材大なれば用を為し難し

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私はそこで (コメント数:1)

1 Ryou 2014-01-18 19:11:40 [URL]

 私はそこで、この一組の男女が――画家なる男とモデルなる女とが――いかなる関係なればこそ、かくも同時に、幸福であり、得意であり得るかを疑つた。
 第四に、自分の描いた絵を、一々、壁にかけて置いて、朝な夕な、煙草を吹かしながらそれを眺め暮せるといふことである。
 なるほど、文士の書斎には、自著が行儀よく、本棚の中で背中を並べてゐるかもしれない。しかし、背皮の標題が語り得る範囲は、極めて狭く且つ漠然としてゐる。
 ある画家はかうも云つた。――自分の絵が永久に自分の手許から離れて行く気持は淋しい、と。それには同感できないこともないが、その気持は、また考へやうによつて、なかなかロマンチツクでいいではないか。自分の本が、二足三文で夜店に晒されてゐるなどはあんまり散文的だ。
 余談になつたが、われわれが自作を読み返す興味は、殆ど一つの努力に等しい。これに反して、画家は、さういふ努力なしに、過去の仕事を刻々振り返つて見ることができる。そして、自分の歩いて来た道を絶えずはつきりと見きはめ、そこからいろいろな刺戟と、慰藉と、希望とを汲みだすのだ。
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