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ねずさんの ひとりごと (コメント数:18) | ||
1 中山成彬先生が狙われている 1 2013-03-20 22:08:20 [編集/削除] | ||
2 中山成彬先生が狙われている 2 2013-03-20 22:09:37 [編集/削除]
中山先生が文部大臣だったときのことです。元鎌倉市議の伊藤玲子先生は、代々の文部大臣に「日教組教育をなんとかして阻止しないと日本が壊れてしまう。なんとか対策してほしい」と訴え続けていたのですが、当時は自民党政権の時代であったけれど、代々の文部大臣は、まったく動かない。「地元で日教組からも票をもらっているから、なかなかそういうわけにはいかないんだよねえ」、そうはっきりおっしゃられた文部大臣もいたそうです。 その伊藤玲子先生が、中山成彬先生が文部大臣になられたときに、それまでと同じように文部大臣を訪れ、日教組をなんとかしてほしいと訴えました。今度の大臣もだめだろう。。。そう思いながら、帰宅した伊藤玲子先生に、その翌々日、中山成彬大臣から電話がはいりました。「おっしゃるご趣旨について、私なりに調べてみましたが、これはたいへんなことです。もっと詳しくお話を伺いたいのですが」 伊藤玲子先生が、日教組問題に取組み、文部大臣に陳情をはじめてから、それがちょうど10年目の出来事だったそうです。そしてそこからがものすごい展開になりました。 中山先生は、現場主義の方です。なにかあると、すぐにその現場に飛んでいく。この日教組問題のときもそうでした。なんと現職の文部大臣が、400校をご自身の足でまわられ、事情の聴取をされたのです。そしてその結果、政府が総力をあげて、戦後初の教育基本法の改正に着手することになりました。このとき、中山成彬先生の下で一緒に働いてくれたのが、いま文部科学大臣となっている下村博文先生です。 ひとくちに教育基本法の改正といいますが、刑法、民法の改正と同様、特に我が国の基幹をなす労働法や教育法などの改正というのは、議論続出、喧々諤々(けんけんがくがく・さまざまな人が、口々にいろいろな意見を述べて、騒がしいさま。) となって、改正案はいくらでもでるけれど、これを実際に改正するというのは、実に困難でむつかしいことです。刑法など、戦後ずっと改正議論が続いていて、六法全書には改正草案まで載っているくらいだけれど、いまだに改正されません。それくらいむつかしいことなのです。それを、中山成彬先生は、文部大臣就任中にやってしまったのです。 その実現にあたり、中山成彬先生が、もともと文部省の予算を決めていた大蔵省のご出身であられたこと、現場100回どころか、400回も現場を訪れたという実績が、誰よりも説得力を持っていたことなども、もちろん大きな要素であったろうと思います。 けれどそれ以上に大切なことは、中山成彬先生の、相手を包み込むようなおだやかな姿勢や、ことをすすめるときの真面目さ、真摯さ、謙虚さ、相手としっかりと信頼関係を築き上げながら物事を前にすすめるという、きわめて日本的なお人柄です。 民主党政権時代、「脱官僚」とかという言葉がさかんにもてはやされましたが、日本の官僚はとても優秀です。そして巨大な組織です。そして中にはそうでない人もいるようですが、その多くは日本人です。「士は己を知る者のために死す」といいますが、官僚たちがもつ優秀さや組織力、日本人としてのやさしさや真面目さがいかんなく発揮されるのは、まさに中山先生のような「ちゃんとわかってくれる」リーダーとしての大臣がトップになったときなのです。 中山成彬先生は、そうしたものに対して、日本の国益と日本人の生活を守るために、国土交通大臣として、まっこうから戦いを挑もうとされたわけです。 | ||
3 中山成彬先生が狙われている 3 2013-03-20 22:12:30 [編集/削除]
この文部大臣時代、朝◯新聞社がプロジェクトチームを組んで、中山成彬先生の少年時代からの行状をくまなく調査し、子供時代の同級生にまで取材して、なんとかして中山先生のあら探しをしようと駆け回ったことがあります。プロジェクトチームは数名で組織され、そのキャップはかなり硬派な左前の思想を持つ女性でした。 子供時代、人をいじめていたかとか、とにかく徹底してあら探しをしたのだそうです。そのあら探しをしていた朝◯の女性キャップは、最後に中山成彬先生のところにやってきたそうです。そして言ったのが、「あなたのことを徹底して調べさせてもらいました。どこかにアラがないかと、様々な取材もさせていただきました。けれど先生ほど立派な方はいないとわかりました」 子供の頃、いじめっ子や、イヤミな優等生ではなかったのか、などと調べたのだけれど、実際に取材したら、いじめっ子にいじめられている子供がいると、体を張ってその子を助けたり、出てくるのが感動の物語ばかりだった。「こんな人がいまの世の中にいるのかと、逆に頭が下がる思いでした」です。 中山成彬先生は、こうして文部大臣として成果をあげられたあと、次に国土交通大臣に就任されたのですが、このとき就任時の記者の質問に答えて先生が話された3つのことが、後に問題発言とされて、大臣職のみならず、議員辞職にまで追い込まれることになりました。 実はこのとき、問題とされた発言は、次の3つですが、このときの中山先生の発言というのは、国土交通に関する諸問題の解決がメインのものでした。