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女性と社会福祉13 manolo 2013-08-31 01:03:21 manolo
人権6 manolo 2013-08-26 17:13:11 manolo
平等3 manolo 2013-08-07 21:21:45 manolo
自己決定権7 manolo 2013-08-06 19:28:38 manolo
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幸福追求権3 manolo 2013-01-18 06:19:54 manolo
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自由主義、リベラリズム、新自由主義2 manolo 2013-01-17 06:39:49 manolo
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1 manolo 2013-02-23 01:17:29 [PC]


1161 x 1012
出典: 『よくわかる女性と福祉』森田明美編著、ミネルヴァ書房、4/20/2011

1-1. 女性として生まれ、育ち、次の世代を育て、生き抜いて一生を終えるというライフステージで遭遇するさまざまな問題は、女性であることと結びついています。妊娠・出産すること、力が弱いこと、更年期や女性病にかかること、長生きであることなど、女性の固有性が、女性固有の課題となり、妊娠・出産、更年期、高齢期問題やドメスティック・バイオレンス(DV)などの困難と結びついています。(p.2)

1-2. また、こうした固有性が、妊娠・出産に伴う休暇の必要性や、生き方の変更、更年期の体調への配慮、高齢期の単身化などをもたらして、それを差別として助長する社会制度と合わさり、女性の生き方を阻み一層生きにくさを増幅させます。それがジェンダーという社会が作り出した差別(*1)です。(p.2)

*1 1979年国連採択「女性差別撤廃条約」1条は、「性に基づく区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻しているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効又は目的を有するものをいう」と定義している。


1-3. 社会福祉は、その人らしくよりよい暮らしを実現したいと思う時に、自助努力、親族などではできないことを教育・労働・保健・医療などと協力しながら社会的に支援する仕組みです。こうした社会の支援への要請は、性別、年齢、地域を問わず出されます。けれども、近年起きている女性をめぐる社会福祉問題は、そうした女性固有の特性を支えることができず、女性の生きにくさを増幅させてしまっているといえます。女性が生きていくことを支える社会福祉のあり方を考えると、社会福祉が持つ問題が見えてきます。(p.2)

4 manolo 2013-08-30 13:23:56 [PC]

出典:『よくわかるジェンダー・スタディーズ』、木村涼子他編著、ミネルヴァ書房、3/30/2013、pp.6-9(I-2. フェミニズム理論の見取り図)

2-1. 1. 近代フェミニズムの誕生
 フェミニズムとは、女性解放論一般、あるいはその思想に基づく社会運動を言います。近代社会では、一般に女性は、地位配分・資源配分・権力配分などにおいて、男よりも相対的に劣位な位置におかれました。法制度においても、市民革命後から婦人参政権実現まで、女性は男性の保護下にあるものと位置づけられ、参政権や自由権なども市民権を認められませんでした。このような女性の状態を「改善されるべき状態」と位置付け、男女の固定的な観念や役割観を変革し、女性が男性と同様に自己実現の機会を得られるような社会を求める思想と運動が、近代フェミニズムです。(p.6)

2-2.
 近代フェミニズムは、婦人参政権を中心とする第一波と、雇用など多様な社会制度や社会慣習における性差別の撤廃を求める第二波に、大きく時期区分がされますが、その出発点の一つは啓蒙思想にあります。17世紀から18世紀にのヨーロッパの啓蒙思想は、「理性を通して知ることができる基本法則により自然も人間の世界も秩序立てられ」ており、それゆえ「本来個人に備わっている理性によって、身分制社会の不合理な特権や権威を批判的に見直し、理性に適合する秩序を創出することができる」と、考えました。そこから近代人権思想が生まれました。近代フェミニズムは、このような啓蒙思想や近代人権思想の中で準備され、思想として誕生したのです。(p.6)

2-3.
 近代フェミニズムの最初の大きな著作は、1792年にイギリスのメアリ・ウルストンクラフト(Mary Wollstonecraft)によって書かれた『女性の権利の擁護』です。この著作においてウルストンクラフトは、フランス革命の自由と平等という理念を熱烈に支持し、その理念に基づく原則を女性にも適用すべきだと論じました。また、1791年、フランスのオランプ・ド・グージュは、同様の主張をもつ『女性と女性市民の権利宣言』を発表しました。これらフランス革命期のフェミニズム思想は、19世紀において台頭する第一波フェミニズム運動の思想的基礎となり、婦人参政権運動に受け継がれていきます。(p.6)

5 manolo 2013-08-30 14:30:24 [PC]

2-4. 2.婦人参政権運動と社会主義フェミニズム
 婦人参政権運動は、イギリスとアメリカ合衆国において、もっとも激しく展開されました。イギリスにおいては、ジョン・スチュアート・ミルが婦人参政権を主張し、『女性の隷従』(1869)を発表しました。アメリカ合衆国においては、1848年、ニューヨーク州セネカフォールズにおいて、エリザベス・スタントンらの呼びかけによって「女性の権利のための大会」が開かれ、婦人参政権運動が運動として組織され、「所感の宣言」が採択されました。しかし、この両国のいずれにおいても、婦人参政権は第一次世界大戦後まで実現しないままであり、その実現には、イギリスのエメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst)や、アメリカ合衆国の、スーザン・B. アンソニーら、多くの婦人参政権活動家の長い活動を必要としました。(pp.6-7)

2-5.
 他方、フェミニズムは社会主義思想のなかでも展開されていきました。イギリスに端を発する産業革命によって貧富の差が拡大し、その変革を求める社会主義思想が生まれました。いわゆる空想的社会主義者として知られるフーリエやサン=シモンは、いずれも、女性の隷属的状況を憂いその是正を主張しました。マルクス主義の流れの中では、ドイツのアウグスト・ベーベルが「科学的社会主義」の視点から女性解放を論した『婦人論』(1879)を、フリードリッヒ・エンゲルスが『家族・私有財産および国家の起源』(1884)を著わし、社会主義革命によってのみ女性問題の解決が可能だという主張を展開しました。1917年のロシア革命は、女性も男性と同様、社会的労働に従事することを原則とする社会を生み出しました。ロシアのアレキサンドラ・コロンタイは、婦人問題の社会的基礎』(1909)を著わし、ソ連成立後の社会においても、人工妊娠中絶法の確立など母子保健と女性解放のために尽力しました。
(p.7)

2-6.
 19世紀から20世紀前半にかけて、多くの国々において婦人参政権が実現すると、女性問題についての議論の主要な力点は、労働者階級の女性の貧困などの社会問題に移行することになり、社会主義フェミニズムが台頭しました。このことは、当時の多くの社会主義フェミニズムが「女性の経済的困窮などの解決は、社会主義社会の建設によってしか可能でない」という立場をとっていたため、フェミニズムの独自の展開を抑制する効果も、もたらしました。(p.7)

6 manolo 2013-08-30 15:21:44 [PC]

2-7. 3.第二波フェミニズム
 第二次世界大戦後自由主義諸国においては、社会民主主義施策が多く採用され、階級格差の是正や福祉社会の形成が一定程度進みました。また、ソ連型社会主義社会の実像があきらかにされるにつれ、ソ連とは異なる社会主義社会の建設を求める新左翼運動が生まれていきました。第二波フェミニズム運動は、これらの、1960年から70年代にかけて台頭した新左翼運動や、階級問題に還元されない環境・人種差別・性差別等の社会問題の解決を志向する「新しい社会運動」の展開の中で誕生します。多くの国々では、婦人参政権成立以降においても、男女間の格差が依然として強固に存在していました。それゆえ、その解消のために、社会慣習や社会制度に存在する性別役割分業の変革等、社会主義運動に追従するのではない固有の女性運動が必要であると考えられるようになりました。また、性差別は、環境問題や人種差別問題と同じく、西欧近代文化思想そのものに内在しているという考え方も強くなり、啓蒙思想や社会主義等近代思想の延長上に女性の解放を描いた戦前のフェミニズムとは異なるフェミニズムの必要性も主張されました。この、啓蒙思想や科学的社会主義などの近代思想そのものをも問い直そうとするフェミニズムを、第二波フェミニズムと呼びます。第二波フェミニズムには、多様な立場があります。以下、主な立場のみをあげます。(pp.7-8)

2-8.
 女性抑圧の原因を、「家父長制」的社会や「家父長制」的家族において成人する男女が作り出す支配被支配関係に求めたのが、ラディカル・フェミニズムです。ラディカル・フェミニズムは、運動と深いつながりをもち、その「個人的なことは政治的」という洞察は、第二波フェミニズム運動のスローガンとして大きな推進力を発揮しました。主な理論家としては、ケイト・ミレット(Kate Millet)や、アドリエンヌ・リッチなどがあげられます。(p.8)

7 manolo 2013-08-30 22:54:09 [PC]

2-9.
 社会主義思想の流れを汲む立場としては、マルクス主義フェミニズムが生まれました。この立場は、第一波の社会主義フェミニズムとは異なり、ラディカル・フェミニズムが明確化した「性支配」の存在を前提としたうえで、その原因を「性心理」にではなく、「女性の経済的条件に求めます。労働力再生産労働である家事労働に着眼し、「家事労働は、資本制に不可欠な労働力を産出する労働である。それが無償であることによって資本は利潤を生み出している。それゆえ資本制こそ性支配を生み出している」と主張する立場や、家事労働と市場労働双方に着眼し、「労働市場においても女性が従属的位置にいることを説明するために、『資本制』だけでなく『家父長制』概念が必要である」と主張する立場などがあります。前者としては、マリアローザ・ダラ=コスタやエリ・ザレツキー、後者にはナタリー・ソコロフやハイジ・ハートマンなどを、理論家としてあげることができます。(p.8)

2-10.
 フランスにおいては、1970年代以降、近代啓蒙思想そのものにはらまれている抑圧性を指摘する*ポストモダン思想が生まれました。その主張によれば、ヨーロッパ近代を生み出した啓蒙思想は、精神に身体を、文化に自然を、理性に感情を、西洋には非西洋を、男性には女性を従属させる思考であったといいます。ここから理性に抑圧されたものを回復することを、女性の抑圧からの回復と重ね合わせるポストモダン・フェミニズムが誕生しました。主要な理論家としては、フランスのジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)やリュス・イリガライらがいます。(p.8)

