償や連合諸国による在外資産の管理や処分を明記したものの、連合諸国は条約に特に定めがない限り賠償請求権を放棄すると規定されていた等、敗戦国に対するにしては、日本に有利な点が幾つか指摘されます。 勿論、アメリカは別に日本のためにこのような講和条約を設けてくれた訳ではなく、当時緊張状態にあったソ連との冷戦状態を見込んでの条約でした。 さて、このサンフランシスコ講和条約ですが、実はこれ、肝心な国が調印していません。 中華人民共和国です。中華民国の要であった国民党が台湾に逃げた事を受け、当時中華人民共和国=中国共産党は、国家として認められてはいなかったからです。 当時の総理吉田茂総理はこの条約を締結するにあたり、『中国共産党政府を承認しないと誓約する吉田書簡』を発行しました。 1952年01月16日、政府はその内容を公表しましたが、それには 『日本政府は台湾の国民政府との国交を回復し外交関係を維持すること、台湾に日本政府が在外事務所を設置したこと、中国の共産政権と条約を締結する意思は全くないこと』 がはっきりと書かれていました。 となると、田中角栄の1972年7月7日中国訪問、そして9月29日の共同声明は、その書簡に反するとんだスタンドプレイだったと言う事ですね。 そのスタンドプレイが現在どのような影響を及ぼしているのか・・・。 田中一族には深く深く反省して欲しいものです。 ------------ | ||
5 あるサイトから、、 2014-05-25 01:29:46 [編集/削除]
------------ インドのネルーと周恩来が 平和5原則を宣言して、インドに安心させておいて、ちゃっかり 4年後にアッサムに侵攻するあたり、仁義もヘッタクレもないワン・パータンですね。 キューバ危機に世界の目が釘付けになっていることも翌月に再度侵攻して追い返されてます。 シナの悪辣さを熟知しているインドは日本が集団的自衛権行使を決めてくれたら軍事同盟してくれると思います。 ------------ | ||
6 正統史観年表 (大東亜戦争、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦に至る経緯年表) 1 2014-05-25 01:36:05 [編集/削除] | ||
7 正統史観年表 (大東亜戦争、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦に至る経緯年表) 2 2014-05-26 22:11:24 [編集/削除]
------------------ 『かけがえのない夢の国、日本』 ・ 水道の水が、そのまま飲める国 ・ いつでもどこでも無料でトイレが使用できる国 ・ 買い物の際につり銭をごまかされない国 ・ お店に入って買わずに出て来れる国 ・ 物価が安定している国 ・ 美しい四季がある国 ・ 誰でも銀行に口座を開ける国 ・ だまされた人よりだました人が非難される国 ・ 安全快適な交通機関が定刻どおり運行されている国 ・ 世界中の書物が翻訳されて書店に並び購読されている国 ・ 所得に差がある家庭の子供達が平等に教育を受けられる国 ・ 誰でも安くて早くて安全な質の高い医療が受けられる国 ・ 一系の天皇が 二千年以上治めている国 ・ 外の自販機が盗まれたり壊されたりされることが少ない国 ・ ちょっとした失敗でも潔く謝罪する国 ・ 虫の鳴き声や波風・・・ などの物音を左脳で聞いている国 ・ BBC世界好影響ランキング 2年連続世界一の国 ・ 手頃な値段で誰でも、あらゆる娯楽が楽しめる国 ・ 自然がきれいな国 ・ 世界一、旅行者のマナーが良い国 ------------------ http://seitousikan.blog130.fc2.com/ | ||
8 極東国際軍事裁判(東京裁判) 2015-09-12 00:55:28 [編集/削除]
極東国際軍事裁判 前編 https://www.youtube.com/watch?v=F-jnUehOMsk 後編 https://www.youtube.com/watch?v=kVSVBZSD-Go 渡部昇一「 東京裁判とマッカーサー証言」「安倍総理はリビジョニストか」 https://www.youtube.com/watch?v=jlEsw6fZD0U 【特別無料公開:大道無門】ケント・ギルバート、GHQと占領憲法とWGIP[桜H27/7/3] https://www.youtube.com/watch?v=0jLYMoDFIFY 【神発言】石原慎太郎「東京裁判を2回傍聴したことがあります」 https://www.youtube.com/watch?v=ebW417ir6dA 【青山繁春】 東京裁判の裏でなにがあったのか!真実を語る! https://www.youtube.com/watch?v=g0oz4a8SW_c 東京裁判 (極東国際軍事裁判) は正しかったのか? 故・三宅久之先生 https://www.youtube.com/watch?v=EX_GktTaXjU | ||
