野獣死すべし(1980年)A
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1 @kira 2013-02-25 23:02:45 [携帯]

の画像を貼りましょう。
42 @kira 2013-02-26 00:55:37 [携帯]

この塹壕シーンには逸話がある。
 
撮影当日、セットに入った松田優作は内部を見て、『あ、これは違うわ』と一言言うと帰ってしまった。
その日は撮影中止となり、翌日に持ち越された。
翌日、セットに現れた優作は台本を書き直していた。
台本の段階では、伊達は自分で野獣に育て上げた真田を最初から殺すつもりだという描写をしているが、松田優作が書き換えたものでは突発的に真田を殺している。
丸山氏は伊達を冷酷なだけの男として描写しているが、優作は、伊達がそうなるには理由があるだろうと考えていた。
勿論、列車のシーンである程度は言及されているが、優作はそれをさらに掘り下げた。
伊達は悪魔のような男だが、それを作り上げたのは地獄の如き現代社会そのものだ。
そして、例の即興芝居のようなシーンが誕生した。
つまり、松田優作はセットを見て、自分が準備した芝居が相応しくないと考え、1日で台本を書き換えて来たのだ。
この瞬発力は『探偵物語』で培った即興性が遺憾なく発揮されている。
なんというモチベーション。
こういったライブ感覚は、現在の俳優では到底無理だろう。
 
『野獣死すべし』の美術監督の今村力と松田優作は奇妙な因縁で結ばれていた。
1973年、松田優作の映画デビュー作『狼の紋章』の美術を担当したのが今村氏だったのだ。
当時の松田優作は全くの無名で自分の思い通りの芝居が出来なかった。
今村氏も低予算で不本意な仕事で終わった。
二人が7年後、『野獣死すべし』で、再び一緒に仕事をする事になった。
松田優作は自分の企画が通るようになった。
今村力も莫大な予算で自分の設計通りのセットを造れる立場になった。
この2本の作品を見比べる事で映画人の成長が見れるだろう。
 
面白いのは、優作が今村氏を激賞しているのに対し、今村氏は優作に批判的な目を向けていた。
スタッフを集めての打ち合わせで、監督の村川透を怒鳴りつける優作を見た彼は『なんじゃいな、この人は』という印象を抱いたという。
 
松田優作としては、偉くなってきた村川透を叱ってやれるのは俺くらいだという気持ちだったらしいが、そんなところが常識的には受け入れられないのだろう。
 
優作と今村氏はその後、森田芳光監督作品『それから』で三度組んでいる。

43 @kira 2013-02-26 00:56:41 [携帯]

松田優作はこの作品を舞台の延長と捉えていた節がある。
冒頭からカメラは、伊達を引きで捉えていて、アップが少ない。
バーで伊達と真田が会話しているシーンでは、松田優作のアップは一切なかった。
それが端的に現れているのがマンションのシーンであり、別荘のシーンであり、列車のシーンであり、そして、この塹壕シーンである。
これらのシーンの大半は、誇張された演技、照明、優作の一人芝居で占められている。
引きのカメラで演技する優作をひたすら追い続け、観客はいつしか、映画だという事を忘れてスクリーンを眺めているのだ。
だからこそ、相棒の真田役に、劇団四季出身の鹿賀丈史が抜擢されたのだろう。

44 @kira 2013-02-26 01:07:40 [携帯]

塹壕シーンは、ユニークな構成となっている。
柏木を追って、森の中を駆けて来た伊達は、錯乱しているのか、塹壕の中にいた特攻服の男を敵と錯覚して、殺そうとする。
伊達に洗脳された真田も、女を強姦するまでになる。
社会の規範は、取り払われている。
一方の暴走族の兄ちゃんは、自分では社会からドロップアウトしているつもりだが、法律で守られたれっきとした一般市民である。
社会から、はみ出したと勘違いしている人間と、社会から弾けた事を、理解していない人間の対立の構図が、ここにある。
伊達は、まるで革命でも興している気分なのだろうが、現実には、ただの殺人者だ。
異次元に迷い込んだような感覚が、このシーンの特色である。
ブラックユーモアに、満ちてはいるが、このシーンで笑った観客は皆無だろう。松田優作の鬼気迫る演技が、そうさせないオーラを放っているのだ。
興奮した伊達は、真田に何かをまくし立てるが、真田は、女を犯す事に夢中で、聞いていない。
こんなシーンをメジャー作品に入れる事は、現在ではないだろう。
レイプされる女を演じている女優は、『探偵物語』に出演していた橘雪子だろうか。クレジットにも、名前があったような気がするが。