*ポストモダン思想
1970年代から80年代、主にフランス哲学のなかで展開された啓蒙主義等のモダン思想を批判的に考察する思想的立場、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなど、多様な立場がある。(p.8)

8 manolo 2013-08-30 23:01:17 [PC]

2-11.
 ポストモダン思想は、その後フランスからイギリスやアメリカに伝わり、英語圏のプラグマティズムや*シンボリック・インターラクショニズムなどの社会理論と相互に影響し合いました。ここから1990年代アメリカにおいて、**社会構築主義という立場が生まれました。この立場から見れば、1980年代までのラディカル・フェミニズムやマルクス主義フェミニズムなどは、内容的には近代社会理論の批判や再検討を含みつつも、その理論自体は、「主体と客体」「精神と身体」「物質と意識」などの二項対立概念枠組みを使用するなど、モダンの社会理論を踏襲していたという点で、問題があるということになります。(p.9)

*シンボリック・インターラクショニズム
1960年代、アメリカの社会学者H. ブルーマーが提唱した社会学の立場。人々が言語などのシンボルを用いて行う相互行為を行為者の観点から明らかにする。(p.9)

**社会構築主義(social constructionism)
社会学の一つの立場。「社会的現実」がひとびとの社会的実践によって構築されるという立場から、社会現象を記述する。(p.9)

2-12.
 この流れを受けて、アメリカのジュディス・バトラー(Judith Butler)は『ジェンダー・トラブル』(1990)を刊行し、フェミニズムを洗練された現代哲学・現代思想と結びつけました。社会構築主義の興隆は、言説分析という方法論を一般化させることにもなり、フーコーのセクシュアリティ論に依拠しつつ、ジェンダーとセクシュアリティの編成を論じる言説分析による研究も多く生まれました。1990年には、セクシュアリティの多様性についての認識が深まり、*クイア理論も誕生しました。(p.9)

*クイア理論(Queer theory)
非異性愛者を抑圧・排除する社会を解明する社会理論。(p.9)

9 manolo 2013-08-30 23:03:23 [PC]

2-13.
 このような「多様性の承認」を求める立場からすれば、単一の「女性の立場」「女性の経験」を主張することはできないことになります。実際に存在するのは、セクシュアリティ・階級・階層・エスニシティ・人種・年齢・障害の有無などを異にする多様な「女性」なのですから。それなのに「女性の立場」という言説装置を用いるならば、多数派に過ぎない人々の声を単一の「女性の声」と規定し、それ以外の「多様な女性の声」の存在を消してしまうことになるのです。しかし、「女性の立場」の存在を否定することはフェミニズムという思想と運動の存立可能性をも「問題含み」にする効果もありました。(p.9)

2-14.
 他方、1990年代の冷戦体制の崩壊によって、多くの女性が貧困化していきました。旧社会主義圏においては、市場経済の導入とともに、女性に対するさまざまな保護政策が消滅し、同様に女性の生活状況は悪化しました。自由主義諸国においても、ネオリベラリズムの台頭によって、福祉切り捨てや労働者保護撤廃の動きが生じ、家族成員のケアを引き受けることが多い女性の生活は、悪化しています。グローバル化する世界のなかで国際移動するひとびとが急増し、先進国の家事・育児・介護などを主な雇用口として移動する女性移民の比率も、急激に増加しています。21世紀フェミニズムは、グローバル化する世界の中で、あらたな理論的営為を必要としているといえるでしょう。(p.9)

10 manolo 2013-08-30 23:59:00 [PC]

出典:『Issues in Political Theory(2nd Ed.)』、Catriona McKinnon、2012、Oxford University Press

3-1. What is feminism?
There are many varieties of feminism, just as there are many varieties of liberalism or
egalitarianism. But it is possible to identify three theses that all feminists support, in one form or another. These theses are:

- the entrenchment of gender;
- the existence of patriarchy; and
- the need for change.
(p.235)

3-2. The entrenchment of gender
The first feminist thesis is the idea that society is deeply gendered and that gender is (still) one of the most important social cleavages (factors that devide society). All feminists argue that an understanding of gender is crucial to an understanding of society. Gender might be one of the most significant features of an individual's identity, defining who she is and how she understands herself. It might be a key feature of resource distribution, determining or sttrongly influencing a person's relative wealth or poverty. Gender might also play a fundmental role in social hierarchies, explaining why some people enjoy greater status or respect than others. (p.236)

3-3.
Feminists differ on the specifics of the entrenchment of gender. For some, gender is the most important factor explaining these phenomena, whereas for others, it is one factor among many others, such as race or class. (p.236)

11 manolo 2013-08-31 00:17:57 [PC]

(「女性と社会福祉」続き)

3-4. The existence of patriarchy
The second feminist thesis claims that gender is not neutral in its effects, but casts women as inferior. All feminists argue that social structures based on gender disadvantage women. In other words, gender does not simply differenciate between women and men: it creates a hierarchy with men at the top and women at the bottom - or a patriarchy. The word 'patriarchy' literally means 'rule of the father', but its most common meaning in feminism is simply a society that advantages men and disadvantages women, regardless of who are the formal leaders. It is therefore possible to describe a society as patriarchal even if it has a woman leader (such as the Queen or former Prime Minister Margaret Thatcher in Britain). (p.236)

3-5. Again, the existence of patriarchy is compatible with a range of feminist thought. It need not imply that men consciously act to maintain their dominance, or that they conspire or desire to keep women inferior. Patriarchy my be maintained through informal or opaque structures, such as social norms - that is, informal rules about how people ought to behave. (p.236)

3-6. The need for change
Finally, all feminists argue that patriarchy is unjust and needs reform. Feminism is thus an essencially normative and reforming, or revolutionary, movement. The third thesis of feminism distinguishes feminists from others who believe that a gender hierarchy exists, but who do not criticize that fact. Such people may advocate gender hierarchy for reasons of religion, tradition, or apparent biological necessity. (p.236)

3-7.
Again, feminists differ in their views as to the sorts of changes that are necessary. For some, legal change is suffcient - for example, so that women are protected by anti-discrimination legilation. For others, change in social norms is needed, such that women are no longer seen as destined for motherhood and domestic work, for example. For still other feminists, even deeper change is needed, because patriarchy is rooted deeply in our attitudes and preferences. (p.236)

12 manolo 2013-08-31 00:52:13 [PC]

(「女性と社会福祉」続き)

3-8.
Nonetheless, all feminists share the goal of gender equality. They want wpmen and men to have an equal status, and to enjoy equal respect. For most feminists, an important part of gender equality is equality of opportunity and, for many, greater equality of resources is also needed. (pp.236-237)

3-9.
Feminists are also concerned to increase or protect women's freedom. For many feminists, women should be free to choose their own ways of life and should not be constrained by traditional or steretypical rules about 'feminine' behaviour. (p.237)

3-10. (Key Concepts) First-wave feminism.
First-wave feminism refers to women's suffrage movements of the late nineteenth and early twentieth centuries. First-wave feminists, such as Sylvia, Emmeline, and Christabel, Pankhurst, Mary Wollstonecraft, John Stuart Mill, and Sojourner Truth, argued that the rights that men enjoyed should be extended to women. Some first-wave feminists based these arguments on claims that women were men's equals; others argued that women's reason was superiot to that of men. All argued that women's interests were not reducible to those of their husbands and that women consequently needed to be able to vote for themselves. (p.237)

3-10. (Key concepts) Second-wave feminism
Second-wave feminism refers to the resurgence of feminist activism, particularly radical feminism, in the 1960s and 1970s. It is associated with feminists such as Shulamith Firestone, Andrea Dworkin, Germaine Greer, and Mary Daly. Key themes of the second-wave feminism include: the attack on male violence towards women, partucularly sexual violence; the rejection of 'feminine' norms such as sexual submissiveness and participation in beauty practices; the critique of enforced female domesticity; a critique of heterosexuality as inherently hierarchical, with political lesbianism sometimes advocated; and the insistence on female solidarity and sisterhood. (p.238)

13 manolo 2013-08-31 01:03:21 [PC]

(「女性と社会福祉」続き)

3-11. (Key concepts) Post-feminism
Post-feminism signifies resistance to the themes of second-wave feminism. Feminists such as Camille Paglia, Katie Riophe, and Pat Califia are associated with post-feminism. Key themes include the ideas that: women must see themselves as agents, not as victims, and that a focus on violence undermines women's agency; sexuality should be thought of as liberating and that all consensual sex should be celebrated; feminism should focus on women's material equality, rather than on symbolic aspects of gender; and femininity, including participation in beauty practices and gendered dress, is compatible with equlaity. Natasha Wlater's book 'The New Feminism' (1998) is a key post-feminist text, but Walter recants her post-feminism in her most recent book 'Living Dolls: The Return of Sexism (2010). (p.238)
 
1 manolo 2013-08-26 14:55:58 [PC]


258 x 195
出典:「初めての人権」(2008)、上田正一他編、法律文化社、pp.1-6

1-1. 1. 人権の定義
【人権とは】
 一口で人権といえば、人の権利のことである。一般的には基本権と呼ばれたり、日本国憲法第3章に書かれている基本的人権に代表される国民一人ひとりの、個人が持つ権利と説明されることが多い。それも国家から与えられる権利ではなく、人間一人ひとりが生来持っている権利とされる。こういった考えはトーマス・ホッブス、ジョン・ロック、ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論者によって提起され、近代的な自然権思想として確立した。(p.1)

