Ads by Google |
小名木善行 ねずさんの ひとりごと: 新渡戸記念館を守れ! (コメント数:20) | ||
1 2015年06月06日 2015-10-22 02:14:32 [編集/削除]
| ||
2 2 2015-10-22 02:16:04 [編集/削除]
この記念館は、建物は市の所有ですが、土地と資料のほとんどは新渡戸家の所有財産です。 ところがこれについても市は、「建物の所有権は市にあり、記念館内の資料(約8千点)は市民共有の財産である」と主張しています。 そして「資料の保存については話し合いに応じる」「市の所有のものは保存するが、新渡戸家のものは市の文化財に指定となっているにもかかわらず、市に寄贈すれば大切に扱い、寄贈しなければ勝手にしろ」というのだそうです。 これまた行政の主張としては、きわめて不思議な話です。 建物の所有権は、建物内の動産に及ぶものではありません。 加えて、この建物が「記念館」である以上、本来、値打ちのあるのは所蔵資料の方であって、建物ではありません。 しかし、その建物も稲造の後輩でもある生田勉の意匠設計、日本建築学会会長を務めた佐藤武夫のコンビによる国内に現存する唯一の建物です。 ところが、なるほど法的財産としては、建物に不動産としての売却価値があり、動産にはほとんど価値がない。 さらに「記念館を取り壊し」てしまえば、その建物不動産もこの世から消えるわけで、そうなると歴史的記念物である記念館所蔵品は、果たしてどうなるのか。 所蔵品に関する動産の所有権は、新渡戸家が保有しているはずなのですが、これさえも建物取り壊しに際して市が摂取するというのか、それをどのように保管するというのは、そのあたりも極めて曖昧です。 要するに、「記念館」の建物が市の所有であることを理由に、ただ「取り壊し」だけを市長は一方的に記念館側に通告しているわけで、我々からしますと不思議なのは、「では、記念館保有の資料はどうなるの?」ということです。 そのあたりについて、まったく具体案が示されないということは、市長は、ただ新渡戸稲造博士の記念館を取り壊してこの世から抹殺することだけを目的にしているとしか言いようがありません。 | ||
3 3 2015-10-22 02:22:28 [編集/削除]
記念館は、現状、今年4月に強制的に休館とさせられていますが、市は、7月以降、記念館の電気を止めると言っているのだそうです。 理由は、市の観光商工部の横道彰部長いわく、「市では、記念館を廃館にすると決まっている。廃館になれば電気代を払う財源はない。市の所有でない物に税金を使うことはできない」と主張しているのだそうです。 どういうことかというと、市は、「市長命令で廃館を決めた」というのです。 だから「廃館なら電気代は払えない」というわけです。 けれど、少し考えたらわかりますが、これは矛盾です。 市は、もともとは市の所有物である建物について、あくまで「耐震性に問題がある」から「建物を取り壊したい」と主張していただけです。 廃館と言っていたわけではありません。 しかも建物を取り壊しても、そこには新渡戸稲造博士の愛用品や、新渡戸家伝来の甲冑(かっちゅう)が並び、室町時代の物などの遺産があるのです。 それら約8000点の資料をどうするのか。 | ||
4 4 2015-10-22 02:23:42 [編集/削除]
| ||
5 5 2015-10-22 02:24:55 [編集/削除]
■ 新渡戸記念館HP http://www.towada.or.jp/nitobe/index.html ■ 関連報道 1 十和田新渡戸記念館 存廃協議は平行線(2015年05月29日) http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150529_43046.html 2 新渡戸記念館 収蔵資料 8000点ピンチ(2015年06月03日) http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150603_25008.html ■ 記念館を守ろうとする有志たちの Facebookページ https://www.facebook.com/pages/Save-The-Towada/354981788022090?sk=timeline ■ 関連記事 『武士道』新渡戸稲造を読む http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2658.html | ||