そのメインの発言のあと、記者の質問に答えて、要するに国土交通問題の話が97%とすれば、のこりの3%部分で行った3つの事柄だけが切り取られ問題視されたものでした。その3つとは、 1 成田空港の拡張が進まなかった原因は「(地元住民の)ごね得」狙いであった。 2 日教組の子供は成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い。 3 日本は『単一民族』と言うか、内向きになりがち。 この3つです。けれど、この3つは、3つともが正論そのものです。 第一の成田空港については、これは1970年代の成田闘争の件です。もとをたどせば、一部の空港予定地の地主さんが立退きをゴネたことからはじまったこの事件、左翼セクトが介入して、空港建設をめぐって機動隊と大衝突事件となりました。この結果、本来1980年代には東洋一のハブ空港(あちこちに伸びる航空路線の中心空港)となるはずだったNARITAは、いまだに滑走路が未完成です。しかも滑走路、狭いし、短かいし、空港までのアクセスも悪いし、免税店街もないし、空港税も高い。世界全体からみたら、成田は東洋の片隅にある、やたら空港税が高くて不便で寂しい辺鄙な地方空港でしかありません。 ところが日本が空港建設でゴタついている間に、シンガポールや韓国などが、巨大空港を建設し、東亜のバブ空港機能は、完全に日本から離れてしまいました。この結果何が起こったかというと、たとえば世界に展開している外資系会社の、研修とかアジア会議とかは、まず日本で開催されない。空港が不便で高いからです。ですからアジアパシフィック部門の会議とかは、たいていシンガポールで開催される。ちなみに韓国もハブ空港を目指して金浦空港を作ったけれど、ここは設備はよいのだけれど、市民感情とかわけのわからない「政治」が顔を出すので、やはり会議はシンガポールになります。要するに、成田空港の工事の未消化は、成田がハブ空港としての機会と機能を失なったというだけでなく、日本が、国際的な情報交流の場としてのハブ機能を失ったことをあらわしています。 文部大臣として確実な実績を残された中山成彬先生が、次に国土交通大臣となったとき、誰が得をし、誰が損をするのか。成田空港建設の反対運動は、日本の成田の工事の遅れと未消化によって、得をした国、得をした人々、世界の免税店を牛耳っているのが何ものなのかを考えあわせると、あれだけの反対闘争(ああいう宿泊を伴う大規模闘争には巨額の資金がかかります)のスポンサーがどういう連中なのかがあきらかになります。 中山成彬先生は、そうしたものに対して、日本の国益と日本人の生活を守るために、国土交通大臣として、まっこうから戦いを挑もうとされたわけです。 | ||
4 中山成彬先生が狙われている 4 2013-03-20 22:15:42 [編集/削除]
第二の日教組問題は、これはもう明らかなことです。けれど国土交通大臣が、文科省所轄の事柄について発言したのは問題だと、当時、まさに詭弁で問題発言視されました。けれど、この発言は、記者の質問にこたえて、先生個人の政治信条として発言したものであり、責任を問うならば、本来質問した記者側にその責任がある。要するに、「嵌(は)めた」わけです。 第三の単一民族発言も、アイヌは別な民族だという説もあるといって問題視されました。これもおかしな話です。まさに重箱の隅をつついているだけのことで、発言の意図は「日本人は内向き思考に陥りがち」ということを言ったにすぎません。要するに、これも悪意ある新聞社が「嵌めた」質問とそれに答えての発言だったわけです。 | ||
5 中山成彬先生が狙われている 5 2013-03-20 22:16:56 [編集/削除]
これら発言に関する引責問題があったのが平成20(2008)年9月のことですが、古い話をしているので、もうひとつ述べると、大規模小売店舗法(略称:大店法)のことがあります。この法律は昭和48(1973)年に制定され、平成12(2000)年に廃止された法律なのですが、実は中山先生は、この廃止に、当時猛反対をされています。どういうことかというと、いま、全国にある小規模商店街は、どこもみんなシャッターが降りたシャッター通りとなっています。みんな廃業したり休業したりしている。かつて、夕方になると買い物袋を下げた主婦で賑わった商店街が、いまや閑古鳥がなく通りとなっています。これが大店法廃止の影響です。 かつては、全国どこの市町村でも、こうした商店街(これを小規模商業集積地といいます)がたくさんありました。そこがどういうところだったかというと、いまの秋葉原にあるアメ横通りを想像してもらったらわかります。八百屋さんや魚屋さんの元気なかけ声があり、惣菜屋さんや、洋服屋さん、電機屋さん、和菓子屋さん、洋菓子屋さん、パン屋さんなどが軒を連ね、夕方にはものすごい人出で賑わっていたのです。それが全国的にほぼ壊滅してしまった。 どういうことかというと、例えば人口30万のある市があったとして、その市の世帯数が10万世帯だったとします。人間の胃袋の大きさなんて、そうそう変わりませんから、たとえばその市における世帯あたりの食費と衣料品費等の家計支出の平均が7万円だったとすると、世帯数×7万円で、その市が持つ日常の小売り市場の規模は70億円となるわけです。そしてかつては、その70億円の市場を、近隣型の小規模商店街が担っていた。