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Wikipedia: 新渡戸稲造 (抜粋・編集) (コメント数:17) | ||
1 (最終更新 2015年10月4日(日) 2015-10-23 03:09:10 [編集/削除]
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2 2 2015-10-23 03:10:58 [編集/削除]
■ 生涯 陸奥国岩手郡(現在の岩手県盛岡市)に、藩主南部利剛の用人を務めた盛岡藩新渡戸十次郎の三男として生まれる。 幼名は稲之助。 新渡戸家には西洋で作られたものが多くあり、この頃から稲之助は西洋への憧れを心に抱いたという。 やがて作人館(現在の盛岡市立仁王小学校)に入り、その傍ら新渡戸家の掛かり付けの医者から英語を習う。 祖父は江戸で豪商として材木業で成功し、再び盛岡藩に戻り新渡戸家の家計を大いに助けた。 ■ 盛岡から上京 作人館を出て間もない頃、東京で洋服店を営んでいる叔父の太田時敏から「東京で勉強させてはどうか」という内容の手紙が届き、新しい学問を求めて東京へと旅立つ。 この時、名を稲造と改めた。 東京に着くと、稲造は叔父の洋服店を訪ね、養子となって太田稲造と名のるようになった。 まず英語学校で英語を学び、翌年には元盛岡藩主 南部利恭が経営する「共慣義塾」という学校に入学して寄宿舎に入るが、授業があまりにも退屈なために抜け出すことが多かったという。 この日頃の不真面目さが原因で、叔父からは次第に信用されなくなっていった。 それは、ある日の冬に自分の小遣いで手袋を買ったにもかかわらず、「店の金を持ち出した」と疑われるほどであったという。 それからというもの、稲造は人が変わったように勉強に励むようになった。 13歳になった頃、できたばかりの東京英語学校(後の東京大学)に入学する。 ここで稲造は佐藤昌介と親交を持つようになり、暇を見つけては互いのことを語るようになる。 この頃から稲造は自分の将来について真剣に考えるようになり、やがて農学の勉強に勤しむことを決意する。 | ||
3 3 2015-10-23 03:14:55 [編集/削除]
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4 4-1 2015-10-23 03:17:37 [編集/削除]
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5 4-2 2015-10-23 03:18:42 [編集/削除]
台湾総督府の民政長官となった同郷の後藤新平より 1899年(明治32年)から 2年越しの招聘を受け、1901年(明治34年)に農学校を辞職して、台湾総督府の技師に任命された。 赴任を請われた時、1日1時間の昼寝を赴任条件とした 。 民政局殖産課長、さらに殖産局長心得、臨時台湾糖務局長となり、児玉源太郎総督に「糖業改良意見書」を提出し、台湾における糖業発展の基礎を築くことに貢献した 。 その後、1903年(明治36年)には京都帝国大学法科大学教授を兼ね、台湾での実績をもとに植民政策を講じた。 1906年(明治39年)、京都帝国大学より植民政策の論文で法学博士の学位もうけた。 同年、牧野伸顕 文相の意向で、日露戦争後の日本のリーダー育成にふさわしい人物として、新渡戸は東京帝国大学法科大学教授との兼任で、第一高等学校校長となった(1906-1913年)。 1911~1912年、日米交換教授の制度創設により、アメリカで日本理解の講義を行うため、渡米。 帰国後、健康を害したこともあって、1913年に 一高校長を辞職。 東京植民貿易語学校校長、拓殖大学学監、東京女子大学学長などを歴任。 その他、津田梅子の津田塾に対しても顧問を務めており、津田亡き後の学園の方針を決定する集会は新渡戸宅で開かれた。 | ||
6 5 2015-10-23 03:20:40 [編集/削除]
■「郷土会」の発足 1909年(明治42年)、新渡戸の提唱で「郷土会」が発足した。 自主的な制約のない立場から各地の郷土の制度、慣習、民間伝承などの事象を研究し調査することを主眼とした。 メンバーには、柳田國男、草野俊介(理学博士)、尾佐竹猛(法学博士)、小野武夫(農学博士)、石黒忠篤、牧口常三郎、中山太郎(民俗学者)、前田多門らが加入していた。 ■ 国際連盟事務次長 1920年(大正9年)の国際連盟設立に際して、教育者で『武士道』の著者として国際的に高名な新渡戸が事務次長のひとりに選ばれた 。 新渡戸は当時、東京帝国大学経済学部で植民政策を担当していたが辞職し、後任に矢内原忠雄が選ばれる。 新渡戸らは国際連盟の規約に人種的差別撤廃提案をして過半数の支持を集めるも、議長を務めたアメリカのウィルソン大統領の意向により否決されている。 エスペランティスト(母語の異なる人々の間での意思伝達を目的とした国際補助語(人工言語)を使用する者をいう。)としても知られ、1921年(大正10年)には 国際連盟の総会でエスペラントを作業語にする決議案に賛同した。 しかし、フランスの反対にあい、結局実現しなかった。 同年、バルト海のオーランド諸島帰属問題の解決に尽力した。 1926年(大正15年)、7年間務めた事務次長を退任した。 | ||