6 【休館の経緯の詳細説明】 1 2015-10-22 02:27:38 [編集/削除]
以下の文は、調査に基いて記した新渡戸記念館の休館までの経緯です。 時点は 6月3日までの時点です。 ====== 2015年2月26日、十和田市は、十和田市議会全員協議会の耐震診断の一環として行った「コンクリート強度診断」で新渡戸記念館の建物のコンクリートが極低強度と判明したと発表した。 診断数値は 7.6N/mm2と、1964年の開館以前、1950年当時の最低強度 9.0N/mm2 もクリアしていないというものであった。 報告書には「技術的に補修は不可能である」と記載された。 この結果を受けて、市は市民や観光客の安全確保のためにと、記念館の 4月1日からの休館、および建物取壊しを決定した。 ところがこの時点で、休館後の資料展示保存のための代替施設については、「耐震強度不足の市内全施設の建設計画を 今後2年間で一体的に策定するので、その中で市民と共に検討していく」とした。 つまり、建物を取り壊しても、向こう年間は施設内の資料の保全はされず、また、その 2年間はあくまで「検討する」ための期間であって、資料を保全するための措置について、何の決定もなされていない。 これに対して 十和田市議会は危機感を強め、3月19日当館資料を 4月1日以降も展示閲覧できるように善処するよう市に求める決議案を提出し、全会一致で可決した。(本文の決議文) ところがこの決定に対して 3月26日、記念館の指定管理者である太素顕彰会は、その役員会において、「施設が休館となり観覧料の徴収業務が無くなる」ことを理由として、「指定管理の契約を 5年契約の 2年目途中で中途解約する」と記念館に一方的に通告した。 これにより、館長はじめ館の職員全員が 6月末で解雇されることとなった。 | ||
7 【休館の経緯の詳細説明】 2 2015-10-22 02:29:27 [編集/削除]
太素顕彰会は、新渡戸氏の 十和田市開拓の偉業を顕彰する団体で、当初は歴代市長が会長を務めてきた。 これが昭和39年に記念館が建てられてからは、市の外郭団体として館の運営を行うこととなり、さらに 2006年に、指定管理制度が導入されてからは、市の商工会議所に事務局が移り、以降、十和田商工会議所会頭が会長を務めている。 つまり、十和田市はこれまで資料の所有者である新渡戸家から寄託を受け、記念館で保存展示活用してきた。 ところが太素顕彰会役員会での説明では、「 < 市の指定有形文化財となっている新渡戸家所有の資料 >(< > 内は下線部分)を市に寄贈すれば、何等かの保存措置を講ずるか?、寄贈しなければ保存することはできない」との方針を示している。 要するに、新渡戸家の所有財産を「市に寄贈しなければ保護はしない」というのである。 太素顕彰会もその席で、「新渡戸家が寄贈すれば速やかに新しい建物を建てることを要望するが、寄贈しなければ要望しない」との見解を示した。 さらに市議会決議については「これは “資料の展示について” の決議であって、建物を建ててほしいという決議ではない。 寄贈されればそれに対しては責任をもって展示保全をし、建物についても検討していく」述べている。 ところが、その後市は一度も新渡戸家に対し、正式に資料の寄贈について申し入れもなければ、協議の要請もない。 記念館には若干の太素顕彰会で購入した資料や、十和田市立新渡戸記念館長が寄贈を受けた資料があるが、これについてのみ、「速やかに市で保存の措置を講じなければならないから」と、市に引き渡すように言ってだけである。 そして市は、4月15日に、収蔵資料を次の 3つに分類してリストを提出するように記念館に指示してきた。 (1)新渡戸家所有 (2)十和田市所有 (3)太素顕彰会所有 またここで、寄贈物については『「十和田市立新渡戸記念館」又は「十和田市立新渡戸記念館館長宛」に寄贈されたものは市の所有である』と主張している。 | ||
8 【休館の経緯の詳細説明】 3 2015-10-22 02:32:52 [編集/削除]
