蘇える金狼(1980年)A
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1 @kira 2013-02-26 21:41:36 [携帯]

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72 @kira 2013-02-27 04:55:23 [携帯]

『蘇える金狼』のスタッフ
 
■スーパーアドバイザー 四方 義朗
 
1948年8月27日生まれ。
日本のファッションプロデューサー。
大阪市出身。
関西大学法学部卒業。
 
1972年、つのだひろが結成した『キャプテンひろ&スペースバンドにベーシストとして参加(当時は『ヨモヨシロー』名義)。
スペースバンド脱退後は雑誌編集者、TV番組制作を経て、ファッションイベントの企画、演出を手がけ始める。
1983年、株式会社サル・インターナショナルを設立し、ファッションプロデューサーとして活動を始め国内外のコレクションを演出する。
1988年には株式会社四方義朗事務所を設立する。
この頃にはテレビ出演などマスコミ各方面で活躍する。
1988年3月にはサル・インターナショナルの大阪支社を設立する。
現在もファッション関連の事業などの多分野で活躍している。
 
映画
野性の証明(1978年・角川春樹事務所) - テクニカルアドバイザー
蘇える金狼(1979年・角川春樹事務所) - スーパーアドバイザー

73 @kira 2013-02-27 04:56:36 [携帯]

『蘇える金狼』のスタッフ
 
■助監督 小池 要之助
 
1941年11月13日 - 2010年9月22日
山口県下関市出身の映画監督、脚本家。
ミュージックシネマズジャパン顧問。
 
長年にわたって助監督を務めた後、監督デビュー。
『探偵物語』第19話の予告編のナレーションは、主演の松田優作が同郷出身ということで、本編の内容には一言も触れず小池の紹介に徹していた。
また、第27話(最終話)の予告編では映像への出演も果たしている。
その縁で『ア・ホーマンス』では監督として起用されたが、松田との意見の相違から降板している。
2010年9月22日、気管癌のため死去。
監督作品
テレビドラマ
それ行け!カッチン(1975年 - 1976年)
バトルホーク(1976年 - 1977年)
大追跡(1978年)
第25話『横浜コネクション』
探偵物語(1979年 - 1980年)
第19話『影を捨てた男』
第27話『ダウンタウン・ブルース』
プロハンター(1981年)
第13話『北北西に向かって走れ』
第14話『殺しは別れの挨拶』
おてんば宇宙人(1981年)
映画
かげろう 俊のヤクザな毎日(1997年)※脚本も担当
ビデオ
新・ワニ分署(1998年)※脚本も担当
監督以外での参加作品
テレビドラマ
太陽にほえろ! - 助監督
鬼平犯科帳 - 助監督
古谷一行の金田一耕助シリーズ 横溝正史シリーズ - 助監督
『三つ首塔』
『悪魔が来りて笛を吹く』
『獄門島』
蘇える金狼 角川春樹事務所 ... 助監督
処刑遊戯 東映セントラルフィルム ... 助監督
野獣死すべし 東映=角川春樹事務所 ... 助監督
ヨコハマBJブルース 東映セントラルフィルム ... 監督補
かげろう 俊のヤクザな毎日 ケイエスエス=ケイエスエス販売
甦る優作『探偵物語』特別篇 聖女が街にやって来た セントラルアーツ ... 助監督
甦る優作『探偵物語』特別篇 夜汽車で来たあいつ セントラルアーツ ... 助監督
新・82分署 アネック=グルーヴコーポレーション 脚本
かげろう 俊のヤクザな毎日 (V) ケイエスエス=ケイエスエス販売

74 @kira 2013-02-27 05:01:18 [画像] [携帯]

『蘇える金狼』のゲスト
 
加藤 大樹
 
日本の俳優、元スタントマン。
本名 加藤 寿
 
高倉英二に師事し若駒冒険グループに入団。
スーツアクターなどのスタントマンとして、特撮ヒーロー物を中心に活動。
『トリプルファイター』のケリー岩崎役で俳優としてもデビューを果たし、『スーパーロボット レッドバロン』では、レギュラーの隊員役に抜擢される。
スタントマン仕込みの高度なアクションと、長身で精悍なマスクから人気が出て、シリーズ続編の『スーパーロボット マッハバロン』にも隊員役で引き続きレギュラー出演した。
これらを機会に役者としても活躍するようになり、刑事ドラマ中心に出演した。
78年公開の映画『皮ジャン反抗族』から、芸名を本名の『加藤寿』から『加藤大樹』に改めた。
松田優作と共演する事が多く、『探偵物語』の最終回で松田演じる工藤俊作に地下道で復讐され殺害されるスローモーションシーンは印象深い。
『仮面ライダー』の主役オーディションを受けたが、合格に至らなかった。
講談社の『仮面ライダー大全集』(ISBN 4-06-178401-3)にはそのときの写真が掲載されている。
日本を活躍の舞台とした1981年香港製作のブルース・リー主演作『死亡の塔』に出演した。
しかしながら1981年当時既にブルース・リーは故人であり、本作では間接的に”世紀の闘神”ブルース・リーとの共演を果たした。
現在は芸能界を引退し、NPO法人森吉山ネイチャー協会理事長や、秋田県トライアスロン連合理事などを務めている。

75 @kira 2013-02-27 05:03:12 [画像] [携帯]

『蘇える金狼』のゲスト
 
村川透
 
野望達成を果たした朝倉の元にランボルギーニ カウンタックを届けに来た販売員、仙元役で登場。
せっかく車の説明をしようとしたのに朝倉に犬のように追い払われてしまう。
 
