材大なれば用を為し難し

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それでも大晦日の晩は (コメント数:1)

1 Ryou 2014-05-06 18:55:24 [URL]

 それでも大晦日の晩は、レヴエイヨンといつて、みんな大概レストランか何かに出かけ、知人等と食事を供にし、踊つたり、唄つたりで、夜を更かす、つまりそれが外国では、新年を迎へる気持の唯一の現はれと云へよう。その騒ぎも、夜が明ける頃には、何処もすつかり静まつて、街上にも屋内にも、平常と何の変りもない一日が来る。起きて、食堂にでも出て来ると、流石、下宿の女主人が、「お早う」の代りに「お目出度う」と云つてくれる。しかし、それもほんの軽い挨拶で、別に、その言葉から正月を感じさせてくれるやうなものではない。
 カトリック教の国に、「王様の日」といふのがある。これは偶然、日本の「松の内」にあるお祭り日であつて、向ふの人達には、新年とは関りのないものであるが、日本人である私などには、時が時なので、ちよつとその日はお正月らしい気分を味はへるものだつた。それは、聖書にある通り、基督が生れた時、東方の国の博士達が星の占ひで、ベツレヘムに偉い人が生れたと云つたのにより、東方の国の王が、その誕生を祝ひに来た、といふその日を祝ふのである。
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