市は当初、新渡戸記念館を建てる時「資料を永久に保存する」と新渡戸家に約束し、大正14年から現在地にあった新渡戸家の「私設新渡戸文庫」を 昭和39年に取り壊し、同家の協力を得て記念館を建てた経緯がある。(文末添付写真、昭和41年市設置看板参照) そのため敷地である 十和田市開拓の祖・新渡戸傳 (明治4年没) の墓所境内は新渡戸家所有ですが、土地を新渡戸家は無償で市に貸与し、市の都市公園としてきたのである。 つまり所蔵資料のほとんどが 個人 (新渡戸家) からの寄託資料であり、寄託を受けて保存活用の措置を講ずることは博物館では ごく一般的なものであるがゆえ、これまで 50年間、新渡戸家ではそのような形で資料展示を行ってきたのである。 ところがこれについて 十和田市は、3月26日の役員会で「市の文化財保護条例では第一義的に所有者が保存の措置を講ずるとなっているため、寄贈を受けないまま公費で保存することはできない」との見解を示した。 更に、市てでは「寄託」は展示等のために一時的に資料を受け入れる時にのみ適応されるもので、長期の寄託はないという見解を示している。 一般に保存、研究などの目的で所有権を変えずに資料を博物館で長期に預って扱うことを「寄託」と言うのである。 しかしその質問に対し 十和田市は「定義が違う」と主張した。 十和田市が、個人所有のものに対して公費を使って保存しないとする根拠に、以下の 十和田市文化財保護条例の「補助金」に関する条文、第11条を上げている。 http://www.city.towada.lg.jp/reiki_int/reiki_honbun/r082RG00000270.html しかし、今回のケースがここで言う「特別の事由」にあたり「保存のための補助金」の交付の対象となるかどうかの検討については、市からは全く提案されず、こちらからそのことを話しても、「個人が保存するものである」という主張のみをしている。 | ||
9 【休館の経緯の詳細説明】 4 2015-10-22 02:35:25 [編集/削除]
十和田市は 旧十和田市と 旧十和田湖町の合併時の 2005年に文化財保護条例を改訂し、翌年には当館の運営に指定管理制度が導入(され)たが、条例改正当時も、個人所有のものの寄託保存について問題になった。 しかし、今回コンクリート強度診断の結果が出たところ、市は休館、建物の取り壊し、指定管理解除を決め、急に条文に基づいて新渡戸家へ資料を返却するか、市に寄贈するかの 二者択一を迫っている。 事態の重さがまるで違うのである。 コンクリート強度の問題に端を発したのですが、市の財政的問題や政治的方向性などと絡み合い、閉館に追い込まれ、更に市側は法令を逆手に新渡戸家へ強引な形で寄贈を迫るという図式になっいる。 また、これまでの 十和田市の対応に、市のルーツである資料を保存活用し後世に伝えようという姿勢や文化財への敬意はまったく感じられない。 5月28日に行われた新渡戸家と市長との会談においても、市指定の文化財を地域に活かすため双方がどう協力していくのかということが全く協議できていない。 市はこれまで通り記念館は廃館、建物は取り壊し、資料は寄贈を迫り、寄贈しないなら市指定の貴重な資料がどうなろうとも関わりが無いという姿勢である。 また記念館側が建物の耐震診断に疑義を訴えても、全く聞く耳を持とうとしない。 市は、東北地方で震災以来建物の耐震強度の問題が分かった博物館の中で、個人の資料を保存活用するような館が 10館ほどあったが、それらは全て財団法人か、資料が市へ寄贈されている館ばかりで、そのため行政で速やかに保存の措置を講じたという例を、今回市の予算を使って保存しない判断の根拠の一つに挙げている。 その判断は「人類共通の遺産」である文化財の保存上、妥当なものといえるであろうか。 更に、市は館内の展示ケースについて、収蔵展示の当館においては資料の重要な保存設備であるにも関わらず、市の備品であるから使用することは相成らず、7月前に搬出するとしている。 ケースから出した資料は、市の所有であれば保存するが、新渡戸家所有であれば全く関知せず、段ボール箱にでも入れて床に置いておけばよいという。 あきれ果てた市の対応である。 すくなくとも文化財の保存環境に対する配慮が著しく欠落している。 | ||
10 【休館の経緯の詳細説明】 5 2015-10-22 02:36:47 [編集/削除]