45 @kira 2013-02-26 01:09:22 [画像] [携帯]

シーン90
 
ショパン ピアノ協奏曲第1番第3楽章が鳴り響く。
 
コンサート会場
埋め尽くされた客席。
静かに演奏を聴いている観客。
オーケストラの演奏が激しさを増して行く。
客席の中に2つの空席がある。
静かな楽章に入り、ピアノの旋律が響く。
客席に眠ったままの伊達がいる。
ピアニストの指がピアノから放れて、演奏が終了した。
 
客席―。
伊達が座ったまま、眠っている。
膝に置いた数冊の本が落ちる。
その音で目を覚ました伊達。
本を拾おうとして、身を乗り出す。
伊達、ハッとして会場を見渡す。
暗いホールに既に観客の姿はなく、静まり返ったホールにいるのは、伊達ただ一人。
伊達、落とした本を拾うと座席から立ち上がり、左手を頭上にあげる。
 
伊達『あっ!』
 
伊達の声が静まり返ったホールに響き渡る。
通路に出ると出入り口に向かって、歩いて行く伊達。
ドアの前で立ち止まる伊達。
 
伊達『あっ!!』
 
伊達の叫び声がホールに吸い込まれる。
伊達、ドアを開け、ホールを出て行く。

46 @kira 2013-02-26 01:11:14 [画像] [携帯]

階段を降りてくる伊達。
顔に光が当たる。
立ち止まり、上空を見上げる。
階段を降りようとした瞬間、伊達に一発の銃弾が命中する。
階段を転げ落ちる。
手摺りを掴んで起き上がる伊達。
膝をついて驚愕の表情でホール周辺を見渡す。
包帯を巻いた柏木の姿。
 
本を拾い集め、立ち上がる伊達に次の銃弾が命中し、倒れる。
手摺りを掴んだ伊達が倒れようとする瞬間、画面が静止して遠ざかって行く。
 
野獣の最期。
 
鐘の音が聞こえている。

47 @kira 2013-02-26 01:17:06 [携帯]

この最後の演奏会のシーンは、謎が多く、未だに議論されている。
演出に、いくつかの不可解な箇所があるのだ。
演奏会で伊達が眠っている事から、物語の上で起こった出来事が全て、夢だったのではないかと言われている。
確かに脚本の段階では、その前の塹壕のシーンで伊達に撃たれた真田が最後に渾身の一撃を伊達に撃っている描写がある事から夢落ちもあり得るだろう。
撃たれた伊達が、無傷で演奏会に行ける事など出来ないからだ。もっとも、『蘇える金狼』の朝倉ならば話は別だが。
しかし、映画では伊達が撃たれるシーンはないから夢落ちは考えられない。
それに演奏会では、令子が横に座っていない。
恐らく、この演奏会は雨の日の演奏会の帰り、タクシーの車内で令子から手渡されたチケットのものだろう。
映画ではカットされたが、真田を射殺した伊達がバッグからチケットを発見する描写が脚本のシーン89>>93にある。
夢落ちならば、射殺した令子がいるほうがわかりやすくはないか。
では夢だったと仮定して一体、どこからが夢だったのか、チケットを発見する件から伊達と令子がタクシーに乗り込むところまでは現実と断定して良いだろう。
次のマンションのシーンも問題ない。
伊豆の別荘のシーンは疑わしい。
雪絵を射殺したはずの真田がベッドで眠っており、夢にうなされて飛び起きるシーンがある。
しかし、直後に伊達が夢ではないと語っている。
夢なのに夢じゃないなんて馬鹿げた描写をあえてしないだろう。
では、次の銀行襲撃シーンだろうか。
このシーンが夢なら令子は生きている事になるだろう。
必然的に列車のシーンも夢になる。実際、眠っているしね。続く塹壕シーンも然りだ。
しかし、これらもラストシーンで全て否定されてしまう。
演奏会終了後、起きた伊達がホールの外に出ると銃弾が彼を襲う。
一人の老人が佇んでいる。
そして、警官隊によって伊達は射殺されてしまう。
銀行襲撃が夢なら伊達が射殺される理由はないだろう。

48 @kira 2013-02-26 01:17:57 [携帯]