つまり、70億円が近所の小規模なそれぞれの市内の商店街に落ちていたわけです。 ところがそこに大規模な商業施設ができる。地上7階、地下2階建て、駐車場完備の立派なストアです。その1店舗の売上が年商15億円で、そうした立派な大型店が3つできたとします。すると、3店舗で、売上は45億円です。 そもそもその市が持っている小売り市場規模は、70億円しかないのです。小売店鋪は、その70億円の奪い合いなのですが、そこに大型店が出来て、70億円のうちの45億円を持っていってしまう。すると、残りの市場は70-45=25億円になってしまいます。つまり、近隣型の小規模な商店街は、売上がいっきに7割近くもダウンしてしまうわけです。そうすると商売にならないから、かつて賑やかだった近所の商店街は、次々とシャッターが降りるようになる。市場の様相が変わるのです。 しかも、このことは市や県の財政にも大きな影響を及ぼします。というのは、商店街が小規模店舗であれば、それら小さなお店の店主は、みんなその市の市民ですから、当然、そこから生まれる、つまり70億円の売上から生まれる税収も、市の税収となります。そして市は、その税収から、市の道路を作ったり、商店街をアーケードにしたり、市民の生活に役立てるわけです。 ところが大型店というのは、本社は、東京都か大阪です。その市にあるお店は、単なる支店でしかありません。つまり、税金は、東京都か大阪にある本社で納めます。つまり、当該大規模店のある市町村には税収があがらない。 こうなると、市の財政も傾きます。国からの補助金がなければ、市の行政もやってけなくなる。国頼みの借金財政に陥るわけです。結果、道路や公共施設の工事などもなかなかはかどらない。 こうして地方都市の活力が失われ、活力の失われた地方都市にいても居心地が良くないし、就業機会も大店のパートくらいと少ないから、市から人口の流出がはじまる。かくして地方都市の活力はますます失われ、かつては近隣の商店街と一体化していた市のイベントやお祭りも活力がなくなっていく・・・と悪循環がはじまるわけです。 この大規模店舗法による規制の廃止は、日米構造協議によって日本市場の開放を求めた米国の圧力も大きな原因でした。しかしそのことによって、日本国内にあった160万店の近隣型小売り商店が壊滅的打撃を被ったというのが、実際のところです。 | ||
6 中山成彬先生が狙われている 6 2013-03-20 22:18:50 [編集/削除]
国政というのは、こうして国の形を変えてしまうほどの大きな影響力を持ちます。それだけに、国を守るという明確な意思をもった政治家が、国政には望まれるのです。中山成彬先生は、それができる数少ない政治家のひとりです。そしてその中山先生が、今般、 地方経済の活性化、 防災マンションの建設、 支那に出て行った企業の日本への帰還促進、 企業交際費課税の撤廃による地方飲食店街の活性化、 補正予算という例外措置の本予算化、 宮崎口蹄疫被害への補償の拡充、 海外での歴史認識問題による日本人児童のイジメ問題の解消、 従軍慰安婦問題の嘘の立証、 文科省による検定教科書の閲覧解放化 等々の問題について、質問したのが、今回の予算委員会での発言の数々でした。 その中山先生の命を狙う。あるいは誹謗中傷によって政治生命を奪おうとする。 日本の庶民のために、あるいは日本の国益のために、堂々と正論を述べ、それを実行する国会議員の命を奪おうとする人たちというのは、いったいどういう人たちなのでしょうか。 ひとつだけはっきりといえるのは、そういう連中は、中山先生の政治主張と真逆、つまり、日本の庶民生活の向上を損ね、日本の国益を損ねる者たちである、ということです。 そうした諸々の勢力から、国は、絶対に中山先生を守っていただきたいし、我々民間人も、中山先生を絶対に守り抜かなければならない。私は、そう思います。 中山成彬が朝日新聞と朝鮮人の従軍慰安婦捏造工作を国会で暴く http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=VcCzrywoqUk 2013/03/09 ------------------- 20013年3月8日 衆議院予算委員会 【質問者】 中山成彬 (日本維新の会) 【回答者】 安倍晋三 (内閣総理大臣・自民党) 朝日新聞と韓国勢力の従軍慰安婦捏造問題を、中山議員が暴きます。 徹底検証!「従軍慰安婦」問題は朝日新聞の捏造から始まった 女性自身 8月29日(水)7時15分配信 '82年9月2日付けの朝日新聞では、昭和18年夏、わずか1週間で朝鮮・済州島の若い女性200人を狩り出したという吉田清治氏の懺悔が大々的に取り上げられていた。 吉田氏は女工から海女まで手当たり次第に拉致し、慰安婦に仕立てあげたというのだ。「当時、われわれは『狩り出し』という言葉を使っていた...泣き叫ぶというような生やさしいものではない。 船に積み込まれる時には、全員が虚ろな目をして廃人のようになっていた...」 これ以後、吉田氏は朝日新聞紙面に何度も登場し、従軍慰安婦の悲惨さを語り尽くした。 だが、現代史家の秦郁彦氏はこう語る。 「吉田証言は完全な作り話なんです。証言が本になってすぐ現地の『済州新報』が取材しているが、一つも事実が見つからなかった。 私も'92年に現地調査しましたが、証言を裏付ける話は何一つ出てこない。 