野獣死すべし(1980年)A
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1 @kira 2013-02-25 23:02:45 [携帯]
の画像を貼りましょう。
52 @kira 2013-02-26 01:30:25 [画像] [携帯]
現代の[リップ・ヴァン・ウィンクル]伊達邦彦
伊達が柏木に語るリップ・ヴァン・ウィンクルの話は、アメリカの作家ワシントン・アーヴィングが1820年に発表した短編集『スケッチ・ブック』に収録された寓話である。
その内容からアメリカ版浦島太郎と呼ばれている。
呑気者の木樵のリップはうるさい妻から逃れる為、愛犬と銃を持って猟に出掛ける。
深い森に迷い込んだリップは自分の名を呼ぶ声を聞く。
それは白い髭を垂らした酒樽を担いだ見知らぬ老人だった。
犬は怯えている。
老人と共に谷を登って行くと高い崖に囲まれた広場に出た。そこでは数人の男達がボウリングに興じていた。
そして、リップは男達と酒を飲み、知らない間に眠ってしまう。
目覚めると、老人と出会った丘の上にいた。森の様子は変わっていて、銃は錆び、愛犬はいなくなっていた。
リップは老人達の仕業だと思い、彼等を探すが枯れていた筈の谷は川の激流に阻まれていた。
諦めたリップはとぼとぼと家路に就いた。
リップは自分の家を見つける事が出来なかった。
猟に出る以前より家が増えており、アメリカは独立していた。
やっと見つけた家は朽ち果てて誰も住んでいなかった。
村を歩き回ったリップは村人に取り囲まれた。
一人が『おじいさん、銃なんか持ってどうした』と聞く。
リップは『おじいさん?私はまだ若いですよ』と答えるが人々はリップの胸元を指差し笑っている。
リップも自分の胸元を見ると白い髭が伸びていた。
驚いたリップは『誰かリップ・ヴァン・ウィンクルを知る者はいないのか』と叫んだ。
赤ん坊を抱いた若い女が現れ、『それは父です。20年前に山へ行って戻って来ませんでした』
リップは愕然となる。
妻は既に死んでおり、恐妻から解放された事を知る。
リップが山で眠っている間に20年が過ぎ去っていた。
リップが事情を話すと『それはハドソン船長達の霊に違いない。20年に一度、巡回にやって来るんだ』と語った。
リップはその後、娘に引き取られ幸せに暮らしたという。
53 @kira 2013-02-26 01:37:42 [画像] [携帯]
この話、伊達が話していると『野獣死すべし』の為に書かれたのかと錯覚するほど類似している。
リップが猟に行く件は、通信社のカメラマンとして各地の戦場を渡り歩く伊達に重なる。
リップが谷川の上流で出会う男達は、戦場の傭兵やゲリラ。
リップが戻った村は伊達が戦場から呼び戻された東京そのものである。
相違点もある。
リップには妻がいたが伊達にはいない。
リップが会う小人も不思議なおじいさんである。
帰る場所があったリップに対して伊達には戻るべき居場所がなかった。
リップが見た夢の描写もない。
伊達はこの夢に自身を投影している。
それまで不完全燃焼な人生を送って来た伊達が、国外の戦場で不可抗力ながらも人を殺した事から殺人に取り憑かれ標的を求める姿は極めて悪魔的だ。
極限まで達した伊達の意識は撮影された写真にも投影され、通信社の知るところとなり、呼び戻される。
リップと伊達が違うのはこの後だ。
リップは眠りから覚めて娘と一緒に幸せに暮らすが、東京に戻った伊達は果たして幸せだったのか。
幸せだったのならば、この物語が始動する事などない。
伊達にとって東京とは故郷と呼べる場所ではなく単なる住処だ。
ショパンが故郷に帰る事を求めて止まなかったように、伊達は真の故郷である戦場への帰還を夢見た。
しかし、伊達が79年まで滞在していたウガンダのアミンの失脚により、伊達の故郷は事実上消滅。
故郷に帰れずとも、夢見る祖国があったショパンのほうが故郷を失った伊達よりも幸福だったのだろう。
だからこそ、伊達は故郷を取り戻す代償行為として銀行強盗を行ったのではないだろうか。