市町村への寄贈について、県内の研究者や博物館関係者は、「十和田市の今回の対応を見ると、寄贈してもきちんと保存活用されるとは到底信じがたく、財政難においては売却やあるいは破棄の恐れもあり、どのように扱われるかわからないのだから寄贈してはいけない」と危惧している。 また、記念館と教育委員会が 2010年から共催してきた「寺子屋稲生塾」の 平成27年年度事は、6月27日の開講式に限らず、7月以降も新渡戸記念館として当館ボランティア Kyosokyodo(共創郷土) と共に出来得る限り協力することを教育委員会と申し合わせているが、市はこれについても 5月上旬に印刷配付する稲生塾チラシに「新渡戸記念館」の名称を記載することも、協力団体である「新渡戸記念館ボランティア Kyosokyodo(共創郷土)」の固有名称を使うことも不許可とし、削除を要求している。 理由は「7月以降 新渡戸記念館は廃館となるため」と言うが、あきらかにこれは「議会決定を待たずに廃館を既成事実にしよう」という行為であり、議会軽視である。 名称の使用を禁ずるという市の要求に対し、館員、ボランティアともに、稲生塾の子どもたちのために支障なく事業を開催することが第一と、削除要求を呑んだが、すると市長は、チラシに新渡戸記念館の名称が無いことの説明として「新渡戸記念館が協力しないためである」と事実と異なる発言をしている。 | ||
11 【休館の経緯の詳細説明】 6 2015-10-22 02:39:37 [編集/削除]
今回の新渡戸記念館の休館とそれに伴って起きている諸々の問題や、新渡戸記念館に所蔵する貴重な文化財の保存環境が不安定な状態になってしまった事について 文化遺産国際協力コンソーシアム副会長の前田耕作先生が、平成27年3月26日「十和田は世界の輝きを曇らせてはならない」、5月4日「ふたたび新渡戸記念館の行方を憂う!」と、十和田市民に対し、二度に亘ってメッセージを発している。 メッセージでは、この問題が 十和田市地域全体のみならず 日本、そして世界に与える多大な影響についてまで言及されており、十和田市が置かれている厳しい現状をはっきりと認識し、今後を考える上でも市民全体で共有すべき情報として 6月1日の市広報とともに折り込まれる予定であった「新渡戸記念館だより」 75号に掲載する予定であった。 すると今回の「だより」に限って、印刷前に市が事前チェックをすると言ってきたため、ゲラを市担当者に見せたところ「市を批判する内容、市の方針と異なる内容や事実誤認があり、市の予算で印刷発行することはできない」と、前田先生のメッセージの全文の削除を要求してきた。 このメッセージは、文化財に関わる全ての人々に新渡戸記念館の休館、廃館が与える多大な影響について慎重な熟慮を求めたもので、市を批判するものでも内容に事実誤認のあるものでもない。 そのため記念館としては全文削除に応じられないとしたところ、結果的に 6月1日の広報折り込みに間に合わず、発行できない状態となった。 この件については、報道関係者も検閲行為ではないかとして記事で紹介している。 2015年5月31日付 東奥日報「広報紙発行できず」 2015年6月 2日 朝日新聞「休館・新渡戸記念館存続を求めた寄稿 市が全面削除要請」 | ||
12 【休館の経緯の詳細説明】 7 2015-10-22 02:40:56 [編集/削除]
| ||
13 上記に対するコメント(抜粋): 1 2015-10-22 02:46:13 [編集/削除]
2015/06/06(土) ・ > まるでヤクザのような恫喝があっただけです。 十和田市長、正にウシハク支配ですね。『悪魔の見分け方』が参考になりました。 ・ 真相は何処に? 本件はねずさんのいわれるとおり、バックに闇の勢力のそんざいをかんじさせます。 ご足労ですが、真相の追究、第2報、第3報--- を期待します。 ・ 更新ありがとうございます。 日本人の血をひいている者達が、日本人らしからぬ事をしている者達が あまりにも日本には多い。 血など関係ない、日本人としての魂があるかどうかの問題です。 この青森の 十和田市長は日本人の魂ではありませんね。 東北人として恥ずかしくないか! ・ 税制問題だ 背景には固定資産税などの税制の問題もあるのではないでしょうか。 日本は相続税が高く、また個人の不動産を代々引き継いでいこうとしても広大な敷地に対して固定資産税が賦課され、払えなければ没収されます。 