ある韓国の郷土史家は何年も調査し、拉致の事実はなかったと断言、吉田氏の本を『日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物』 とこき下ろしてるんです」 ------------------- ちなみに下の動画は、支那の陸政協委員の幹部が、朝食を食べるのがあまりに遅かったため、空港で便に間に合わず、搭乗ゲートを怒って壊している映像です。 辻◯などもそうだけれど、左翼とか反日の連中というものの本質がこういうものだということがよくわかります。 Chinese official Yan Linkun misses plane, totally flips out in Kunming Airport 2013/02/23 Yan Linkun goes ballistic at Kunming Changshui International Airport. For info: http://beijingcream.com/2013/02/party-official-flips-out-after-missing-his-flight-at-kunming-airpot/ Source: http://v.youku.com/v_show/id_XNTE3MzY4NTE2.html http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1831.html | ||
7 中山成彬先生が狙われている 4 2013-03-20 22:25:36 [編集/削除]
『日本維新の会』 は支持しておりませんが、中山成彬議員は支持します。 衆議院インターネット審議中継: 開会日:2013年3月8日 (金) 会議名:衆議院 予算委員会 http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42475&media_type=wb 中山成彬(日本維新の会) http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=42475&media_type=wb&lang=j&spkid=22421&time=99:00:00.0 辻元清美(民主党・無所属クラブ) http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=42475&media_type=wb&lang=j&spkid=22433&time=99:00:00.0 ・YouTube動画 「2013年3月8日衆議院予算委員会 質疑」 ・「中山なりあき オフィシャルブログ」 3月13日 「2013年3月8日 衆議院予算委員会 質疑の動画です」 http://nakayamanariaki.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/201338-a9de.html ・「中山成彬 衆院議員」 ツイッターアカウント https://twitter.com/nakayamanariaki 選挙前.com http://senkyomae.com/p/127.htm 国民が知らない反日の実態 http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1152.html#id_fc922bcb Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%88%90%E5%BD%AC 2013年03月8日 衆議院 予算委員会 中山成彬議員 朝日新聞による慰安婦問題捏造。 http://bbs.mottoki.com/index?bbs=jitikihonjourei&thread=57 | ||
8 反日こそ悪 1 2013-03-24 03:16:38 [編集/削除]
反日こそ悪 2013年03月19日 このブログでは、支那朝鮮の過去の非道のことを、よく記事にさせていただいています。ただ、私は甘いとお叱りを受けるかもしれませんが、そういう民族としての問題と、個人としての人格は切り離して考えています。たとえば、南京市があります。 昨今、日本軍が南京で30万人の市民を大虐殺したなどと宣伝されていますが、これはみなさまご存知の通り、そもそも当時の南京の人口は20万しかいませんでした。ですから30万人虐殺など、そもそも数の上からも起きようがないわけです。 この南京城攻防戦が起きたのが昭和12年ですが、それからまる8年、つまり日本が終戦を迎えて南京市を去るまで、実は南京の治安は、とてもよかったのです。当時の記録を見ますと、日本が関与していた8年間、南京市の犯罪発生率は、日本の世田谷区よりもはるかに発生率が少なかったのです。支那共産党や国民党のスパイなどが暗躍していながら、それでも日本よりも犯罪の発生率が少なく、凶悪な事件や発砲騒ぎ、市中での喧嘩騒動や窃盗、強盗さえも、ほとんどなかった。なぜ世田谷区と比較かといえば、南京城というのは、だいたい東京の世田谷区くらいの広さの城塞だから、比較にちょうど良かったからです。 この8年間というのは、南京市には、汪兆銘(おうちょうめい)政権がありました。当時の大東亜圏で公認され、日本陸軍が補佐する南京国民政府がありました。