1-2.
 人間がこの地上に初めて現れた状態を自然状態といい、そこで人間はホッブスによれば、自然権を持つとされ、その内容は生命権と自由権とされる。人口が増大するにつれて、それらの権利も衝突し、平和な世界から、互いに対立と抗争を引き起こす修羅の世界を現出する。ホッブスは「万人の万人対する闘争」と表現した。人間は平和を取り戻し、自らの自然権を保護するために、国家を築き強制力を持った専制王政に自然権を委ねるとする。社会契約説である。ロックはこれに反発し、自然権は人間個々人に備わった権利であり、この権利の円滑なる実態保障のために、国家に委託する契約をしたのであるから、保障がなされない場合には国家に反抗する権利・抵抗権(革命権)があるという。ロックは生命権・自由権に財産権を加えて自然権とした。国家の権力が強大化すれば、専制化して危険であるので、三権に分立し、互いに牽制してこそ意義があるとした(p.1)

1-3.
 人権観念が成立した後も人権が国家によって保護されたかというとそうではない。上記思想家の影響を受けて革命がなされたとされる英米仏のその後の歴史においても、国家の人権侵害に対し、抗議し、戦い、人権確立に向けての格闘してきた歴史であった。大量虐殺も国家の安寧と秩序を守るためという目的で正当化された。国家が国民に対して人権を侵害している度合いは、国によって今なお様々である。(pp.1-2)

2 manolo 2013-08-26 15:27:30 [PC]

1-4.
 また実体的には人権は生来のものといいながら絶対的かというとそうでない。まず人権が侵害される場合には、人権の侵害が許される。国家が「公共の福祉」をあげて、人権を制限し、規制するなどの侵害がなされる場合である。(p.2)

1-5.
【人権宣言】
 人権の歴史はイギリスから語られることが多い。1215年のマグナ・カルタ、1628年の権利の請願、1689年の権利の章典である。これらは近代人権宣言の前史として位置づけられ、人権というよりも国民権と呼ぶべきだとされる。近代的・個人主義的な人権へと発展するについては、ロックやルソーの説く自然権思想に基づく社会契約説が中心的役割を果たした。1776年、アメリカ独立革命への影響では、アメリカ各州憲法にみられる人権宣言規定にみられる。なかでもヴァージニア憲法1条では、「すべての人は、生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は、人民が社会を組織するに当たり、如何なる契約によっても、その子孫からこれを奪うことのできないものである。」と定めた。また、1789年、フランス革命で発せられたフランス人権宣言(「人および市民の権利宣言」)は、その後のヨーロッパ各国で制定されていく近代立憲主義の憲法に影響を及ぼした。1条では「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくのでなければ、設けられない」と、自由及び権利の平等について記し、4条で自由を定義し、権利の限界を示して、「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなくては定められない」とした。しかし、19世紀から20世紀前半にかけての各国憲法は主として「国民」の権利を認める内容が多くて、この時期の人権を「外見的人権」であるという。(pp.2-3)

3 manolo 2013-08-26 15:56:36 [PC]

1-6.
【世界人権宣言】
 第二次世界大戦期のナチズム・ファシズムの体験は世界の憲法事情を大きく変え、初期の人権思想が見直され、人間が人間であることの論理必然的結果として享有される人権観念が一般化した。人は法律によって保護されるという観念から、人権は法律によっても侵害できないという法への信頼へと転じられた。日本においては1946(昭和21年)制定の日本国憲法に基本的人権として規定された。国際的には1948年12月、第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されて、前文で述べるように「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義および平和の基礎である」とし、「人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来のが、一般の人々の最高の願望として宣言され」、「人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護すること」、「諸国間の友好関係を促進することが肝要である」。よって「国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意した」。(p.3)

1-7.
【日本国憲法の成立】
 明治憲法は欽定憲法であり、天皇統治である。73条の改正条項に基づいて現行憲法が制定されたというが、天皇統治の基本的性格を捨てて国民主権の憲法への改正はあり得ないとされる。この理論上の矛盾を宮沢俊義はポツダム宣言を受諾した段階で、天皇統治が否定され、国民主権が成立したという一種の革命が起きたとする八月革命説を主張した。このほか制定の過程で日本側が創ろうとした松本国務大臣案が保守的なのに驚いた連合軍総司令部は所謂「マッカーサー三原則」を提示して草案に織り込むことを命じた。①天皇元首、皇位は世襲、国民の基本的意思に責任を負う。②戦争放棄。③封建制度の禁止。「押しつけ憲法論」が出たが、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の基本原則を評価するものも多い。(p.4)

4 manolo 2013-08-26 16:40:24 [PC]

1-8. 3.基本的人権
【国家からの自由】
 日本国憲法第3章には「国民の権利及び義務」を規定している。ここで、保障されている自由・権利を成り立ちや性質で分類してみる。以下は一応の分類であって、分類の仕方は学者によって多少の相違がある。第一は国家からの自由である。国家が国民に干渉しなければ、それだけで国民の自由や権利が保障されるので、消極的権利(自由権的基本権)と呼ぶこともある。これには思想・良心の自由(19条)、信教の自由と政教分離(20条)、表現の自由(21条)、学問の自由(23条)、の精神的自由権と、財産権(29条)、職業選択の自由(22条1項)の経済的自由権とと、居住移転・外国移住・国籍離脱の自由(22条1項・2項)、奴隷的拘束・苦役からの自由(18条)の身体的自由権に加えて法廷手続きの保障(31条)、その他刑事手続き上の保障(33条~39条)がある。(pp.4-5)

1-9.
【国家への自由】
 第二は国家への自由である。国家による国民生活への関与を求める自由である。国家が国民に対して一定の積極的な行為を為すように要求する権利である。積極的権利(社会権的基本権)と呼ばれる。これには生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、労働基本権(27条、28条)の社会権と、裁判を受ける権利(32条)、国家賠償請求権(17条)、刑事補償請求権(40条)の受益権がある。(p.5)

1-10.
【国政参政権】
 第三は国家の意思決定に国民が参加する権利である。能動的権利(参政権あるいは市民の権利)と言われる。これには参政権(15条―公務員の選定罷免権・公務員の本質・普通選挙の保障・秘密投票の保障、請願権(16条)がある。(p.5)

5 manolo 2013-08-26 16:52:59 [PC]

1-11.
 さて、第一で「国家からの自由」として考えられた諸権利を古典的権利として位置づけることもあるが、「古典的」とくくる場合には、第二の社会権的基本権に列記した「裁判を受ける権利」、「国家賠償請求権」、「刑事補償請求権」と、第三に掲げた「請願権」も古い歴史を持っているがゆえに、同じく古典的権利とするのが適当である。近代以前の社会では国民にとって、「立法」はいまだ無縁なものであり、「裁判」こそが権利救済の有効な手だてであるために、「裁判を受ける権利」の保障には重大な意義があるのである。また公権力に違法性が認められても、古くは「国家無責任」、「主権免責」の原則をもって、国民は損害の賠償を認められなかったが、大日本帝国憲法の下では、非権力活動から生じた損害については、民法の規定により国や公共団体の賠償責任が認められるようになった。(p.5)

1-12.
【新しい人権】
 このほかに、日本国憲法に明記されていない人権に、「新しい人権」と呼ばれるものがある。憲法制定時にはこれらの「新しい人権」と呼ばれる諸権利は、権利として考えられていなかった。しかし、前項で見てきた古典的自由権に社会権が加わって、人権は一層充実していくのであるが、国家からの自由や妨害排除から、国家から積極的是正措置の要求にむかってゆく方向の中で、「新しい人権」が創出されている。自由権、社会権に次ぐ、「第3世代の人権」と呼ばれ、人びとに歓迎されてきた。他方、「新しい人権」が次々と国民の要求によって生み出されてくる状況を人権のインフレ化と捉え、人権の価値が下落していくことへの危惧や裁判官の主観が入る余地を広げることへの危険性を指摘する学者もいる。「新しい権利」は一般の幸福追求権から導き出される人権と考えられる。これまで主張されてきたものは、プライバシーの権利、環境権、自己決定権、日照権、静穏権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権、アクセス権及び平和的生存権など多数にのぼる。(pp.5-6)

6 manolo 2013-08-26 17:13:11 [PC]

1-13.
【人権の私人間効力】
 憲法の基本的人権の規定は公権力との関係で論じられてきた。国民の権利や自由を国家から保護するもの、防衛権と考えられてきた。私人間の人権侵害は私的自治の原則に委ねられ、公権力は及ばないものとされてきた。しかし、高度に資本主義が発展してくると国家権力に匹敵するような社会的実力を持ち、個人に対峙する強力な類似団体としての存在が問題となってきた。企業、労働組合、経済団体、職能団体などの私的団体である。そこで、このような社会的権力からも国民の人権を保護する必要があるのではないかとする議論が生じてきたたのである。戦後日本人の人権は、自然権思想に基づいて個人の尊厳を最高価値とする背景の中で実定されたきた。その意味で人権は公法私法を包括する全法秩序の基本原則であるから、すべての法領域に対応するものである。よって憲法の人権規定は私人による人権侵害に対しても何らかの形で適用されなければならないとされる。

1-14.
 私人間効力については、アメリカの法理を援用しつつ、ステイトアクション(State action)の名で呼ばれる「私人の行為をなんらかの仕方でStateの行為と同視することによって、憲法上の要請をそこに及ぼす技術」とか、アファーマティブ・アクション(affirmative action)で知られる差別解消に向けて、さらに国家の積極的措置が取られるべきであるとする説も有力になってきている。(p.6)
 
1 manolo 2013-08-07 20:10:36 [PC]


170 x 193
出典『よくわかる憲法』(2006)工藤達郎編、ミネルヴァ書房

1-1. 「平等」の意義
 日本国憲法14条は、「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的、又は社会的関係において、差別されない。」と規定しているが、この条文の持つ意味は、ことのほか重い。(p.44)

1-2. 『平等』の理念は、人権の歴史において、『自由』の理念とともに、常に最高の目的とされてきた。しかしながら、この二大憲法理念ともいえる『自由』と『平等』は相反する側面も有している。すべて個人を法的に均等に取り扱いその自由な活動を保障するという形式的平等(機会の平等)は、資本主義が進むにつれ、持てる者はさらに富み、持たざる者はさらに貧困に陥り、結果として、各個人に不平等をもたらした。法の上での自由・平等は、事実面での不自由・不平等を生じさせてきたのである。(p.44)