しかし、この渋谷公会堂の外のシーンも謎だらけだ。
まず、伊達が警官隊によって狙撃されるのだが、出血しない。
これは、以下の理由が考えられる。
 
@実は撃たれていない。
A撮影場所の許可が得られなかった。
B何らかの演出上の理由。
 
単純に考えれば、@という発想になる。
しかし、実際に伊達が倒れているのだから撃たれたと診るのが自然だろう。
Aは、映画が様々な制約の元に製作されている事を考えると全く有り得ない事ではない。
むしろ、こんな馬鹿馬鹿しい理由の中に真実が隠れている事も否定出来ない。
しかし、撮影許可が下りなかったのであれば、撮影日数に余裕があったのだから別の場所に変更すれば良かったのではないか。
私が推測する理由はBである。
何故なら、特異な演出をわざわざ、何の理由もなくするとは思えないからだ。
こういう風には考えられないだろうか。
アニメなどで、衝撃的な出来事が起こる瞬間をスローモーションにしたり、背景を白くしたり、現実と替えたりする場合がある。
伊達が撃たれるという事を強調する為に敢えて特殊効果を使わなかったのではないか。
松田優作の唯一の監督作品『ア・ホーマンス』に、同じようなシーンが存在する。
所属する組織の組長を射殺された山崎が、報復を行って数日後、風の前に姿を現した瞬間に、敵対組織の人間に狙撃される。
血糊が使用されているが、アングル、照明、転調の度合いまでもが似ているのだ。
勿論、その事を正確に表現しきれていない事も否めない。
警官隊も出て来ないし、柏木もどこか亡霊のようだ。
こういう表現が作品解釈を難解なものにしている。
しかし、私はそれが間違っているとは思わない。
作品として破綻しているからこそ、魅力的なのだ。
映画という枠や規制をはみ出した松田優作の思いが、『野獣死すべし』にはある。
松田優作が『野獣死すべし』で格闘した事が遺作『ブラック・レイン』へと繋がっていったのであり、その後、彼が出演したであろう作品に結実して行く筈だったのである。

49 @kira 2013-02-26 01:22:21 [携帯]

謎の中でも最も不可解なのは、撃たれた伊達が見る陽炎に揺らめく老人だろう。
白いシャツにグレーのスラックス、グレーの頭髪、頭と腕には包帯を巻いている。
唐突な登場に一瞬、戸惑うが脚本>>94にもあるとおり、刑事の柏木秀行である。
これが、あの伊達を執拗に追いつめた柏木かと目を疑う変貌ぶりだ。伊達から受けた暴力で、すっかり老け込んでしまっている。

50 @kira 2013-02-26 01:23:57 [携帯]

映画のラスト、銃弾に倒れる伊達に、鐘の音が被さる。
一見、なんて事のないシーンである。近くに教会でもあるという設定ならば、何ら不思議ではない。
しかし、私は鐘の音にある仮説を唱えたい。
それは、村川監督の鐘に対するこだわりである。
村川作品にはしばしば、鐘が鳴るシーンが登場する。
『最も危険な遊戯』では、依頼された殺人を決行するシーンで鐘が鳴っている。
『蘇える金狼』では、冒頭と朝倉が京子を殺害するシーン。
『探偵物語』第1話では、工藤俊作が依頼人に会う為に訪れる教会で鐘が鳴っていた。

51 @kira 2013-02-26 01:25:01 [画像] [携帯]

何より先ず、不可解なのは眠りから目覚めた伊達が立ち上がって、天井を指して発する『アッ!』だろう。
全く意味不明で訳がわからない。
脚本の丸山昇一も、『そんなの優作に聞け』と言っていた。
しかし、優作の気迫というか、何か得体が知れない雰囲気に圧倒されて見入ってしまうのだ。
同じ芝居を他の役者がやれば、その薄っぺらさに忽ちしらけて、席を立ってしまうだろう。
現在、こんな事をして許される俳優がいるだろうか。例えやったとしてもギャグと勘違いされて失笑を買うのが落ちだろう。
意味不明な事の積み重ねで、ひとつの映画を成立させてしまう松田優作に改めて感嘆せずにはいられない。
と普通なら締めくくるところだが、それではあまりに情けない。
優作が遺した謎に爪痕くらいは付けてやりたい。
『アッ!』のルーツを探ったが、私は実はショーケンなのではないかと密かに思っている。
この当時の萩原健一は、ライブで両手の人差し指を突き出すパフォーマンスをやっていた。
今でもショーケンの物真似というと、これをするタレントがいる。
以前、優作が萩原健一をリスペクトしていたと書いたが、そんな優作の事だから芝居に拝借したとしても、何ら不思議ではない。



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