そして当時の南京市は、日本人の若い女性がひとりで市場に買い物にでかけてもまったく平気だったし、夜道を若い女性が独り歩きしても、襲われる心配や不安さえもありませんでした。さらに戦時中の日本は「ほしがりません、勝つまでは」の標語に代表されるように、食もままならない貧しい状態になっていましたが、南京は平和と安定の中で、食べ物も豊富で安く、内地の人々が飢えて困っているという状況にありながら、南京ではまさに平和と飽食ができる安定した日々があったのです。 終戦後、南京にいた日本人は、それから昭和22年まで、まる2年かけて日本に復員しました。これも北京にいた北支軍の根本中将と支那国民党の蒋介石との対談によって、治安が完璧に確保されたため、女性が襲われたり、あるいは盗賊に襲撃されたりするような心配もなく、極めて平穏無事に内地への帰還を実現しています。もちろん、南京からの復員ですから、それなりのご苦労はありました。けれど当時を体験した方のお話を聞くと、なにより辛かったのは、「復員船の中での船酔いだった」そうです。他の地域、たとえば通化市などでは、ソ連兵やら支那共産党兵などに、日本人があらゆる乱暴狼藉を受け続けた様子と比べたら、それこそ天と地ほどの開きがあります。 | ||
9 反日こそ悪 2 2013-03-24 03:18:32 [編集/削除]
通州事件や、通化事件、あるいは尼港事件などを振り返ってみれば、あの残虐な支那人が、日本の内地以上に良好な治安を保つことができたというのは、実に不思議な気がするかもしれません。けれど、そうした非道が起こるのは、彼の国の政治の歪み、あるいは特定の不良な思想に凝り固まった、あるいは彼の国が捏造した歴史を鵜呑みにした無教養でおかしな連中、あるいはそうした人々を意図的に煽動する馬鹿者がいたからです。そういう馬鹿者が、もともと内在している残虐性に火をつけ、あおり、非道を行わせた結果であるといえようかとも思います。統治がしっかりとすれば、民衆の行動も変わるのです。そのことを、南京市の8年間は証明しているように思います。 日本人でも、とんでもない連中はいます。同様に支那、朝鮮にも、とんでもない連中がいます。昔は、そういう支那人や朝鮮人のことを、不逞支那人、不逞朝鮮人と呼びました。いまでいうなら、反日朝鮮人、反日支那人と言った方がわかりやすいかと思います。日本人の中にも、反日はいます。 では、反日というのは、いったいどういう思考なのでしょうか。多くの民衆は、普通に幸せな家庭や、健康な暮らし、犯罪や暴力におびえる必要のない、安心して暮らせる社会を望んでいます。それは日本人に限らず、支那、朝鮮、さらには世界万民の共通する願いです。 日本は、民こそが国の柱と考えて国つくりを行ってきた国です。日本には万世一系の天皇がおわし、民はその天皇の民と基底されてきました。そして天皇は政治権力を司るのではなく、その政治権力に認証を与えるという存在となっています。つまり政治権力を行使する者にとって、民衆は権力者よりも上位にある天皇の民という、不思議な姿の国となっていたわけです。これは会社にたとえてみれば、実権を持つ社長は会長に雇われた人で、その社長の部下は全員が会長の身内みたいなものです。これが「皇民(公民)」の思想です。もちろん社員と社長の間には身分や権限の違いはあるけれど、人としては対等な関係にあります。そして日本は、こういう国のカタチをつくることによって、世界で唯一(といっていいかと思います)の「奴隷のいない社会」を築いてきたのです。 ところが支那朝鮮、あるいは世界の多くの国々では、皇帝=政治権力者です。そして民衆は、皇帝や王の私有民です。私有民と書けば聞こえはいいですが、実態は「私物」です。人でさえありません。「物」です。人の上に立つ者にとって、下にいる者たちは私物ですから、殺そうが犯そうが収奪しようが、それこそ「自由」です。もっといえば、人の上にたちさえすれば、下の者達に対する生殺与奪の「自由」が与えられる。あたりまえのことですが、こうした社会では、常に民衆に不満が鬱積します。ですからその鬱積した不満が暴発しないうちに、力によってその不満者たちを虐殺する。それが権力維持のための最適手段ともなるわけです。 ただ、そうは言っても、西洋では神のもとの平等思想がありますから、権力者はいたずらに権力を行使することができない。宗教道徳によって権力にバイアスがかかるからです。ところが不幸なことに、支那朝鮮には神がいません。ですから上に立つ者が、下の者にとっての神となる。神ですから、人を殺しても罪にならない。そういう社会体制が、すくなくとも2千年以上にわたって続いてきた。それが、支那朝鮮族であったということです。 おもしろいことに、私達日本人と、彼らの国における自由は、意味が違います。日本人にとっての自由は、何ものにも束縛されない自由を意味しますが、支那朝鮮での自由は、支配する側にとっての自由であって、民衆には自由はありません。そしてこのことは、日本における反日左翼思想の根本でもあります。 | ||
10 反日こそ悪 3 2013-03-24 03:19:16 [編集/削除]