1-3. 従ってここで、人々を自由な競争状態におくだけではなく、競争の結果得られた利益(成果)にもある程度の均衡を実現させることこそが真の平等だという視点が出てくる。このような平等を実質的平等(結果の平等)という。(p.44)

1-4. 平等実現の方法
 現実の社会生活の中で『平等』を実現する手段の一つが法律である。例えば、就職や昇進における女性差別に対しては男女雇用機会均等法があるし、障害者差別に対しては障害者基本法等がある。しかし法律があれば万全というわけではない。法律の内容自体が差別を助長するものでは困るから、当然、*法内容の平等も意味されている。そして、せっかく平等を実現するための法律が議会で制定されても、その法律を使う側がこれを恣意的に用いたのならば意味がない。よって憲法が求める「法の下の平等には、**法適用の平等も含まれる。(p.44)

*法内容の平等
法を定立する立法権に対し、内容において平等な法律を作るように拘束する原則。(p.44)

**法適用の原則
法を執行し適用する行政権・司法権が国民を差別してはならないという原則。(p.44)

2 manolo 2013-08-07 20:38:13 [PC]


276 x 182
1-5. 以上を前提として、平等の実現が図られるわけであるが、差別の訴えは後を絶たない。日本社会で実際に生じている差別問題としてよく耳目に触れるものとして男女差別や外国人差別などがあるが、それ以外に*アイヌ差別等の人種差別や部落差別も存在する。また、家族という制度から生じる差別にも注意が必要である。憲法に平等条項があるのに、このような差別が存在することの理由はいくつか考えられる。①法律も存在してしない現実の差別。②平等保護以外の目的による法制度の結果として生じる差別。③実質的な平等保護目的のための法律によって生じる差別、等である。①は憲法14条違反としての裁判救済、または当該差別撤廃のための法律制定等で解決がはかられる。②については、ある法律を制定する際には**相対的平等の観点より合理的な「区別」を根拠として、特定範囲のものだけにその法律が適用されることになる。その「区別」が実は「差別」であることにより生じる。③に対しては、近年、積極的差別是正措置に対して、***逆差別が生じるという問題が指摘されている。(p.44-45)

*アイヌ差別
北海道のアイヌ民族に対する日本人同化政策により、アイヌそしての誇りや文化が剥奪された問題がある。ダム建設による土地収用採決が争われた二風谷ダム判決(札幌地判平成9年3月27日判時1598号33頁)により、アイヌ民族を「先住民族」であること、その文化が不当に無視されていることが認められた。

**相対的平等
各人の性別、能力、年齢、財産、職業、又は人と人との特別な関係など事実的・実質的差異を前提に、法の与える特権の面でも法の課する義務の面でも、同一の事情と条件の下では均等に取り扱うこと。労働条件上女子を優遇し、各人の資力に応じて税額に差異を設けることなどは一般的に違憲とはいえない。(p.44)

***逆差別
積極的差別是正措置によって、いままで利益を享受していたとされる集団に属するものが、その能力に見合うだけの結果を受けられない現象が生じてしまうこと。例えば、女性の管理者が少数であることが男女平等に反するとして管理職の一定数を女性に割り当てる措置によって、本来、その対立候補の女性とを比較したならばその地位を得ていた管理職候補の男性が受けている状態を逆差別という。(p.45)

3 manolo 2013-08-07 21:21:45 [PC]

1-6. 平等違反の審査方法
 現実に生じている差別を救済し、あるいは差別の存否を判定することには憲法14条を根拠に裁判所が一定の役割を果たす。しかし、先述したように、そもそも法律を制定する作業自体が「区別」を前提に行われるものであるから、問題は、かかる「区別」が合理的か不合理(=差別)かということになる。その判断方法は、①立法目的、②立法目的達成のための手段(規制手段)を、それぞれ、またその相互関係について、その合理性を支える社会的・経済的・文化的な事実背景があるかどうかをみていくことになる。(p.45)

1-7. この判断方法を原則に、学説上いくつかのアプローチが唱えられている。ひと口に「平等」といっても、様々な場面での平等が考えられるからである。(p.45)

1-8. 精神的自由と経済的自由とのそれぞれの制約に対する違憲審査方法に濃淡を設ける「二重の基準の理論」に従えば、精神的自由を制約することに付随する差別に対しては、立法目的が必要不可欠で、立法目的達成が是非とも必要な最小限度のものかどうか(=「厳格審査」)が検討される。経済的自由に関連してくる平等問題には、より緩やかな判断でよい。具体的には、経済的消極目的規制に対しては、立法目的が重要なもので、目的と手段の間に実質的関連性が求められる(=「厳格な合理性の基準」ないし「中間審査」)とし、経済的積極目的規制には、立法裁量が広範に認められるので、立法目的が正当であり、目的と手段の間に合理的関連性があれば足りる(=「合理性の基準」)。(p.45)

1-9. また、14条1項後段の列挙事由「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」が歴史的に特に差別を受けていたことから、これらに該当する差別に対し、区別を設けることに合理性があるとの立証責任が公権力側にあるとされる。また*列挙事由のうちでも、その性質に従い、審査方法は厳格審査(人種、信条)と中間審査(性別、社会的身分、門地)に区別される。(p.45)

*列挙事由
これらの列挙事由に対してのみ「法の下の平等」が適用されるとする制限列挙説と、これらの自由は単なる例示にすぎず、これに該当しない差別であっても、しれが不合理なものであるかぎり平等違反になるとする例示列挙説が存在したが、後者の例示列挙説が判例・学説ともに認められている。(p.45)
 
1 manolo 2013-08-05 17:36:40 [PC]


160 x 185
出典『よくわかる憲法』(2006)工藤達郎編、ミネルヴァ書房

1-1. 自己決定権の意義
 「自分のことは自分で決める」という考え方は、近代市民社会を成立させる上での前提ともなった考え方です。例えば、政治の世界ではこの考え方が国民の自律による政治、すなわち民主制として表現され、社会生活においては*私的自治の原則として表現される。そして、この考え方を人権の領域で表現するのが「自己決定権」である。自己決定権は、個人がいかに生き、いかに行動するかを他人の干渉を受けずに自ら決めることを保障している。(p.40)

1-2. このような重要な意味をもつ自己決定権であるが、日本国憲法は自己決定権を個別の人権としては定めていない。これは、そもそも人権が自己決定権を当然の前提としている(たとえば表現の自由は「表現行為についての自己決定権」である)。という事情によるところが大きいが、近年、個別に設定された人権ではカバーできない自己決定の問題がクローズアップされるにしたがって、新しい人権としての自己決定権の重要性が説かれるようになってきた。こうした自己決定権は、一般に、13条の幸福追求権に含まれると考えられている。(p.40)

*私的自治の原則
 社会生活において、個人の自由な意思を尊重し、個人の意思に基づいて私法関係が形成されることを基本とする原則。近代市民社会の重要な原則であり、個人の自由な領域には国家が干渉せず、個人の意志によって社会秩序が形成されるべきことを意味している。契約の自由とほぼ同義。(p.40)

1-3. 自己決定権の内容
 自己決定権が一体どのような権利を個人に保障するかについては、幸福追求権を人格的利益説で理解するか、それとも一般的自由説で理解するかによって大きくその内容が異なる。人格的利益説に立つ場合、自己決定権の内容も「人格的生存に不可欠な事項」という基準によって限定されることになる。これに対して、一般的自由説の場合は、あらゆる生活領域における行為の自由を保障するものであるため、たとえ他人から見れば些細な自己決定であっても、その本人にとって重要であれば、それは自己決定の保障を受けることとなる。(p.40)

1-4. 自己決定の具体的内容としては①「リプロダクション(生殖活動)にかかわるもの、②生命・身体の処分に関わるもの、③ライフスタイルにかかわるものが問題になることが多い。(p.40)

2 manolo 2013-08-05 17:59:47 [PC]


273 x 184
1-5. リプロダクションに関わる自己決定権
 子どもを持つか否か、もつ場合はいつもつか、といった事柄について決定する権利は、自己決定論の中心的論点であった。アメリカでは、女性が妊娠中絶する権利が自己決定権の一つとして憲法上の保障を受けることが*ロー対ウェ-ド判決以降確立している。この考え方によると、母体の健康といった重要な利益に基づかずに妊娠中絶を禁止することは違憲になる可能性が高い。

1-6. 日本の学説上も、妊娠中絶を含むリプロダクションに関わる自己決定権は個人の人格的生存に不可欠だと考える立場が多数であり、人格的利益説に立つ場合でもこれを憲法上の権利と認めることが多い。ただし、妊娠中絶が単に女性の自己決定権だけの問題にとどまるのかは慎重に考える必要があり、その意味で胎児の生命権を重視して中絶自由化立法を違憲と判断したドイツの**第一次堕胎判決が参考になるだろう。(pp.40-41)

* ロー対ウェイド判決
 テキサス州刑法の堕胎罪規定が国民の人権を保障したアメリカ合衆国憲法に違反していないかどうかが争われた事件において、1973年に連邦最高裁が下した判決。連邦最高裁は、妊娠7カ月未満での妊娠中絶を女性のプライヴァシー権に属する事項とした上で、堕胎罪規定を国民のプライヴァシー権を侵害するものと認定した。(p.41)

**第一次堕胎判決
 妊娠期間の長短や中絶の理由に拘わらず、一律に中絶を禁止していた刑法を改正して、妊娠12カ月以内の妊娠中絶を自由化しようとしたところ、この改正が胎児の生命権を侵害していないかが争われた。1975年の連邦憲法裁判所判決は、生命は人間の尊厳の不可欠の基盤であり、他のすべての基本権の前提であるとの立場をとり、中絶が常に胎児の生命を抹殺するものである以上、女性の自己決定権よりも胎児の生命権が原則として優越すると結論づけた。(p.41)

3 manolo 2013-08-05 18:49:09 [PC]

