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材大なれば用を為し難し

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スレッド名コメント作成者最終投稿
これはまあ甚しい例で1 Ryou 2013-12-01 12:22:18 Ryou
それで親子三人の場合に1 Ryou 2013-12-01 12:21:02 Ryou
奇怪なる多夫一妻1 Ryou 2013-12-01 12:20:32 Ryou
大蔵大臣の家1 Ryou 2013-12-01 12:20:12 Ryou
それは椀に一杯ずつ1 Ryou 2013-12-01 12:19:52 Ryou
それだから僧侶が1 Ryou 2013-12-01 12:19:32 Ryou
僧侶及び学者の理想1 Ryou 2013-12-01 12:19:08 Ryou
カムの人は他の者に比すると1 Ryou 2013-12-01 12:18:51 Ryou
そうしてモンゴリヤ人は1 Ryou 2013-12-01 12:17:38 Ryou
三種族の性質 1 Ryou 2013-12-01 12:17:08 Ryou
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1 Ryou 2013-12-01 12:22:18 [URL]

 これはまあ甚しい例で、そんなのは稀ですけれども、一般に妻の権力が強い。例えば自分がよそに行って何かの相談がほぼ纒まりそうになると「これで私は承知した。一遍家に帰って家内に相談してあれが承知すればそれでご返事を致しましょう」と言うても誰も笑う者がない。自分もやはりそのとおり家内に相談しなければならんという。ですから妻の権力は非常に強いもので、大抵の場合には妻の命令で商売にも出掛けるというような訳です。三人兄弟で妻を一人持って居る場合にはいずれも妻の気に入ろう入ろうと心掛け、お髯がないからお髯の塵を払うことは出来ないけれども、ご機嫌を伺うということはなかなか力めたもので実に哀れなものです。
 しかしチベットにも一夫一妻がある。それらは夫の権力が割合に強い。それからまた一時夫婦になって、即ち自分の好きな間だけ夫婦になって嫌になり次第別れるという結婚の約束がある。そういう女は沢山男を持って居りまして、いずれの男からも金を貪り取るという始末にいかぬ奴である。それは田舎では少ないがラサとかシカチェという所には沢山あるです。チベットにおいて娼妓とか芸妓とかいう者は大抵こんなものです。こういう細かな事についていろいろいうて居ますとなかなか果てしがないから、まずラサ府の正式の結婚 についてお話しましょう。チベット国人の結婚期はおよそ男女の歳は同一であって大抵二十歳から二十五歳位に至る間に行うです。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:21:02 [URL]

 それで親子三人の場合にその母親が死ぬと、今度は父親に女房を貰うとかあるいは息子に女房を貰うとかして、その一人の女が親子に女房になるということも法律上少しも差支えない。そんなに紊れて居るからしてどこどこまでも制限がないかと思うとまたそうでもない。従兄弟同士が夫婦に成ることは犬のようである、兄弟が夫婦になったと同じだから許せないというて大いに世人も咎めるのみならず、やはり法律上の罪人としてその処刑を受けなければならん。
妻の権力 チベットでは一般にいえば妻の権力が非常に強い。例えば夫が儲けて来た金は大抵妻に渡してしまう。で三人夫があれば三人の儲けて来た金を妻が皆受け取ってしまい、儲けようが少なかったとか何とかいう場合にはその妻から叱言をいう。で夫は自分の入用の時分に妻の手から、こういう訳でこれこれ金が要るからくれろと言わなくてはならん。もし夫が臍繰金を持って居ることが分ると、大いに妻が怒ってその夫に喧嘩を仕掛け甚しきは夫の横面をぶんなぐるというのもある。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:20:32 [URL]