反日左翼の人々の考え方というのは、権力(肩書き)を持ちさえすれば、下に対してありとあらゆる「自由」を得ることができる、というものです。従って彼らのいう「自由」は、あくまで政治的権力者の「自由」であって、民衆の自由ではない。反日の本質も、ここにあります。人々が、老いも若きも男性も女性も、等しく人間としてお互いを大切にしながら、みずから率先して働き、みんなが食べていけるようにする。それが日本の古来の考え方です。 江戸身分社会を、まるで階級社会のようにいう人がいますが、これなども大きな間違いで、昔の武家屋敷をみれば、たいていどの武士も、庭で農作物を作っている。なにせ日本では、天皇ご自身が皇居の中で農作業をしてらっしゃる、日本はそういう国です。 けれど、世の中には、自分では働きたくない、下の者、つまり奴隷に働かせて、自分だけの「自由」をほしいままにしたいと考える馬鹿者たちがいます。そして不幸なことに、そういう馬鹿者達が権力に取り入り、あるいは権力を持つことで、民に対して好き放題の乱暴狼藉を働く社会が永く続いてきたのが、支那、朝鮮であったわけです。 いま、日本国内には、多くの反日支那人、反日朝鮮人、反日日本人がいます。反日であるということは、民衆の幸せに背を向け、自分たちだけの特権階級を構成したいと考える人たちであるということです。そして大切なことは、そうした理不尽を「間違っている」と認識している親日支那人、親日朝鮮人、親日日本人も多数いる、ということです。 要するに、反日であるということは、いたずらに権力を欲しがり、みずから働くことをせず、ただ権威や肩書きにものをいわせて人々を物として扱いたい一部の不逞のヤカラです。 やっかいなのは、たとえば朝鮮半島の旧両班(ヤンバン)や、欧米貴族の一部です。どういうことかというと、彼らは約500年にわたり、朝鮮両班なら、白丁(はくてい)と呼ばれる朝鮮人たちを使役し支配し隷属させ、まさに民衆をモノとして扱う特権階級をなしてきました。もちろん、朝鮮半島内を改革し、半島内を皇民化することで、誰もが働き、みんなが協力しあう社会を築こうとした両班もいました。けれど、一部の両班は、約500年続いた特権意識にしがみつき、その特権を奪った日本をいまだにたいへん恨んでいるということです。 また、一部の欧州貴族というのは、かつて植民地に広大な支配地を持ち、まさに王侯貴族のような生活をし ・・・ 服を着るのも風呂に入って体を洗うのも全部自分でやったことなどなく、奴隷である現地人たちにやらせていた ・・・ 強大な特権のある家柄であった人たちの一部です。彼らは日本によって植民地を解放され、500年続いた名家としての家柄も特権も財産も全て失ってしまいました。彼らにとっては、日本はまさに侵略国家であったわけです。 けれど、人々の幸せ、人間に生まれたことの幸せを誰もが活かすことができる、そのチャンスがある社会こそが、大切なものです。日本では、そのために、かつての名家と呼ばれた大名家も、廃藩置県に素直に応じたし、明治維新を成し遂げた武士たちも、四民平等でその身分を率先して捨てています。個人的な身分や家柄にこだわることよりも、国が安泰となり皇民である民衆が幸せな暮らしができるようにするために、みずからその身分を捨てたし、そのことを恨みに思っているような人物は、いまに至るまで、まさに皆無です。 要するに反日の本質というのは、かつての身分特権にしがみつきたい(しがみつきたいということは、自身が能無しであることに他ならない)馬鹿者が、無教養な庶民を煽動し、操り、反日に駆り立てているに他ならないということです。 逆にいえば、民衆こそ大切、民衆の幸せこそが国家の幸せと考えることが普遍化しつつある現代の国際社会において、彼ら反日主義者というのは、まさに反動主義者にほかなりません。 こうした次第から私は、人種、民族もさりながら、「反日であることが悪である」、ということをまずはしっかりと認識していくことが、たいせつなのではないかと思っています。 韓国~反日の理由~ 2011/10/29 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1833.html | ||
11 日本人よ、誇りを取り戻せ 1 2013-03-24 04:05:41 [編集/削除]
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12 日本人よ、誇りを取り戻せ 2 2013-03-24 04:08:21 [編集/削除]
スペインの没落は他人事ではない。「失われた 20年」 「決められない政治」 が続く日本の衰退も「誇りの喪失」、つまり 「イスパノフォビア」 が原因といわれる。 日本人は日本に対し誇りを持てなくなった。日本を悪し様に罵ることが知識人であるかのような風潮がその証左だ。 祝日に日本国旗を門前に掲げる家はほとんど見られなくなった。日本固有の領土である北方領土、竹島が不法に占拠されても、また尖閣列島が奪われそうになっても他人事である。「日本領土は日本人だけのものではない」と平然と口走る首相が出てくる始末である。 戦後、GHQによる巧妙な占領政策がその元凶である。大東亜戦争で日本人の優秀さ、恐ろしさに震え上がった米国は、戦後統治として 「二度と立ち上がれない」 日本の建設を目標とした。 東京裁判を皮切りに「日本悪玉史観」を普及させ、日本人が自国に対し誇りを持てないよう「イスパノフォビア」洗脳を徹底した。この政策に不都合な歴史書は焚書され、教科書は黒く塗られた。代わりに南京大虐殺や従軍慰安婦など、誇りの喪失に役立つ歴史が捏造された。 学校教育では「日本悪玉史観」が徹底された。学校で使用する歴史教科書は、今なお驚くほど自虐的である。 国家や権威、権力は悪と教え込まれた。セオドア・ルーズベルトが 「徳本」(”The book of virtue”) として絶賛し、世界中でベストセラーとなった「教育勅語」は廃止された。 「国家」「公」より「個」「私」を優先し、国家と歴史、民族と文化を貶め、国家、国旗を拒否し、揚げ句の果ては祖先、両親への敬慕、子弟間の礼節まで含めたあらゆる伝統的価値観に背を向けさせた。 「イスパノフォビア」を刷り込まれた人達が現在、日本の政界、財界、官界といった国家の中枢で指導者になりつつある。自国に誇りを持てず、健全な国家観も持たず、愛国心も希薄な指導者の下で、国家が繁栄したためしはない。 | ||