1-7. 生命・身体の処分に関わる自己決定権
 治療拒否や安楽死・尊厳死といった生命・身体の処分に関わる事柄についても自己決定権が主張される。この点、治療拒否にしろ、安楽死・尊厳死にしろ、それらについての自己決定権を認めることは、「死ぬ権利」を認めることにつながるとの観点から、批判的な見解もある。しかし、学説の多数はこれらを人間の人格的生存の根源に関わるとして、憲法上の権利と認める傾向にある。(p.41)

1-8. 治療拒否の自己決定権との関係では、とりわけエホバの証人輸血拒否事件が重要である。この事件では、自己の信ずる宗教の教義に基づいて輸血拒否をしている患者に対して、手術中に緊急の必要から輸血をした医師の行為が、患者の自己決定権を侵害しているのではないかが問題とされた。第一審の東京地裁は、患者の自己決定権と人の生命の保持という対抗関係を前提とした上で、生命の価値が優位するとの判断を下した(東京地判平成9年3月12日民集54巻2号690頁反夕964号82頁)。しかし、これに対して控訴審の東京高裁は、自殺や救急治療と言った特別な場合を除いて、患者の自己決定権が尊重されるべきと述べた(東京高判平成10年2月9日高民集51巻1号1頁)。最高裁も、自己決定権という語を避けたが、宗教上の理由から輸血拒否をする権利を人格権の一内容とみて、その優位性を認めている(最判平成12年2月29日民集54巻2号592頁)。(p.41)

1-9.安楽死・尊厳死については、これらに関わる自己決定権の憲法上の位置づけを正面から争った事例は日本では存在しない。しかし、エホバの証人輸血拒否事件控訴審判決は、尊厳死を選択する自由も自己決定権として認められるべきだと述べている。また、この種の事例の蓄積が多いアメリカでは、*カレン・アン・クインラン事件以来、一定の条件下で生命維持治療を拒否する権利が憲法上の権利(プライヴァシー権)として承認されることも参考になる。

1-10. こうした生命・身体の処分にかかわる自己決定を考える場合、とりわけ医師との関係においては、インフォームド・コンセントの法理が重要な役割を果たす。説明を十分に受けた上での同意(自己決定)というプロセスを踏んでこそ、その自己決定が尊重されるというのが、近時の有力な見解である。(p.41)

4 manolo 2013-08-05 18:49:31 [PC]


176 x 261
*カレン・アン・クインラン事件
持続的な植物状態にある患者の両親が、病院に対して人工呼吸器の使用を含む通常外の治療を中止するよう要求したところ、病院側がこれを拒否したため、両親が治療打ち切りを認めるよう裁判所に訴えた事件。1976年にニュージャージー州最高裁は、生命維持治療の中止を決定する権利をプライヴァシー権の一環と位置付け、本人の意思に反して生命維持治療を継続することは許されないと判示した。(p.41)

5 manolo 2013-08-06 18:53:47 [PC]


276 x 183
出典『よくわかる憲法』(2006)工藤達郎編、ミネルヴァ書房

2-1. ライフスタイルに関わる自己決定権
 髪型・服装のような身なりの問題から、飲酒・喫煙、スポーツといった嗜好・趣味の問題までを広く含むライフスタイルの自己決定権は、これを憲法上の権利として認めるか否かについて最も学説の評価が分かれる領域である。人格的利益説の場合、髪型や服装については憲法上の権利と認める傾向が強いが、それ以外の事柄は必ずしも人格的生存に不可欠とまでいえず、憲法によっては保障されないと理解する。これに対して、一般的自由説の場合は、「人格的生存に不可欠かどうか」といった基準をもたないため、こうしたライフスタイルに関わる自己決定権を広く憲法上保障されたものと見ることとなる。(p.42)

2-2. 判例は、下級審の中に、「髪型を自由に決定しうる権利は……憲法13条により保障されている」とするもの(*修徳学園高校パーマ事件)や、バイク免許取得免許の自由を13条によって根拠づけるもの(**高松高判平成2年2月19日)もあるが、全体としてライフスタイルの自己決定権を認めるのに消極的である。修徳学園高校パーマ事件最高裁判決も、この問題が私人間相互の関係に関わるものであることを理由に、私立学校の校則について「それが直接憲法の右基本権規定に違反するかどうかを論ずる余地はない」と述べ、ライフスタイルの自己決定権に言及せずに判断を下している(最判平成8年7月18日判事1599号53頁)。(p.42)

*修徳学園高パーマ事件
 私立高校の生徒が、校則に違反してパーマをかけたことなどを理由に自主退学の勧告を受け、その後勧告に従って退学したが、同勧告の違法性、パーマを禁止する校則の違法性などを主張して卒業認定を請求する訴訟を提起した。第一審の東京地裁は、髪型決定の自由を憲法13条によって保障されるものと認めたが、校則が髪型決定の自由を不当に制限するものとまでは認定しなかった。(東京地判平成3年3月21日判時1388号3頁)(p.42)

6 manolo 2013-08-06 19:11:27 [PC]

**高松高判平成2年2月19日(判時1362号44頁)
校則に違反して原付免許を取得したため、謹慎措置を受けた県立高校の生徒が、校則は単なる訓示規定であり、その違反を理由とする本件措置は違法であると主張して県に損害を求めた事案の控訴審判決。高松高裁は「憲法13条が保障する国民の私生活自由の一つとして、何人も原付免許習得をみだりに制限禁止されない」としながら、その自由の制約と学校の措置目的の間に合理的関連性があることを理由に請求を認めなかった。(p.42)

2-3. タバコ:未決拘禁者喫煙禁止訴訟
 公職選挙法違反の容疑で未決拘留中だったものが監獄内での喫煙を希望したところ、監獄法施行規則が在監者の喫煙を禁止していることを理由にこれを拒否されたため、監獄法施行規則の条項が違憲無効であると主張して国家賠償を請求した。第一審・控訴審ともに喫煙の自由が憲法により保障されるとしながらも、禁煙措置が拘禁目的の達成のために必要だとの理由から請求を棄却した。(p.43)

2-4. 最高裁は、「喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」と述べ、監獄内の秩序維持や拘禁目的の達成を理由として、監獄内での喫煙禁止は13条に違反しないと判示した(最判昭和45年9月16日民集24巻10号1410頁)(p.43)

2-5. 本判決は喫煙の自由を憲法上の権利であると主張するための根拠としてしばしば用いられるが、最高裁の趣旨は必ずしも明確ではない。むしろ、「含まれているとしても」という仮定法や、喫煙禁止が公共の福祉による制約として許容される点に重きがおかれていることなどから、最高裁の態度を消極的にみる見方が有力であるといえるだろう。(p.43)

7 manolo 2013-08-06 19:28:38 [PC]

2-6. その他
 酒やたばこの問題以外にライフスタイルの自己決定権が論点になった最高裁判例としては、賭博行為に関するもの(*最大判昭和25年11月22日)や、個人鑑賞目的によるわいせつ表現物の輸入に関するもの(**再判平成7年4月13日)などがある。前者は娯楽の自由を、後者は個人鑑賞目的でのわいせつ物輸入の自由をそれぞれ13条に根拠づけようとする主張がなされたが、最高裁はその主張に明確には答えていない。こうした最高裁の判決が自己決定権の内容を十分に検討せずに結論を出している点については、学説の批判が強い。(p.43)

*最大判昭和25年11月22日(刑集4巻11号2380頁)
賭場を開帳し、花札賭博を行ったため、賭博開帳図利罪に問われ有罪判決を受けた被告人が、賭博開帳図利行為は公共の福祉に反しない娯楽の自由の範囲内だと主張し、憲法13条違反などを理由に最高裁に上告した。最高裁は、賭博に関する行為を公共の福祉に反するものと位置づけ、上告を棄却した。たお、被告人は憲法13条の解釈において一般的自由説を展開したが、最高裁はこれになんらコメントしていない。(p.43)

**再判平成7年4月13日(刑集49巻4号619頁)
個人的干渉のためのポルノグラフィーを輸入しようとした者が、関税法109条の刑事罰に問われた事件。第一審で有罪となった後、控訴審(東京高判平成4年7月13日)では、個人的鑑賞の場合関税法109条が適用されないとして無罪となったため、検察官が上告した。最高裁は、国内における健全な性的風俗を実効的に維持するためには、わいせつ物の輸入を一律に規制することも13条、31条に反するものではないとした。(p.43)
 
1 manolo 2013-02-21 19:26:16 [PC]


191 x 264
出典: 『よくわかる国際法』 大森正仁、ミネルヴァ出版、4/5/2008、pp.148-149

1-1. テロリズムとは、ある集団が第三者に恐怖状態を作り出すために暴力を組織的に使用し、ある目的を達成する手段をいう。テロリズムの主体は、国である場合もあるが、多くの場合は私的集団(いわゆる「非国家主体」)である。テロ行為の容疑者、行為地、被害者、対象国、テロ組織の拠点などが複数国に広がっている場合、国際テロリズムと呼ばれる。一般市民に無差別かつ大規模な危害を加える国際テロリズムの防止は、国際社会の課題となっている。(p.148)

1-2. 国際法がテロリズムを規制する際に直面するのは、テロリズムの定義の問題である。近年の事例だけでも、イラクやアフガニスタン等で頻発する事件、イスラエルにおけるパレスチナ人による事件、2001年の米国の9.11事件、2004年スペインの列車爆破事件、同年ロシア連邦・北オセチア共和国の学校占拠事件、2005年英国の地下鉄爆破事件等、これらすべてを包括的に定義することは困難である。1996年国連総会によってテロリズムに関するアドホック委員会が設立され、包括的テロリズム防止条約の作成が審議されているが、当該条約の対象犯罪であるテロリズムの定義をめぐり難航している。各国の国内法による対応が国際法に先行している現状である。(p.148)