名家であって多くの人に幸福をもたらすような偉大な功績を残した人に対して軽々しく扱うような風潮を許してはなりません。 最近も、正田家の皇后生誕屋敷は税制の問題で公園になってしまいました。 これから日本を背負って立つ「志」は先人の偉業を知ることによって「感化」されるのです。 そんな社会勉強にふれる機会を与える資料館は行政の負担になる、との名目で無くしてしまうのは大きな損失になってしまいます。 目先の経済観念で市町の長が判断をするのは資格を問われます。 おそらく、新渡戸家も代々の相続が難しくなって行政機関に差し出したことが想像できます。 片方では日本遺産認定や、世界遺産申請などの活動が推進され、身近な所でお荷物とされる個人遺産を没収し、取り壊して税収問題を解決させるのはあまりにも短絡的です。 十和田市の問題を日本国全体の問題として解決させるべきでしょう。 また、相続税も特例を設けるべきです。 | ||
14 上記に対するコメント(抜粋): 2 2015-10-22 02:48:32 [編集/削除]
・ 今日もありがとうございます。「日本に武士道があったことの証明が気に入らない勢力が、暗躍しているのかもしれません。」 同じように感じます。「建物の所有権は市にあり、記念館内の資料(約8千点)は市民共有の財産である」 ここもおかしいし。 法的にみても、記念館内の資料を市に譲与する書類がないかぎり、個人のものであることは明白です。(と思う。) ・ 日本人か? 市長は本当に日本人でしょうか。 日本人とは思われない行為です。 まるで中韓の考え方です。 彼の国籍を数代に遡って調べて欲しいと思います。 もし本物の日本人なら「中韓」に何か弱みを掴まれているのではないでしょうか。 それにしても十和田市民は何も声を上げないのでしょうか。 世界に有名な新渡戸さんの歴史的資料を葬ろうとしている市長に対して「リコール」の声を上げるべきです。 そうすれば、さすがの馬鹿市長でも市民の声を聞くのではないでしょうか。 ・ 新渡戸稲造氏の記念館、このまま埋もれさせるには余りにももったいないので、また一般公開されることを祈ります。 | ||
15 上記に対するコメント(抜粋): 3 2015-10-22 02:50:49 [編集/削除]
・ 市が解体、有志寄付で新築 新渡戸記念館 館長様 建物が市の所有物であれば税金で解体する。 解体後、寄付にて新築する。 寄付先を開示してください。 振込手数料が不要な銀行にしてください。 ・ はじめまして。 いつも、このブログを読んで勉強させていただいている者です。 新渡戸記念館については、黙って見過ごすわけにはいきません。 以前 十和田市を訪れた時、この記念館があることを見つけ、ちょうど「国家の品格」を読んで武士道に感銘を受けていた時なので、なんというご縁だろうと思いながら訪れてみることにしました。 しかし、その日はあいにくの休館日で仕方なく帰ろうとしたら、館長の新渡戸氏が出ていらして、遠くからわざわざ来てくれたのだからと言って中を見せてくださいました。 そのお心遣いにいたく感銘したものです。 持って生まれた気品というのは、こういうことだと思いました。 この新渡戸記念館を廃館なんて、とんでもない、許せないです。 この件もですが、あちこちで行われている許せない行動に抗議する方法をちょうど思案していたところです。 自分に出来ることを一つでも行動していきたいと思っています。 ・ ねず先生、本日も貴重な記事を有り難うございました。 大変な事態になっているとの事、初めて知りました。「武士道」は日本の大切な伝統であり、心そのものです。 そのような伝統を無下に扱うなどあっては成らない事です。 十和田だけの問題ではなく、日本の国をあげて全体で守り貫かねばならい事です。 何故突然このような向きになったのか 十和田市長にはしっかり国民に説明して頂きたいものです。 其れこそ問題がもっと大きくなる前に、市の財産だと宣い、取り上げられて中韓に売り払われかねません。 売り払われた後は、例の如く、これは元々我が国のものだったと言い張られては困りますもの… | ||
16 上記に対するコメント(抜粋): 4 2015-10-22 02:52:24 [編集/削除]