13 日本人よ、誇りを取り戻せ 3 2013-03-24 04:09:28 [編集/削除]
安部政権下で教育基本法は改定された。だが、教育現場では日教組による自虐教育は依然続けられている。「イスパノフォビア」が再生産されているのだ。 教育改革が喫緊の課題であることは論を待たない。だが、家庭教育も反省しなければならない。家庭において、親から子へ、日本の良さ、素晴らしさをしっかり伝えているだろうか。教育勅語にある徳目を、機会ある毎、子供たちに教えているだろうか。 先ずは親が子供に誇りを持たせなければならない。かつて日本を訪れたほとんどの外国人は、日本の素晴らしさに感嘆の声を上げた。親はこういった日本の素晴らしさを我が子に伝えていかねばならない。 | ||
14 日本人よ、誇りを取り戻せ 4 2013-03-24 04:14:01 [編集/削除]
イギリスの詩人エドウィン・アーノルドは日本の印象をこう語っている。「日本には、礼節によって生活を楽しいものにするという普遍的な社会契約が存在する」 「地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国だ。その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のように優しい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」 礼節の国、美しい国土、謙譲で飾ることない性質等、我々は気がついていないが、いずれも日本人の誇りとすべきことである。 イギリスの著名な歴史家アーノルド・トインビーは伊勢神宮に参拝した時、こう語った。「この聖なる地域(伊勢神宮)で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた」 神話から現代へ脈々と繋がる 「聖なる地域」 を持つこと自体、日本は世に稀有なる国家である。 1856年、初代総領事タウンゼント・ハリスに雇われて来日し、ハリスの秘書兼通訳を務めたヘンリー・ヒュースケンはこう語っている。「この国の人々の質撲な習俗とともに、その飾りけの無さを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった。 おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ちこもうとしているように思えてならない」 米国が日本を無理やり開国させることにより、日本の素晴らしさが喪失するのではないかと彼は真剣に危惧していた。 江戸時代の生活を研究した米国の女性学者スーザン・ハンレイはこう書き残している。「1850年に、もし地球上のどこかに住居を決めなければいけないとしたら、私が勤労階級に生まれていたならば日本に住みたい。貴族であったならばイギリスに住みたい」 大多数の勤労階級にとっては、日本が世界一住みたい国だった。昔の日本だけではない。実は今でも日本は世界が羨む素晴らしい国なのだ。 日本は世界で最も治安の良い国である。日本の犯罪発生率は 1.336 であり、米国 3.466、独国 7.383、仏国 5.634 など主要国と比べても断トツで少ない。 WTO (世界保健機関) が評価する世界各国の 「健康達成度」 でも日本は総合ランキング 1位である。平均寿命、健康寿命、乳児死亡率など全ての面で1位。国民全員が等しく医療にかかれ、負担も少ない。間違いなく日本の医療制度は世界一である。 一時期、日本でも「格差社会」という言葉が流行った。だが、2007年に IMFが「ジニ係数」(格差の度合いを測る係数) を公表したところ、主要国と比較してもフランスについで低い数値、つまり二番目に格差の少ない国であった。 この数値が公表されるや、マスメディアも「格差社会」という報道を止めてしまった。 日本は世界的にも格差の少ない平等な社会なのだ。 英国の BBCは毎年、「世界によい影響を与えた国、悪い影響を与えた国」というアンケートを世界中で実施している。 2011年の結果では 「世界によい影響を与えた国」 で日本は 「良い影響」 が 57%、「悪い影響」 が 20%、世界で 5位の好位置につけている。 肝心の日本人が 39%しか「良い影響」と自覚していない。 日本自身が日本の良さを喪失している。 日本の漫画、J ポップ、映画なども世界の若者には人気の的である。町並みは清潔で、治安も良い。少し歩けばコンビニもスーパーもある。商店には商品が何でも揃っている。料理ひとつとっても、世界中の料理が東京で食べることができる。味はどこでも一流だ。 安全、快適で暮らしやすさを満喫できる日本、世界中の人が憧れ、羨む国である。 もっと胸を張り、誇りを持ってしかるべき素晴らしい国なのだ。 | ||