1-3. これまで、テロリズムの手段として行われる特定の行為(ハイジャック・シージャック、国家代表に対する犯罪、人質等)が個別に禁止され、その訴追・処罰を確保する多数の普遍的条約が成立してきた。これらの条約の共通点として、(1)犯罪行為の構成要件を規定し、国内法の犯罪として重い刑罰を科すこと、(2)裁判権を設定すること、(3)容疑者が所在する国はその身柄を確保し、「引渡か処分か」の義務を負うこと、(4)犯罪人引渡に関して、引渡条約が別途ある場合はその犯罪を含めることとし、ない場合は当該条約自体を引渡条約とみなして引渡すこと、ことがある。(p.148)

2 manolo 2013-02-21 19:26:55 [PC]

1-4. 現在審議中の非公式草案では、暫定的に以下のように定義されている。(テロリズムに関するアドホック委員会報告書、2002年、UN. Doc A/57/37)

第2条「条約上の犯罪」
1. 不法かつ故意に行われた以下の行為は、集団のいかんを問わず、この条約上の犯罪とする。
(a)人の死又は身体の重大な傷害
(b)公的及び私的財産に対する重大な損害(公共のように供される場所、国若しくは政府施設、公共の輸送機関、基盤施設、または環境を含む。)
(c)(b)に定める財産、場所、施設 又は機関に対する損害であって重大な経済的損失をもたらし又もたらすおそれのあるもの。ただし、当該行為の目的が、その性質上の又は状況上、住民を威嚇し又は何らかの行為を行うことを若しくは行わないことを政府若しくは国際機関に対して強要することである場合に限る。
2. 1.に定める犯罪を実行するとの信憑性ある重大な脅迫も犯罪とする
3. 1に定める犯罪の未遂も、犯罪とする。
4. 次の行為も犯罪とする。
(a)1. 2又は3に定める犯罪に加担する行為
(b)1. 2又は3に定める犯罪を行わせるために他の者を組織し又は他のものに指示する行為
(c)共通の目的を持って行動する人の集団が1、2又は3に定める犯罪の一又は二以上を実行することに対し、寄与する行為。ただし、故意に、かつ、以下の場合に限る。
(i)当該集団の、1に定める犯罪の実行を含む、犯罪活動若しくは犯罪目的の達成を助長するために寄与する場合。
(ii)当該集団の、1に定める犯罪の実行の意図を知りながら寄与する場合。(pp.148-149)

1-5. また、多くの地域的条約も成立している。

地域            条約名(採択年)
米州機構     米州テロ行為防止処罰条約(1971)
欧州審議会    欧州テロリズム防止条約(1977)
南アジア地域協力機構  地域テロリズム防止条約(1987)
アラブ諸国連盟  テロリズム防止アラブ条約(1998)
独立国家共同体  テロリズムと戦うCIS加盟国協力条約(1999)
アフリカ統一機構 テロリズムの防止及び戦うための条約(1999)
イスラーム会議機構 国際テロリズムと戦うOIC条約(1999)
上海協力機構   テロリズム、分離・過激主義と戦う上海条約(2001)
(p.149)
 
1 manolo 2013-02-06 08:14:31 [PC]

出典: 『よくわかる 法哲学・法思想』、深田三徳・濱真一郎編著、ミネルヴァ書房、5/20/2007、pp.92~93

1-1. 危険や困難に陥っている人に遭遇したとき、見知らぬ他人であろうとも助けるべきだと考えることについて、反対するものはあまりいないであろう。「救助義務」は、古今東西を問わず、道徳上、宗教上の義務として、広く一般に受け入れられてきた。だが、これを法的な義務と考えるかどうかについて、各国の法制度は様々である。ドイツ、フランス、イタリア、スペインといった、いわゆる大陸法諸国においては、法によって救助が義務付けられている。他方で、英国、合州国、カナダといったいわゆる英米法諸国においては、特別な人的関係が前もって存在しているなどの一定の例外的状況を除いて、救助を要する場面に遭遇したとしても、法的な救助義務は課されない。日本の法制度もまた基本的に英米法と同様の立場に立っている。

1-2. こうした中、1964年にニューヨークの路上で起こった一つの事件は、救助義務の法制化の是非について、様々な議論を引き起こすとなった。女性が暴漢に襲われている暴行現場を、計38人もの人が目撃していながら、誰も制止せず、通報すらしなかったため、女性が死に至ったという痛ましい事件が起きたのである(被害者の姓をとって、ジェノヴェーゼ事件と呼ばれる)。(p.92)

1-3. ジェノヴェーゼ事件以降、救助義務の法制化をめぐって議論が活発化した。救助行為を法的に義務づけることによって懸念される問題は三つある。第一に、救助義務が法的に課されることになれば、救助するか否かを選択する自由が失われ、他人の救助を考慮に入れた生活を強いられるのではないか;第二に、救助義務は道徳的・宗教的な起源を有することから(聖書の逸話から、救助義務は、「善きサマリア人」たる義務と呼ばれることが多い)、救助行為の法的義務づけは、自己の信奉しない道徳の実践を強いられることになるのではないか(リーガルモラリズムへの抵抗);第三に、果たして救助義務を法で規定したとして、実効性があるのか。(p.92)

2 manolo 2013-02-06 08:52:29 [PC]

1-4. 【法と救助行為(1):「直接強制アプローチ】
 救助行為をめぐる議論は、ある特殊で不幸な事件を契機として始まったため。法は人々を強制してでも救助行為を図るべきだとするか、それとも、「個人の自由」を保持するために、法は一切関わるべきではないとするか、の二者択一的な結論に終始してきた。救助行為に対する「法の関わり方」として、強制が前提とされている。これを「直接強制」アプローチと呼ぼう。(pp.92-93)

1-5. 「直接強制」アプローチにおいて、「法」は歪んだ現代社会を矯正すべき道具として登場する。ここでは、「勇気を出して救助行為に出ようか、それとも申し訳ないけれども、あまり関わりたくないので見なかったことにしてしまおうか」という、ある意味で一般的ともいえる心情は、法的に配慮されない。救助義務の法制化は「個人の自由」と衝突するおそれがある、として否定論者が批判するのは、このためである。これに対して、肯定論者は、救助行為を促進させるためには、人々の行動の自由に一定の制約(要求する救助行為を「容易なもの」に限った上で)を課すことも致し方ないと考えるのである。(p.93)

1-6. 「善きサマリア人」の逸話については、新約聖書「ルカによる福音書」第10章を参照。ただし、救助義務は宗教を問わず、広く社会において認められた道徳である。この意味では、単なる「個人道徳」を超えた、むしろ「社会道徳」としての側面を多分に有している。その一方で、自己を犠牲にするような博愛的な救助行為に典型的なように、個人の自由な意思に任されているからこそ賞賛される。その意味では、強制になじまない「個人道徳」としての側面も強い。(p.93)

3 manolo 2013-02-06 09:04:07 [PC]

1-7.【法と救助行為(2):「間接奨励アプローチ」】
 だが、これまでの議論は、救助行為を拒絶する者ばかりで構成された社会を前提として、「法は、彼らをどのように律するべきか」という観点にのみ立ってきた。そのため、救助行為に少なからず関心を有するものによって成り立っている社会を前提とし、「法は、彼らが安心して救助行為を試みられるよう何を用意すべきか」という観点が見落とされてきたのである。(p.93)

1-8. ここに登場するのが、「間接奨励」アプローチである。「間接奨励」アプローチは、救助行為に伴う一般的な負担を軽減するような法制度の整備を目指す。具体的には、費用償還(例:救助に際して衣服が避けたような場合、けがを負った場合の治療費や休業に伴う経済的負担など)に関する規定が挙げられる。さらに、より重要な規定として、万一、救助行威が望んでいた結果を生ぜず、むしろ、より重大な被害を生じさせてしまったような場合における、救助行威者に対する免責が挙げられる。(p.93)

1-9. 「間接奨励」アプローチは、救助行為を。「強制」によってでなく、いあわば、「側面支援」することによって、その促進を図ろうとする立場である。この見解は、「個人の自由」との抵触を避けることができるのみならず、救助行為を試みるものが法整備の不十分さゆえに躊躇させられることのないよう。配慮しうるものになっている。現代社会において、「善きサマリア人の法」とは、救助しない自由とともに、救助する自由という「個人の自由」を保障するものとして理解されるべきであろう。(p.93)

1-9. 「個人主義」的色彩の強い英米法の伝統においては、他人を救助するか否かは「自己決定」に委ねられるべき問題であるとされてきた。だが、危難にある者を救助をしなくともなんら法律上の責任は生じないという立場は、同時に、頼まれもしないのに救助者が損害をこうむっても、救助者は何ら補償を請求し得ないということを意味していた。(p.93)

4 manolo 2013-02-07 23:20:38 [PC]

【訂正】

1-3.
誤 リーガルモラリズム
正 リーガル・モラリズム

1-4.
誤 始まったため。法は
正 始まったため、法は

誤 「法の関わり方」として、
正 法の「関わり方」として、

誤 これを「直接強制」アプローチと呼ぼう。
正 これを、「直接強制」アプローチと呼ぼう。

1-7.
誤 社会を前提とし、「法は、
正 社会を前提として、「法は

1-8.
誤 衣服が避けたような場合
正 衣服が裂けたような場合

誤 救助行威が望んでいた結果を
正 救助行為が望んでいた結果を

誤 救助行威者に対する
正 救助行為者に対する

1-9.
誤 救助行為を。「強制」によってでなく、いあわば、
正 救助行為を、「強制」によってでなく、いわば、
 
1 manolo 2013-01-23 00:41:03 [PC]

出典『よくわかる刑事政策』(2011)藤本哲也著、ミネルヴァ書房

1-1. 【少年非行とは①】
少年非行とは、①14歳以上20歳未満の少年による犯罪行為、②14歳未満の少年による触法行為、及び③虞犯〔ぐはん〕という3種類の行為または行状を総称する概念である。すなわち、少年非行という概念は、成人への人格形成期にあって可朔性に富む少年に対して、犯罪行為だけでなく、虞犯についても、少年の健全な育成と矯正・保護のために、国家が司法的に介入する必要があるとするアメリカ少年司法の「国親思想〔くにおやしそう〕(parens patriae:国が親として、親らしい配慮を持って臨むことを少年裁判所に要請する理念)に基づく概念である。(p.146)