9 大東亜戦争(太平洋戦争) 2015-09-12 00:57:29 [編集/削除]
青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』 【前編】 https://www.youtube.com/watch?v=cH9O-nAvjmA 【後編】 https://www.youtube.com/watch?v=L8_7lh0urgM 世界は日本をどう見ているか(ナレーションつき) https://www.youtube.com/watch?v=BBVhqkQ6_4I | ||
10 『朝鮮騒擾善後策-鮮民の求むる所は斯くの如し』 閔元植(びんげんしょく) 2015-09-27 23:46:57 [編集/削除]
――――――― 閔妃皇后の血統を引く閔元植は、12歳から日本で学び 21歳のとき朝鮮に帰ると統監府の官吏となり、33歳で高陽の郡守をしていたとき 3.1事件に遭遇した。 ――――――― -------------- このたび 3.1独立運動の近因は、米国大統領ウィルソンの提唱した民族自決主義を、欧州戦線と何ら関係のない朝鮮にも適用されるものとする誤解から起こった。もしくは誤解を装うて、ひょっとしたらうまくゆくかもしれないと狙った在外朝鮮人の扇動に由来した。もっと言えば初めから実現できないと知りつつ妄動を企てた感がある。常識的に見れば、狂気の沙汰と言えよう。しかし朝鮮人が、日本の統治政策に深い不満を抱いていることは確かである。この対策を考えねばならない。 日本政府は併合以来、10年近く、朝鮮人の生命財産を保護し、国利民福を向上させる点に於いて用意周到であった。運輸交通、金融機関の整備、農工各種の産業の発達等、旧朝鮮時代の悪政から朝鮮人を解放し、夢想もしなかった恵沢をもたらした。 にも拘らず朝鮮人の性情が偏狭、我執に傾いているためか、口では感謝しながら、心では淋しさを感じ朝鮮人の自尊心を傷つけるなどと思う者が多い。更に朝鮮人は米国を自由郷、現世の楽園のように思っている者が多い。しかし、そこは白人の天国であって、有色人種の人権はほとんど認められない。 パリ平和会議で、日本が人種差別撤廃を提唱したが、オーストラリアのヒュース首相が強硬に反対し、それを真っ先に支持したのは米国のウィルソン大統領でなかったか。米国の庇護に頼って光栄ある独立が達成できるなど不可能の事である。 日本統治下の朝鮮人は米国に比べて遥かに幸福であることを認識し、穏当な方法によって民権を拡大してゆくことを講ずべきである -------------- ――――――― 米国大統領ウィルソンの提唱した民族自決主義とは、第一次大戦時のドイツとその同盟国の支配下にあった東欧地域の諸民族独立を支援する地域限定のもので、日本とは無関係なものであった。 ――――――― | ||
11 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 1 2015-09-27 23:52:12 [編集/削除]
「植民地朝鮮」の研究 杉本幹夫著 展転社より改編 3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判および他国の争乱との比較 3.1事件の被害と、韓国側の数字への疑問 …………朴殷植…朝鮮総督府…憲兵・警察官 参加者…203万名…106万名 死 者…7509名……553名…………8名 負傷者…15961名…1409名………158名 韓国教科書において、犠牲者は朴殷植「朝鮮独立運動の血史」の数に拠っているようである。しかし、朴殷植は亡命中であり、あちこちでの聞き取りを集計したモノであり、且つ、本書は反日を煽るための本である。面(村)毎、月別に集計された総督府の数字より信頼性が高いとは言えない。 実際、彼は、「今回の独立運動は、・・・確実な実態調査を得る事は難しい。況や海外にあって、ただ新聞報道や個人の伝聞的報告によるモノだけであってみれば、その事実の困難さは推してしるべきであろう」と、断っている。海外にいて、新聞報道や個人の伝聞的報告だけで書かれた数字を疑いもなく教科書に掲げるのは公平さを欠く 官公署の被害(4月25日現在、朝鮮総督府の調査) 面事務所(村役場)全壊19。内、放火によるモノ5、 村役場の一部崩壊(窓ガラス破壊、器物、書類の焼却等)28 警察署、駐在所、憲兵分隊等の全壊16、一部破壊29 郵便局の全壊2、一部破壊9 | ||