15 日本人よ、誇りを取り戻せ 5 2013-03-24 04:15:48 [編集/削除]
先人達は、我が身を省みず、死に物狂いで素晴らしい日本を残してくれた。 祖国に残した父母や恋人を思い、あるいは自分の死後に遺される妻や子の幸せを祈り、平和で豊かな祖国の実現を願いつつ祖国のために戦ってくれた。 どこの国でも祖国のために命を捧げた人に対しては、感謝の念をこめ、最大限の儀礼を尽くすものだ。 それが戦後、「イスパノフォビア」 政策によって、戦闘で散華した者は犬死と嘲られ、生還した者は人殺しのごとく難詰された。 未だに総理大臣が靖国神社参拝を躊躇するような状態だ。「イスパノフォビア」 政策は日本人の誇りをズタズタに引き裂いた。 日本の再生には、先ず日本人一人ひとりが誇りを取り戻すことだ。 実際に日本は誇りを持つにふさわしい素晴らしい国である。 自虐的にならず日本のありのままの姿を外国人のように素直に見ればいい。 アインシュタイン博士は語っている。「近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。 一系の天皇を戴いていることが、今の日本をあらしめたのである。 私はこのような尊い国が世界の一カ所ぐらいなくてはならないと考えていた。 世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰ってくる。 それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。 吾々は神に感謝する。 吾々に日本という尊い国を創っておいてくれたことを」 日本人よ、誇りを取り戻そうではないか。 ========== http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1837.html | ||
16 【教育ニ関スル勅語(教育勅語)】 1 2013-03-25 02:09:50 [編集/削除] | ||
17 【教育ニ関スル勅語(教育勅語)】 2 ≪ 現代語訳 ≫ 2013-03-25 02:18:53 [編集/削除]
≪ 現代語訳 ≫ ( 教育勅語は、用語や文体が今では大変難しいとされ、多くの人により現代語訳が行なわれています。国民道徳協会の現代語訳がよく知られていますが、かなり意訳されていますので、僭越ですが自分なりに次のように現代語訳をいたしました。) 『 私が思うには、我が皇室の先祖が国を始められたのは、はるかに遠い昔のことで、代々築かれてきた徳は深く厚いものでした。我が国民は忠義と孝行を尽くし、全国民が心を一つにして、世々にわたって立派な行いをしてきたことは、わが国のすぐれたところであり、教育の根源もまたそこにあります。 あなたたち国民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ、学問を修め、仕事を習い、それによって知能をさらに開き起こし、徳と才能を磨き上げ、進んで公共の利益や世間の務めに尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従いなさい。そしてもし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。これらのことは、単にあなた方が忠義心あつく善良な国民であるということだけではなく、あなた方の祖先が残した良い風習を褒め称えることでもあります。 このような道は、実にわが皇室の祖先が残された教訓であり、その子孫と国民が共に守っていかねばならぬことで、昔も今も変わらず、国の内外をも問わず、間違いのない道理です。私はあなた方国民と共にこの教えを胸中に銘記して守り、皆一致して立派な行いをしてゆくことを切に願っています。 明治二十三年十月三十日 天皇の署名と印 』 http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore8/4132chokugo.htm | ||
18 板主から。 2013-03-27 01:24:49 [編集/削除]
( 板主から: 上の『韓国~反日の理由~』の動画にある、≪植民地 韓国≫ の表現に対しては、違和感があります。 動画にもあったように、当時の朝鮮半島を取り巻く国際情勢と、半島内の状況の中、半島の近代化は焦眉の急であり、そのためにも効率よくその近代化を成し遂げるべく併合後、当時の日本の近代化の手法などをアレンジし、技術や文化などをコピーする必要があったということ。 また、当時のイギリスやオランダなどの ≪植民地≫ の概念やありさまからは程遠い近代化が半島内においてなされたという現実は、当時の世界情勢というパラダイムが、日本においても、まして半島においても作用していたとすれば抗しきれなかったその歴史的経過の一断面として捉えることは必然であるということ。 歴史に if(イフ・もし…ならば。)はないといわれるのはそういうことなのだろうということ。) |
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