7 6 2015-10-23 03:22:02 [編集/削除]
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8 7 2015-10-23 03:24:01 [編集/削除]
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9 8 2015-10-23 03:25:02 [編集/削除]
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10 9-1 2015-10-23 03:29:06 [編集/削除]
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11 9-2 2015-10-23 03:30:32 [編集/削除]
・ 1901年(明治34年) 台湾総督府民政部殖産局長心得就任。 ・ 1903年(明治36年) 京都帝国大学法科大学教授を兼ねる。 ・ 1906年(明治39年) 第一高等学校長に就任。 東京帝国大学農科大学教授兼任。 ・ 1909年(明治42年) 実業之日本編集顧問となる。 ・ 1916年(大正5年) 東京植民貿易語学校校長に就任。 ・ 1917年(大正6年) 拓殖大学学監に就任 ・ 1918年(大正7年) 東京女子大学初代学長に就任。 ・ 1920年(大正9年) 国際連盟事務次長に就任。 ・ 1921年(大正10年) チェコのプラハで開催された世界エスペラント大会に参加。 ・ 1925年(大正14年) 帝国学士院会員に任命される。 ・ 1926年(大正15年) 国際連盟事務次長を退任。 貴族院議員に。 ・ 1928年(昭和3年) 東京女子経済専門学校(のち新渡戸文化短期大学)の初代校長に就任。 ・ 1929年(昭和4年) 太平洋調査会理事長に就任。 拓殖大学名誉教授に就任。 ・ 1931年(昭和6年) 第4回 太平洋会議に出席(上海)。 ・ 1933年(昭和8年) カナダ・バンフにて開催の第5回 太平洋会議に出席。 ビクトリア市にて客死。 | ||
12 10 2015-10-23 03:32:52 [編集/削除]
■ 栄典 ・ 1891年(明治24年)12月21日 - 従七位 ・ 1903年(明治36年)12月26日 - 勲六等瑞宝章 [10] ・ 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章 [11] ■ ゆかりの地 新渡戸稲造没後50年を記念して、盛岡市下ノ橋町の生誕の地に、「新渡戸稲造生誕の地」の銅像が建立された。 作者は 朝倉文夫。 鎌倉稲村ケ崎にあった別荘跡地は、聖路加看護大学鎌倉セミナーハウス「アリスの家」になっている [12]。 | ||
13 11-1 2015-10-23 03:34:31 [編集/削除]
■ 代表的な著書 ・『農業本論』 裳華房、1898年(明治31年)9月。 ・ Inazo Nitobe (1900). Bushido: the soul of Japan, an exposition of Japanese thought. Philadelphia: The Leeds and Biddle Company. ・『武士道』 櫻井鴎村訳、丁未出版社、1908年(明治41年)3月。 ・『武士道』 矢内原忠雄訳、岩波書店〈岩波文庫 青118-1〉、2007年(平成19年)4月(原著1938年(昭和13年)10月)、第91刷改版。 ISBN 4-00-331181-7。 ・『武士道』 矢内原忠雄訳、岩波書店〈ワイド版岩波文庫 35〉、1991年(平成3年)6月。 ISBN 4-00-007035-5。 ・『武士道 現代語で読む最高の名著』 奈良本辰也訳・解説、三笠書房〈知的生きかた文庫〉、1993年(平成5年)2月。 ISBN 4-8379-0563-3。 | ||
14 11-2 2015-10-23 03:35:59 [編集/削除]
・『随想録』 丁未出版社、1907年(明治40年)8月。 ・『随想録』 たちばな出版〈タチバナ教養文庫〉、2002年(平成14年)11月。 ISBN 4-8133-1443-0。 ・『修養』 実業之日本社、1911年(明治44年)9月。 ・『修養』 たちばな出版〈タチバナ教養文庫〉、2002年(平成14年)7月。 ISBN 4-8133-1444-9。 ・『人生雑感』 國井通太郎 編、警醒社書店、1915年(大正4年)2月。 ・『人生雑感』 国井通太郎 編、講談社〈講談社学術文庫 611〉、1983年(昭和58年)8月。 ISBN 4-06-158611-4。 ・『ABCびき日本辞典』 井上哲次郎、服部宇之吉などとの共編、三省堂、1917年(大正6年)。 ・『東西相触れて』 実業之日本社、1928年(昭和3年)10月。 ・『東西相触れて』 たちばな出版〈タチバナ教養文庫〉、2002年(平成14年)4月。 ISBN 4-8133-1442-2。 ※ その他、様々な出版社から発行されている。 | ||
15 12 2015-10-23 03:37:03 [編集/削除]