 結婚の事を話す前にちょっと、地方とラサ府の結婚の遣り方の違って居ること、それからかの国の夫婦の関係および権力等について予め言って置く方が順序かと思います。一体結婚の礼式は地方によって大変に違って居るから一概に言うことは出来ない。これまである西洋人はラサ府までは来ずに、法王管轄のチベットの関所いわゆるシナ領のチベットまで来て、そうしてチベットという名目で公けにされて居る書物が沢山ある。それらの書物の中にいろいろ結婚の事が書いてありますがそれは実際その人の見て来たのもありまた聞いて書いたものもあって確かなものではあるけれども、ラサ府の中に行われてある結婚について非常にくわしく書いてあるものをこれまで見ませぬから、特にラサ府の事をいうのが必要であると思う。
 そのいろいろ違って居る点は、その地方地方についていちいち説明しなければ、到底細かい事を言い尽すことが出来ないけれども、そういう事はとても及ばない。また自分も各地方についていちいち結婚の礼式を見た訳ではない。ラサ府で二、三の礼式を見ただけであるからこれについて述ぶるのが私において最も便利である。チベットは世人によく知られて居るように多夫一妻である。それにも種類があって兄弟で貰うのとまた他人同士が相談して貰うのと、それから最初は一夫一妻であったが、その妻君の権力が強くってよその男を引っ張って参り、自分の古い聟さんの承諾を得て多夫一妻になることも沢山ある。それでその人倫の紊れて居ることはほとんどいうに忍びないほどの事もありますけれども、チベット人は恬として耻じない。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:20:12 [URL]

 さて私は大蔵大臣の家に居るものですから他の大臣たちの家へも折々は行くことが出来た。その中に宰相の一人でショ・カンワ(家の名)という人がある。元来宰相という名前の者はチベットでは四人、また大蔵大臣も三人ある。けれども真の大蔵大臣は一人で、一番古くやって居る者がすべてその責任を帯びてやりますので、その他はまあ次官のようなものです。宰相もまた同様で一番元老の人が実際の権力を持って居るので、その他は次官のようなものでほとんど自分の意見の行われるということはない位。
 このショ・カンワというのは宰相中の二番目であって私もたびたび遇って話をしましたがその方の娘がユートという華族の公子に嫁に行くことになった。でその結婚式を実地に見ました。ラサ府の中でも殊に正しい結婚式でございますからその事についてお話したいと思います。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:19:52 [URL]

それは椀に一杯ずつですけれども、その一杯ずつがどうしても二十五銭位ずつ掛るです。その外にいろいろ入用なものがあるからどうしても五、六百円の金は掛る。その金はこの貧乏な修学僧侶には一文でもあるものじゃあないけれども、またその位置に進んで行くと金を貸してくれる僧侶がある。その金満家の僧侶は金を貸し利子を取って、そうしてその人に恩を被せまた自分も利子を得るという訳です。なぜならば博士になると実際それだけの力のないバカセでも、その名だけでお経を読みに行くと金を沢山得られるからです。どうなりこうなり二十年の修行を済まして、博士の名を貰った人はどういう事をするかというと
一生自分の借金済し の奉公をしなくてはならん、その金を貸してくれた人に対して……。まあ都合好く行けば五年か八年で借金は抜けるそうですけれども、そう行かなければ一生奉公するというような詰らん境遇に立つのです。せっかく苦心して学問して、そうしてその虚名を貰うためにまた後の苦心を続けるという、実に社会の制裁とはいいながらその制裁に支配されて居るチベット僧侶の愚もまた憫むべき訳である。僧侶の事はこれくらいにして置きましょう。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:19:32 [URL]

 それだから僧侶が商売をやるとか農業をやるとか、あるいは職工をやるとかあるいは牧畜をやるとか、いろいろな事をやりますので、それからまた僧侶の本分として俗家へお経を読みに行って、その布施金を畜えるということも大いに行われて居る。かわいそうなのは少しも学資金がなくて勉強して居る修学僧侶でありますが、それとても目的はやはりその一般の風習に化せられて、今のこの苦労が後の安楽を得たいということに向って進んで居るので、決してその苦しんだ事をもって社会を利益しよう、衆生の苦しみを救う資本としてやろうという志望をもってやって居るような人は、あるいは有るかはしらんけれども、私はそういう結構な人に不幸にして逢うことが出来なかった。
肉粥の供養 そこでそういう僧侶がずっと二十年間も学問して進んで行きますと、いずれ博士になることが出来る。博士になる時分には少なくとも五百円位の金は掛る。それはどういう事で掛るかというと、その学部一体の者に肉粥を供養しなくちゃあならん。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:19:08 [URL]