村川透監督は自身の監督作品によく出演している。

76 @kira 2013-02-27 05:05:07 [画像] [携帯]

初期に発売された『蘇える金狼』のLD
77 @kira 2013-02-27 05:13:01 [携帯]

シーン127
劇場版の台詞
朝倉『動くな・・・・・動くな!!会社に頼まれたのか?!』
栗原『いえ・・・・鈴本先生ンところのモンです』
朝倉『鈴本?』
栗原『先生が是非会いたいとおっしゃって・・・』

78 @kira 2013-02-27 05:13:53 [画像] [携帯]

シーン128
劇場版の台詞
鈴本『あんた・・・社長たちから二百万株せしめたそうだな』
朝倉『よく、ご存知で・・・』
鈴本『ワシは必ず東和油脂を乗っ取る。殺された甥の光彦のためにもな!』
鈴本『あんた・・・清水社長の娘と婚約したそうだが、本気で清水一族の一員になるつもりなのか?お前さんのガラじゃないと思うが・・・』
朝倉『そんなことを言うために、わざわざこんなとこへ呼んだわけじゃないだろう!用件はなんだ』
鈴本『あんたの二百万株、売ってくれんかね?時価の3倍で買おう』
朝倉『3倍?!』
鈴本『24億・・・大金だ。しかし、金はどうとでもなる。ワシのバックには次期総裁を狙う通産大臣の吉村がいる。我々を敵にまわしてあがくか、それとも、これを潮時にして金儲けをするか・・・』
鈴本『返事は?!』
朝倉『慌てるな』
鈴本『・・・・・・・・』
朝倉『・・・・・・・・』
朝倉『一杯貰おうか・・・』
朝倉『24億・・・ドルの高額紙幣で用意して貰おうか』

79 @kira 2013-02-27 05:15:06 [画像] [携帯]

レストランのテーブルに就く朝倉と鈴本。
鈴本の表情からは、その本心が読めない。
鈴本は朝倉が東和油脂から200万株を譲り受けた事を知っていた。
鈴本は東和油脂を乗っ取るつもりだ。桜井を殺した東和油脂に対する復讐である事は明らかだ。
脚本では冷遇されている重役から聞いたと書かれているから、金子あたりだろうか。
そして、鈴本は朝倉が絵理子と婚約した事も聞いていた。
回りくどい言い回しに苛つく朝倉に、鈴本は200万株を24億で買いたいと切り出す。
思案する朝倉。
通産相がバックにいる鈴本が動き出せば東和油脂の陥落は時間の問題だ。
朝倉の選択肢は二つ。
鈴本に株を売って余生を過ごすか、鈴本と徹底的に争うかだ。
物語も、朝倉と鈴本の全面対決という選択肢があっただろう。
アクション映画なら当然、そういう展開になるはずだ。
しかし、アクション映画に嫌気がさしていた松田優作は、この映画をメロドラマと位置づけていた。
朝倉と京子の恋愛物語とする事により、俳優・松田優作の新しい展開を模索したのだ。
監督の村川透も、前作『白昼の死角』で新たな側面を打ち出しており、松田優作の提案に意欲的に乗って来た感がある。
しかし、アクション映画と見た場合、いささか不完全燃焼な感じが残る。
私は朝倉と鈴本軍団の対決が見たかった。
東映大部屋俳優たちが、朝倉に向かって来るシーンを想像するだけで圧巻である。

80 @kira 2013-02-27 05:20:29 [画像] [携帯]

ロケ地探偵団
 
朝倉と鈴本が会食するレストラン>>82
 
渋谷クロスタワー31F
『スカイレストラン オスロ』
 
1975年オープン。

81 @kira 2013-02-27 05:21:52 [画像] [携帯]

『蘇える金狼』の男優たち
 
安部徹
 
1917年3月28日 - 1993年7月18日
旧芸名は『原不二雄』。
 
福岡県宗像郡東郷町字田熊(現・宗像市東郷)出身。
小学校長の4人兄弟の長男として生まれ、3人の弟はいずれも戦死する。
府立四中(現都立戸山高校)から東京商大予科に進んだが、酔っ払って西武線を止め、退学処分となる。
その後東京水産講習所(現東京海洋大学)に入学したが中退。
府立四中では作曲家浜口庫之助と同級生。
第二次世界大戦では、二等兵時代に毎日レントゲンに影が出るよう砂を胸に付けたり、体温計を擦って微熱を作り、病人と化して戦地へ行くことを逃れた。
また大杉栄に傾倒していた。
母方の祖父が日刊工業新聞の創始者であることから、2代目増田社長から、新聞社の社長を要請されたが、俳優として活躍中だったため、あっさり断った。
妻は女優・声優の北原文枝だが入籍はしなかった。
小田急の重役の娘であった前妻との間に長男がいるが芸能界と関係なく詳細不明。
1939年、新興キネマに入社し、新人として同年の『結婚問答』で映画デビュー。
当時は“原不二雄”の芸名だったが、1944年に松竹に移籍して安部徹と本名に改名。
後のコワモテぶりからは想像できないが、若手時代は二枚目の俳優だった。
主演作も数本あったが、長く俳優を続けるため、悪役に転身。
1950年代はフリーとして主に日活で活躍し、1960年代からは東映や大映にも進出。
その鬼瓦のような風貌とゴツい体格を活かし、戦争映画、時代劇、ギャング映画、仁侠映画と、様々なジャンルの作品に凄味のある役柄で数多く出演した。
また、ゴルフを趣味としていて、スポーツ報知に自身のゴルフに纏わる四方山話をコラムとして連載していたこともあった。
1993年7月18日、癌のため死去。



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