12 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 2 2015-09-27 23:56:41 [編集/削除]
■ 公正だった3.1事件の裁判 5月8日までに10,268名が送検され、内3789名が不起訴。1151名が取調中。同日時点で起訴されたのは、約半分の 6417名に過ぎなかった。 5月20日時点での第一審での有罪判決は 3967名、無罪58名、免訴1名。有罪でも死刑はゼロ、 15年以上もゼロ 10~14年が 6名、 7~9年が 1名、 5~6年が 23名、 3~4年 50名、 3年以上の禁固刑は 80名 と 僅か 2%であった。 尚、裁判では、内乱罪の適用が高等法院で却下され、保安法および出版法違反という微罪となったため、主犯とされた崔麟ら 8人は僅かに 3年 崔南善ら 6人が 2年6ヶ月 有罪となったのは 37人に過ぎない。 証拠主義に徹して、多くの被疑者が無罪放免となり、死刑、無期も一人もなく軽い罰の判決しか出なかった。放火・殺人・建物破損をした罪の 3.1事件の被告達には、控訴や上告も自由にさせた。 このように、朝鮮時代とは違って、酷刑を嫌う穏やかな日本民族の加罰はきわめて軽かった。3.1事件をもって、朝鮮総督府が、他民族を弾圧したと言うのは偽造である。 また、日本人の憲兵6名と警察官2名を殺害し、放火等による官公署建築物破壊をした朝鮮人の被疑者に対して、朝鮮固有の拷問は皆無だった。 | ||
13 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 3 2015-09-28 00:03:00 [編集/削除]
3.1事件被告の控訴、上告件数等 5月31日現在 …………………受理件数(人数) 控訴 覆審院……830(3970) 上告 高等法院……214( 588) 4月3日、水原郡雨汀面(村)の花樹里警察官駐在所(日本人巡査 1人、朝鮮人巡査補 3人が勤務)の川端豊太郎巡査を石と混紡で殺した後、耳鼻などを切断した惨殺事件があったのに、裁判は報復的な事を一切しなかった。そして、起訴された 52名につき予審を担当した京城地方法務院は半数にもなる 25名を証拠不十分で免訴かつ放免した。高等法務院に刑法第77条該当として送致したのは 27名のみだった。 | ||
14 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 4 2015-09-28 00:05:49 [編集/削除]
■ 公正だった司法の独立 ”司法の独立”は、朝鮮には存在しなかった。戦後においても朝鮮半島では、司法の独立は完全ではない。司法への介入は、金大中大統領の時も例外ではない。朝鮮において、司法の独立は、韓国併合時代の 35年間だけである。 <憲兵警察政治> と称する事が如何に不適切であるかは、憲兵警察のなした逮捕者の半分を不起訴にした数字からも解る。拷問のない世界最高の公正裁判を受けたと言える。そして、インドやアルジェリアでの反乱に対する英国やフランスの事後処理の峻烈さと比較すれば、一層明確になる。 | ||
15 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 5 2015-09-28 00:07:31 [編集/削除]
■ 他国の民族独立運動についての裁判では ベトナムの民族独立運動の場合 1913年 ハノイや北部・中部の都市で手投げ爆弾を爆発する事件が続き、この事件で 14人が死刑 1930年 北部トンキン、イェンバイ近くのフランス軍兵舎の近くに、革命軍が集結。フランス人将校 6人を殺害し武器弾薬を運び出した。この事件で、40人が死刑、50人が終身刑で流刑、34人が終身刑で重労働に処された。 1933年には、120人が裁判となり、8人が無期懲役、79人が 5年から 20年の刑。 このように、3.1事件の最高刑が懲役3年とは比較にならない重刑である。 ------------------ |
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