1-2. 【少年非行とは②】
少年法3条1項に定められている、犯罪行為、触法行為、虞犯行為の3類型の行為または行状を総称する概念である。それゆえ、非行少年には、犯罪少年、触法少年、虞犯少年の区別がある。

少年法第3条①「次に掲げる少年は、これを家庭裁判所の審判に付する。
1.罪を犯した少年
2.14歳に満たないで刑罰法令に触れる行為をした少年
3.次に掲げる事由があって、その性格又は環境に照らして、将来、罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をする虞のある少年
イ 保護者の正当な監督に服しない性癖のあること。
ロ 正当の理由がなく家庭に寄り附かないこと。
ハ 犯罪性のある人若しくは不道徳な人と交際し、又はいかがわしい場所に出入りすること。
ニ 自己又は他人の特性を害する行為をする性癖のあること。」(p.146)

1-3. 1990年代にはいってからは、刑法犯少年の絶対数は減少傾向にあるものの、強盗、放火、強姦、恐喝、脅迫等の凶悪な非行が増加傾向にあることと、覚せい剤乱用少年の増加傾向が続いていること、女子少年の性的被害が増加していることと、触法少年による凶悪な事件が増加していること等、少年非行の現状は必ずしも楽観できないものがある。(p.147)

2 manolo 2013-01-23 01:00:06 [PC]

1-4. 【少年非行の原因】
少年非行の原因については、古くから種々のものが掲げられており、必ずしもどれが真の原因であるかを明確にすることはできない。少年自身に関係のある要因としては、①精神的自立心の欠如、②挫折感との未対決、③内面的幼児性等が挙げられており、家庭に関係ある要因としては、①核家族化に伴う家庭の伝統的機能の変化、②家庭教育の不在、③親の自主性の欠如等があげられている。学校に関する要因としては、①受験戦争によって歪められた教育の在り方、②教師と児童・生徒の信頼関係の不足、③児童・生徒相互の人間関係の希薄化等が、そして、社会的要因としては、①価値観の多様化、②物質主義と感覚主義、③マスメディアの影響等があげられている。(p.147)

1-5. 【少年非行対策】
法務省は、少年非行対策は、少年司法または刑事政策の問題であるだけでなく、国家的、社会的な問題であり、全国民的な対策が必要不可欠であるとして、3段階の対応について言及している。すなわち第1次的対応とは、家庭、学校、雇用、社会保障、レクリエーション、マスメディア等の各分野における少年非行防止のための良好な社会的・経済的・文化的環境の整備であり、第2次的対応とは、非行化の恐れのある少年に対する警察及び少年福祉機関の補導・援助による少年非行の防止である。そして、第3次的対応とは、刑事法の適切・妥当な執行による検挙、適正・有効な少年司法の運用と施設内処遇及び社会内処遇等による非行少年の社会化と再犯防止である。21世紀の少年非行対策のためには、「家庭」という第1の生活空間、「学校」という第2の生活空間、地域社会という第3の生活空間のほかに、「情報空間」という第4の生活空間と「居場所的空間」という第5の生活空間の重要性を認識することが大切である。(p.147)

*情報空間
パソコンや携帯電話の普及により、メディアやインターネットからの暴力や露骨な性的描写などの情報が子供たちに深刻な影響を与えているといわれるが、子供たちが接触する第4の生活空間として、こうした「情報空間」の大切さが最近とみに指摘されている。情報を正確に受け止め読み解く力、いわゆる「メディア・リテラシー」教育の重要性が指摘されている。(p.147)

3 manolo 2013-01-23 05:32:06 [PC]

*居場所空間
青少年の生活領域の外に自然発生的に生まれたもので、特定の場所を持たず、それだけに、外部にいる大人からみえにくく、捉えどころのない生活空間である。渋谷のセンター街や名古屋のテレビ塔の下が、居場所空間の典型例である。(p.147)

1-6. 【平成少年法(2000年改正少年法)】
今回の改正の対象となった1948年少年法(以下、昭和少年法という)は、第二次世界大戦後、ルイス(B.G.Lews)の提案に基づいて作成されたものである。この昭和少年法は、当時アメリカで全盛期にあった国親思想に基づき、保護優先主義の強い影響を受けて制定された。もちろん、この昭和少年法は、1922年少年法(以下、大正少年法という)を全面改正したものであり、少年年齢を18歳から20歳に引き上げたことと、検察官の先議権を廃止して全件送致主義を採用したところに特色がある。

1-7. ところが、1993年に発生した「山形マット死事件」において、少年審判における事実認定が問題となり、社会の耳目を集める少年事件が相次ぐ中で、裁判官の側からも少年法の事実認定手続の問題点を指摘する事件が出されるようになった。さらに、2000年5月以降、「西鉄バスジャック事件」をはじめとする一連の17歳の少年による凶悪な少年事件が生起するに及び、7月には、与党3党による「与党政策責任者会議少年問題に関するプロジェクトチーム」が結成され、「少年法等の一部を改正する法律案」が立案されるに至ったのである。そして、この法案は2000年9月、議員提案により第150回国会に提出され、11月28日に成立し、12月6日に公布された。これが筆者が平成少年法と呼ぶ改正少年法であり、2001年4月1日に施行されている。(p.148)

*全件送致主義
少年事件のすべてを家庭裁判所に送致し、家庭裁判所が少年を保護処分にすべきかどうか、福祉処分にすべきかどうか、あるいはまた刑事処分が相当かどうかを判断し決定する主義をいう。(p.148)

4 manolo 2013-01-23 05:53:45 [PC]

*山形マット事件
1993年1月、山形県のある中学校の体育館内用具置き場で、1年生のX(当時13歳)がロール状に立ててあった体操用のマットの空洞部分に頭を下にして死亡しているのが発見された。警察は事件に関与したとして当時14歳だったA、B、Cを逮捕し、当時13歳以下で刑事責任年齢に達していなかったD、E、F、Gも逮捕した。山形家庭裁判所は、A~Cに非行に及んだ事実が認められないとして処分を科さない決定をする一方で、D~Fについては非行事実を認め、少年院送致などの保護処分を言い渡した。高等裁判所は、少年たちの自白を信用できるものと評価し、Dらの申し立てを退けた。同時に、審判の対象になっていないA~Cも非行にかかわっていた余地があることを判示した。最高裁判所はDらの不服申し立てを認めず、保護処分の取り消しの申し立ても却下した。こうした事実を受けて、Xの遺族は1995年12月に、A~G7人に対して損害賠償を求める民事訴訟を起こしている。(pp.148~149)

*西鉄バスジャック事件
17歳の少年が、2000年5月3日、佐賀発、福岡行の西鉄高速バスを乗っ取り、乗員・乗客の22人のうち3人の女性を刺し、1人を死亡させ、2人に重傷を負わせた事件である。広島地検は簡易鑑定後に少年を「刑事処分相当」との意見を付して広島家裁に送致し、同家裁は佐賀家裁に移送した。佐賀家裁は第4回の審判で「5年以上は解離性の治療が必要」として、医療少年院送致を決定した。少年は精神病院への入院歴があり、行為障害と診断されていた。家裁の精神鑑定では、「自分が自分でなくなる感覚の解離性障害や行為障害もみられ、精神分裂病を発病するおそれもある」と判断されいている。(p.149)

5 manolo 2013-01-23 06:07:15 [PC]

1-8. 平成少年法の要点は、その内容から見て大きく3つに分けることができる。第1は「少年事件の処分等の在り方の見直し」である。昭和少年法においては、犯行時14歳であれば、刑法上は刑事責任があるのにもかかわらず、いかに凶悪で重大な犯罪をしようとも、少年法の規定により、刑事処分には付されないことになっていた。しかし、1997年に起こった「神戸市児童連続殺人事件」を契機として、14歳の少年であっても、罪を犯せば処刑されることがあることを明示することによって、その責任を自覚させることが必要であるとの認識から、刑事処分年齢を14歳まで引き下げ、14歳以上の少年に係る死刑、懲役、又は禁固にあたる罪の事件については、検察官送致決定ができることになったのである。また、本法では、故意の犯罪行為によって人を死亡させるような重大な罪を犯した場合には、少年であっても、刑事処分の対象とあるという原則を明示することが、少年の規範意識を育て、健全な成長を図る上で重要であると考えられた。そのため、家庭裁判所では、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件であって、その罪を犯すとき16歳以上の少年に係るものについては、検察官に送致する決定をしなければならないと定め、この種の事件については、検察官送致決定を行うことが原則とされたのである。また、本法では、刑罰緩和規定の見直しが行われた。この点に関して注目すべきことは、無期刑緩和を裁量化したことでる。また、死刑を無期刑に緩和した場合においては、仮出獄可能期間の特則を適用しないこととした。審判の方式に関しても、「非行のある少年に対して自己の非行について内省を促すものとしなければならない」としたのである。(p.149)

*神戸児童連続殺傷事件
中学3年の少年(当時14歳)が、1997年2月から5月にかけて、神戸市須磨区において、小学生男児1人と女児4人を襲い、2人を殺害、2人に怪我をさせた事件である。少年は同年6月に逮捕、神戸家裁は5回の審判を経て、4か月後「性衝動と攻撃性の結合が重要な要点で、熟練した神経科医のもとでの更生が必要」として、医療少年院への送致を決定した。(p.149)

6 manolo 2013-01-23 06:23:16 [PC]

1-9. 第2の要点は、「少年審判の事実認定の適正化」であるが、注目すべきことは、裁定合議制度が導入されたことである。この裁定合議制度は、裁判官が少年と1対1で向き合い、保護教育的な観点から審理を進めるという少年審判本来の姿からすると、問題がないわけではない。裁定合議制度を採用する場合には、少年にとって利益となるのかどうかを勘案しながら検討をすすめるべきであろうと思われる。また、本法においては、検察関与制度の導入が図られた。家庭裁判所は、犯罪少年に係る事件で、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪や、死刑または無期もしくは短期2年以上の懲役もしくは禁錮にあたる罪につき、その非行事実を認定するために、審判の手続きに検察官が関与する必要があると認めたときは、決定をもって、審判に検察官を出席させることができるとしたのである。(p.149)