・ 初めてコメントします。 北海道大学も新渡戸稲造のゆかりの地ですよね。 最悪、北海道大学や北海道立近代美術館とかそういうところが協力してくれないかなあとか思ってしまいましたが、難しいのでしょうか… 本来的には十和田にあって欲しいと思いますが、まずは貴重な資料を保護しなければならないので… 全国的にこの話が広まって大きな声になることを祈ります。 新渡戸稲造は日本と世界のために動いた方ですから。 私も可能な限り拡散したいと思います。 ・ 某掲示板でこの記事のことを知って読みにきました。 青森県のことは詳しくないのですが、県選出の国会議員も何人かいらっしゃるのでは? そういう先生方に陳情してみては如何でしょう。 大した対抗力にはならないかもしれませんが、できることは何でもやってみる必要があると思います。 2015/06/07(日) ・ 市長のリコールを市民は考えるべきです。 市長は市民に説明責任があるにもかかわらず、うやむやにしているのは行政を預かる者として不適格ではないでしょうか。 ・ 著名な権威のある学者団に耐震性を調査してもらい 結果を市に提出して指示を無効にしてもらったらどうでしょうか。 支持者が建物を買い取ることができればいいんですがね。 また、状況から裁判で戦えば勝てる可能性が大ではないでしょうか。 市長への抗議、新渡戸家への支持者が増えるといいですね。 新渡戸稲造は日本の宝です。 記念館を守りましょう。 ・ 地元の衆議院議員、大島理森氏に対応を陳情するのも方法の一つです。 ・ 本件、はじめて知りました。 新渡戸稲造については氏の出身大学である北海道大学も強い関心を寄せており、現在、新渡戸カレッジや新渡戸スクールを開校しています。 この理不尽な動きについて、北海道大学にも知らせてみてはいかがでしょうか。 | ||
17 上記に対するコメント(抜粋): 5 2015-10-22 02:57:53 [編集/削除]
2015/06/08(月) ・ ・・・ 私の地元にも「忠魂碑」は市の財政、つまり皆の税金で賄っている、即刻撤去すべし等とほざいてる議員がいます。 ヤツらは目先の事や金銭的に楽になると高々と歌い上げるのに、その後の事は言わない。 国家百年の計とまでは言わずも、一年後の事、つまり未来の事は言わない。 まさに異人。 > 判断の妥当性について市民の信を問うのが、政治の本来の在り方である。 同意。 先人の経歴・偉業を残したいてのが日本人の民意。 その後 とりあえず市長の自宅・実家・親戚の家全て【耐震診断】。「技術的に補修は不可能」とされたなら壊して OKて事かな。 2015/06/08(月) ・ 捏造された像や記念碑はどんどん建てられて、日本の魂であるものは排他される昨今。 日本人はもっともっと激怒しなければいけない。 青森という田舎での話で終わってしまう恐れがある。 何故、国会で問題提起しないのか? 2015/06/15(月) ・ 呆れますね もう市に期待することはできないのでしょうか。 行政として資金を投じがたい部分があるにせよ、これまで太素を散々に利用してきた市が後ろ足で砂をかけるような真似をするなんて酷いし、歴史的な笑い者になりますね。 市に期待できないなら、県や国の文化財として大切に守って欲しいです。 いったい誰にお願いすれば良いのでしょうか。 2015/07/01(水) ・ とある筋から聞いたのですが、市長は本当は新渡戸関連での花巻との交流も辞めたがっている、新渡戸の痕跡を消したがってる。 跡地に関しても返還ではなく、箱物(not博物館)を建てたいらしい。 資料は抹殺。 これは本当かは定かではないけれども、本当ならば恐ろしい。 | ||
18 ≪板主より≫: 1 2015-10-22 03:13:56 [編集/削除]
十和田の『市民』は、「市内に居住する者、市内に通勤し、又は通学する者、市内で活動するもの。」だってさw この市も、(極)左翼系の学者や行政職員や『プロ市民』らが、市政を牛耳ろうとしている。 (一見して)綺麗な言葉は、サヨクの常套句。 | ||
19 ≪板主より≫: 2 2015-10-22 03:17:35 [編集/削除] | ||
20 ≪板主より≫: 3 2015-10-22 03:20:06 [編集/削除]
|
Ads by Google |
(c)Copyright mottoki.com 2007- All rights reserved.
|