■ 脚注 ・ 新渡戸伝(つとう、1793-1871)は、陸奥国三本木(青森県十和田市)の開拓者として有名(岡田俊裕『日本地理学人物事典[近世編]』原書房 2011年 107ページ) ・「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは』 李登輝 小学館、2003年 ・ 鈴木満 『異国でこころを病んだとき』 弘文堂、2012年1月30日、211頁。ISBN 978-4-335-65152-6。 ・ 松隈俊子 『新渡戸稲造』 みすず書房、2010年12月20日(原著1969年)、204頁。ISBN 978-4-622-06226-4。 ・ 越澤明 『後藤新平――大震災と帝都復興』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2011年11月7日、102-107頁。ISBN 978-4-480-06639-8。 ・ 組織の上で事務総長に次ぐ地位にあったのは Deputy Secretaries-general(総長代理)とUnder-Secretaries-General(事務次官)で、それぞれ複数任命されていた ・ 長谷川 仁(1967)「明治以降物故昆虫学関係者経歴資料集 : 日本の昆虫学を育てた人々」昆蟲 35(3号補遺), 1-"98-4" ・ 盛岡市ホームページ「ウェッブもりおか」のうち「盛岡市ガイド: 太平洋の架け橋に: カナダ・ビクトリア市と姉妹都市」。 ・『官報』第2545号、「叙任及辞令」 1891年12月22日。 ・『官報』第6148号、「叙任及辞令」 1903年12月28日。 ・『官報』第1310号・付録、「辞令」 1916年12月13日。 ・ 聖路加看護大学施設ガイド | ||
16 13 2015-10-23 03:38:18 [編集/削除]
■ 参考文献 草原克豪 『新渡戸稲造1862-1933 我、太平洋の橋とならん』 藤原書店、2012年7月。 ISBN 978-4-89434-867-7。 - 生誕150年記念出版。 ■ 関連項目 ・ 岩手県出身の人物一覧 ・ 京都大学の人物一覧 ・ 第一高等学校 (旧制)の人物一覧 ・ 拓殖大学の人物一覧 - 学長に就任。 後に名誉学長。 拓殖大学においては重要な設立協力者とされている。 ・ 千葉氏 ・ 新渡戸稲造及び内村鑑三の門下生 ・ 新渡戸記念庭園 ・ 札幌丘珠事件 ・ 野球害毒論 - 新渡戸は野球を「巾着切りの遊戯」と非難していた。 | ||
17 14 2015-10-23 03:42:04 [編集/削除]
■ 外部リンク ・ 拓殖大学( http://www.takushoku-u.ac.jp/ ・ http://www.takushoku-u.ac.jp/search.html?cx=016452346945096637410%3A0kpvi7vmlie&cof=FORID%3A11&ie=UTF-8&q=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0&sa.x=7&sa.y=6 ) 拓殖大学学監 先代: 松崎蔵之助 ・ 第2代: 1917年 - 1922年 ・ 次代: 松岡均平 ・ 盛岡市先人記念館( http://www.mfca.jp/senjin/ ) ・ 十和田市立新渡戸記念館( 要求されたディレクトリへのアクセス権限がありません。 インデックスドキュメントが存在しないか、 ディレクトリの読み込みが許可されていません。) ・ 花巻新渡戸記念館( http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/505/507/p004141.html ) ・ 奥州市立後藤新平記念館 新渡戸稲造( http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/rel/07.html ) ・ 新渡戸稲造の世界( http://www.nitobe.com/ ) ・ 新渡戸 稲造:作家別作品リスト - 青空文庫( http://www.nitobe.com/ ) ・ 新渡戸稲造|近代日本人の肖像 - 国立国会図書館( http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/311.html?cat=50 ) ・ プロジェクト・グーテンベルクにおける新渡戸稲造の作品( http://www.gutenberg.org/ebooks/authors/search/?query=Nitobe_Inazo ) ・「農学」(1877-1878)講義ノート( http://ocw.hokudai.ac.jp/Heritage/Agriculture/ ) ・ 中野総合病院(東京医療生活協同組合の創立者で初代理事長)( http://www.nakanosogo.or.jp/ ・ 新渡戸稲造シンポジウム http://www.nakanosogo.or.jp/info/20150930307.html ) |
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