*裁定合議制度
合議制とは、複数の裁判官の合議体で事件を審理する制度であり、法定合議と裁定合議がある。今回の法改正では、少年事件にも複雑で困難な事件がみられるようになったことから、3人の裁判官による裁定合議制度が導入された。(p.149)

1-10. 第3の要点は、被害者への配慮の充実である。①被害者等に対する審判結果等の通知、②被害者の申出による意見の聴取、③被害者等による記録の閲覧及び謄写等の被害者支援が実現されたのである。(p.149)
 
1 manolo 2013-01-18 00:34:40 [PC]

出典『よくわかる憲法』(2006)工藤達郎編、ミネルヴァ書房

1-1. (憲法)13条は、前段で個人尊重の原則を定め、後段で「生命・自由及び幸福追求権」を保障する。個人尊重の原則は、全体主義を否定し、個人主義の原則を掲げるものであり、その意味で「かけがえのない個人」を憲法上最高の価値とする原則である。生命・自由及び幸福追求権は、個人尊重の原則と密接に結びつきながら、自然権思想に基づく包括的な権利を保障したものと考えられている。(p.38)

1-2. 13条解釈において学説の対立が激しいのが幸福追求権の保障範囲である。通説的見解は、幸福追求権を「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体」と理解する(人格的利益説)。これと対立するのが、人格的利益説が「人格的生存に不可欠」という基準を持ち出すことに反対して、幸福追求権は「あらゆる生活活動領域について成立する一般的な行動の自由」を保障していると解する立場である(一般自由説)。人格的利益説からすれば服装・髪型の自由などはそもそも「人格的生存に不可欠」ではないという理由で憲法上の補償を受けないこととなる可能性もあるが、一般的自由説の立場ではこれらもとりあえず憲法上の保障を受け、その上で公共の福祉による制約の問題として取り扱われることとなる。(p.38)

1-3. 【幸福追求権と新しい人権】
しかも、憲法制定後の社会変動は新たな権利要求を生み出すことがある。新しい人権とは、こうした新たな権利要求のうち、憲法上保障するにふさわしいと考えられているもののことをいう。当然、新しい権利は憲法上明文の規定をもたないわけだが、幸福追求権はその包括的な性格から新しい人権の根拠規定とありうるのである。(p.39)

1-4. 【新しい人権】
これまで新しい人権として、プライヴァシー権、肖像権、環境権、日照権、静穏権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権、アクセス権、平和的生存権、自己決定権、適正手続を要求する権利など多くの権利が主張されたが、このうち判例で明確に認められたのは、プライヴァシー権、肖像権、人格権(自己決定権)だけである。(p.39)

2 manolo 2013-01-18 01:04:39 [PC]

1-5.【肖像権(京都府学連事件最高裁判決、1969年)】
デモ行進に際して、警察官が犯罪捜査のためにデモ行進参加者の写真を撮影したことの適法性について、最高裁は、13条が保障する個人の私生活上の自由には「みだりにその容ぼう姿態を撮影されない自由」が含まれ、「これを肖像権と称するかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼうを撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されない」と判じした。(最大判昭和44年12月24日刑集23巻12号1625頁)(p.38)

1-6.【プライヴァシー権】
プライヴァシー権は、もともとアメリカの判例の中で「ひとりでほうっておいてもらう権利」として発展した権利であり、日本では「宴のあと」事件判決が「私生活をみだりに公開されない権利」と定義し、13条の個人の尊重を根拠に権利性を認めた(東京地判昭和39年9月28日下民集15巻9号2317頁)。現在プライヴァシー権は消極的権利としてだけでなく、「自己に関する情報をコントロールする権利」として積極的に理解されるようになっており、2003年に成立した個人情報保護法にもその影響がみられる。(p.39)

1-7.【個人情報保護法】
2003年5月30日に成立した「個人情報の保護に関する法律」のこと。個人に関する情報の取り扱いの適正を図るために制定された法律で、個人情報を取り扱を業者の義務義務などを定めている。とりわけ、個人情報の取り扱いについて本人同意の原則が採用され、また、個人情報の開示・訂正・削除などについて本人の権限が広く認められている点に、現代のプライヴァシー権論の影響がみられる。(p.39)

3 manolo 2013-01-18 06:19:54 [PC]

1-8. 人格権は、身体・名誉・信用など個人の人格と深くかかわる利益について保護を求める場合に用いられる権利である。例えば、北方ジャーナル事件最高裁判決では「人格権としての名誉の保護」という言い方がされているし、エホバの証人輸血拒否事件最高裁判決では輸血拒否の意思決定を「人格権の一内容」と位置付けられている。(p.39)

1-9. これらに対して、学説上は新しい権利として認められる傾向があるにもかかわらず、判例上承認されていないのが環境権である。環境権は、大気汚染や水質汚濁、騒音などの公害問題をきっかけに、13条・25条に基づく「良好な環境を享受する権利」として主張された権利である。しかし判例においては、内容が不明確であるという理由から、確立した権利としては認められていない。この点、環境の劣悪化によって健康や財産に被害が生じた場合には、司法上の人格権などに基づいて差止めや損害賠償を請求できることが大阪空港訴訟控訴審判決などで認められてきたが、その上告審で最高裁がこうした差止め請求の可能性を否定して以来、人格権を根拠とした訴訟自体が困難になっている。(p.39)
 
1 manolo 2013-01-17 06:57:43 [PC]

出典『領土問題が2時間でわかる本』(2011)ニュースなるほど塾(編)、河出書房新社

1. 国境線
国境の概念が一般化したのは近代に入ってからで、1648年にヨーロッパで調印されたウェストファリア条約によって、はじめて国境の害難が明確になったとされている。当時、ヨーロッパでは、プロテスタントとカトリックの30年に及ぶ宗教戦争が繰り広げられていた。ドイツ、フランス、スウェーデンなどの主要国は、ドイツのウェストファリアで国際会議を開き、戦争終結に向けた話し合いを実施。その場で、主権国家は明確な国土(領域)を有するものとされ、その国土を他国が侵すことは固く禁じられた。(pp.12-13)

2. 国家の成立条件:「国家主権」「領土」「国民」
19世紀のドイツの学者ゲオルグ・イェリネックがあらわした『一般国家学』によれば、「国家主権」「領土」「国民」の3つが国家の条件として提示されている。(p.14))

3. 国家の成立条件:①「国家主権」
一つ目の国家主権とは、「独立した国家の最高権力、あるいは意思」のこと。簡単に言うと、法律などによって国内を管轄する権利である。これには他国からの内政干渉を排除できる権利も含まれる。(p.14)

4. 国家の成立条件:②③「領土」と「国民」
ふたつ目の領土とは、「国家が管轄する地域」であり、3つ目の国民とはその領土に永久的に住む人々」である。(pp.14-15)

5. その他の国家の成立条件:④他国からの承認
現代において、国家が成立するには国家主権、領土、国民という3つの条件に加え、他国から国家としての存在を承認されることが重要になる。国際的に立派な独立国だと認められて初めて、国家としての地位が確立するのである。(p.19)
 
1 manolo 2013-01-17 02:58:41 [PC]

(出典)『格差社会と新自由主義』(2011)坂井素思&岩永正也著(放送大学教育振興会)

1. 自由主義とは、「個人の自由」を尊重するという人間の原理的な主張であり、個人が他者や自然・社会環境から自律して、独立した意思決定を行うことができるという考え方である。(p.48)

2. 人間は、生まれながらにして、すべての人の自由を人間の尊厳として認めるべきだとされる。「個人の自由」を守ることは、この意味では、最高度の人間の権利・義務であって、人間を他者が拘束することには、余程の理由がない限り、制限が課されている。(pp.48-49)

3. 多くの場合に、「個人の自由」はその生のままで取り出されることはなく、他者の「個人の自由」に抵触する可能性がかなり高いという現実がある。(中略)・・・一人一人の「個人の自由」を守ることと、その「個人の自由」に抵触する形で発展してきた、もう一人の他者の「個人の自由」とどちらを優先すべきかという問題が直ちに生ずることとなる。(p.49)

4. このことは、今日の「新自由主義」段階での自由主義というものの本質的な問題となってきている。つまり、個人の自由が成立するために、どの程度の「政府の役割」を認めるかによって、自由主義の性格が変わってくるからである。最右翼には、まったく政府を必要としないと主張する無政府主義の、いわゆるアナルコ自由主義の立場がある。最左翼には、個人の自由や安全、生活保障を守るためには、政府の保護が必要であるという政治的リベラリズムの伝統が存在する。(pp.49-50)

2 manolo 2013-01-17 06:39:49 [PC]

(出典)『格差社会と新自由主義』(2011)坂井素思&岩永正也著(放送大学教育振興会)

5. 新自由主義とは、個人の自由、人間の尊厳という、万民に共通の価値を実現するために「私的財産権や法の支配、自由に機能する自由貿易の諸制度を重視している」と考えられている。(pp.50-51)

6. まず、新自由主義は、政治的な自由主義と比較すると、合理的な手段として、市場システムを重視する。これに対して、政治的リベラリズムは政府組織を活用することで、自由主義の拡大を図ることになる。この点では、互いにかなり対立することになる。(p.52)

7. ・・・新自由主義は単なる思想そのものを示すばかりでなく、政策の主導する現実を含んだ帰結主義的な性格を強く持っているといえる。このことは(中略)規制緩和、民営化、私有化などの政策にきわめて顕著にあらわれている。(p.53)

8. これに対して、自由主義の方は次第に社会民主主義的な考えを発展させてきている。北欧での福祉国家的な再配分政策にあらわれているように、政府の力を必要とする政策に特色があらわれている。(p.53)