54 mousaku 2014-03-06 20:36:58 [PC]
「野獣死すべし」についての考察、非常に楽しませて頂きました。
「野獣死すべし」のラストについて私なりの解釈です。
ラストシーンは「明日に向かって撃て」からインスパイアを受けていると思います。
この頃はアメリカンニューシネマの直後で、アウトローがフィーチャーされる映画がたくさん作られました。
しかし、そんなアウトローたちも映画の最後に必ず死んだり捕まったりします。
悪は栄えないが、そんな悪党たちの生き様に私たちは憧れました。
しかし悪が栄える映画は作れません。
それはアメリカでも日本でも状況は似たようなものです。
映画「蘇える金狼」では朝倉は刺されて死にました。
原作では死んでいません。
「野獣死すべし」の原作では伊達邦彦は警官隊に突っ込んで行きましたが、その野獣の魂はいつまでも生き続けることを暗示していました。
そして、その後の「野獣死すべし・復讐編」で邦彦は復活しました。
そう考えると、映画「野獣死すべし」で伊達が生きているかの死んだのか分からない演出になったのは納得できます。
ラストのストップモーションからズームバックは「明日に向かって撃て」と同じ演出です。
「明日に向かって撃て」では軍隊に囲まれますが、最後は撃たれる瞬間にストップモーションになってそこに銃声がかぶります。
あの当時、誰もが真似をしたくなるカッコいい演出でした。
その名シーンをヒントに村川監督と優作によって作り上げた名シーンだと思います。
銃声ではなく矢が飛んでくるような風を切るような音になっているのはインディアンの弓矢の音ではないかと思っています。
グリップの裏に「最後の狙撃者…」と書いてあるシーンで優作がヒュン、ヒュンと言っていますが、あれもインディアンの弓矢の音ではないかと思います。
グリップの持ち主である西部で生きたガンマンのエピソードとして、インディアンとの死闘を想像することが出来ます。
何人もの血を吸った呪われた凶銃を手にした邦彦が最後に警官隊に囲まれた時、インディアンとの死闘をイメージしても変ではありません。
ラストの柏木は、亡霊のようにすることによって現実味をなくし、あいまいにすることによって邦彦のその後をぼやかしているのだと思います。
現実味がありすぎると生死をはっきり描かなくてはなりません。
死は原作のファンを裏切ることになったり、生は映倫の審査員を怒らせることになります。
よって、そのどちらも満足させるために、このような演出が必要だったのではないでしょうか。
多分優作のアイディアだと思いますが。
優作は自分がどのように映るかを計算できるし、映画全体を俯瞰で見ていたのだと思います。
今見ても良いシーンだと思えるのは優作のセンスだと思います。
ラスト前の指揮者のようなポーズでの「あっ」は、完全犯罪を完了した男が現実を確認するためにやった行動だと思いました。
「金狼」で朝倉が自室で太鼓を叩くように部屋中を動き回るシーンがありまが、あのシーンも似たような意味の行動だと思っています。
以上は私の勝手な解釈です。
初めて「野獣死すべし」を見てから30年以上たちますが、漠然と思っていたことをはじめて文章にしました。
乱文、乱筆にて失礼しました。
55 Casa com piscina na ilha terceira Portugal 2023-08-05 11:56:37 [URL] [PC]
Eu gosto que voc?s tendem а ser tamb?m. Tais trabalho
inteligente е relat?rios! Manter-?e ? muito Ьom funciona caras tеnho
voc?? para blogroll.
56 Como aparecer na primeira p?gina do google 2024-12-05 04:11:07 [URL] [PC]
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