 一体僧侶及び学者の理想として、自分がかくなりたいということを希望して居るのは何であるかといえば、大抵はかの閉ざされた国において名声を高く広く挙げたいというのと、財産を沢山に得たいというのが目的であって、衆生済度のために仏教を修行するのではない。自分が苦しくないように、金を沢山得られるように、この世も安楽に未来も安楽に行けるようにというのはまだまだ余程よい方なので、未来はどうでもその学問を利用して名を社会に挙げ、そして沢山の財を得て安楽に暮らせばよいというのが、千人の内九百九十九人までその傾きがあるです。
 こういう風になって来たのはどういうものかというに、つまりかの国では僧侶及び学者の価値を判断するには、その学識とか徳行とかあるいは世人をいかに利益して居るかという点から判断するのでなく、その財産の多い寡いによってその人の値打が極ります。それゆえ千両の財産ある学者は千両だけの値打しかない。たといその人が十万両持って居る〔無〕学者よりも尊い智識であっても、その十万両持って居る無学者の方が、かえって社会より称讃を受けて居る。だから金なしではなんの所詮もない。ただ金これ万事を処するといったようなところに眼を着けて、金を貯える事に非常に奔走尽力して居る。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:18:51 [URL]

 カムの人は他の者に比すると余程善いです。もっともカムは強盗の本場ですからごく短気であるけれどもモンゴリヤ人のようにちょっとした事でじきに怒らない、なかなかその辺には忍耐力もある。身体の強壮な事も三種族の中で第一等です。義侠心も随分ある。強盗をやるような奴でも、人を救うためには随分熱心にやる人間もあるそうです。セラの中に居る坊さんの中でも、嫌味がなくっていわゆる義侠心に富んで居るという侠気の人間はカムの人に多いと私は観察しました。そうむやみにお諂などいうのは大嫌いの性質である。
 モンゴリヤ人はどうかするとつけたようなお諂を言い出す。その点においてはチベット人は最も酷い。カム人でも余程チベット風に染みて腐敗した奴はともかく、そうでない限りそんな人間はまずカム種族の中から擯斥されてしまうです。カムの女子達はどうも余程情ないようで、愛らしい所はちっともない。チベットの人間は表面は男もおとなしいように見えて居るくらいであるから、女もまたなかなか表面は優しく見えて居る。ただし心内に恐るべき剣を収めて居ることは事実である。これがごく大体の気質の分け方ですが、カムの中にもマンカム(地名)もあればバーアもありツァルンもある。その他沢山あって性質が幾分か違って居る点があるが、細かな事はここでは略します。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:17:38 [URL]

 そうしてモンゴリヤ人は勉強もし、またなかなか進取の気象に富んで居るけれども、実に怒り易い人間でちょっとした事にもじきに怒る。というのはつまり自分の種族自慢で、モンゴリヤ人はなかなか立派だ、皆勉強してこの通り大勢博士になって国に帰る、チベット人あるいはカム人とは全く違って居るという高慢の心が非常に強くって、他人に対しても理屈のない詰らない事を非常に威張って怒って居る。そういう点など見ると実にその人の狭量な事を憫まざるを得ない。そうしてモンゴリヤ人の多数はこんな者で、余程大人らしゅう構えて居る人でもちょっとした事で腹を立てる。こういう人種は忍耐力をもって大業を成すことはむつかしい。ジンギスカンのように合戦をやって一時成就する人が出来ても、長くその国の文明を形造ってその社会がますます進んで行くようにするというような充分の力を持って居らぬと思われる。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:17:08 [URL]

三大学にはどこにもチベット人ばかりが居るのではない。モンゴリヤ人それからチベット人とはいわれて居ますけれども、少し人種の違って居るカムの人も居るです。これらは国を異にするに従って幾分か性質も違って居る。チベット人は外見は温順しくってよく何もかも考えるですが、一体勉強の嫌いな質でごくごく怠惰な方で、不潔でくらすのも一つは怠惰なところから出て来たようにもあるです。まあチベット人の坊さんで普通の生計をして居る人ならば冬は本堂にお経を読みあるいは茶を飲みに行く。その間は自分の舎の前の日当りのよい所に裸体になって、背中を亀の甲のように乾して居る。そうして羊の毛織りの端くれで鼻汁をかんで、その鼻汁をかんだ切布を頭の上に載せて乾しながら、うつうつと坐睡り好い心持に暖まって居るざまというものはないです。
 年寄ならまだようござりますが、随分若い者がそういう事をやって居るのを見てもチベット人の怠惰であるということが分る。そこへ来てはモンゴリヤ人はそんな事をやって居る者はない。わざわざ遠い所から出て来たのは勉強が目的であるから、非常に勉強するのみならず、問答などの遣り方もなかなか劇しい。大抵五百人居ればまず四百人までは普通善い方の人になって百人ぐらいしか屑は出ない。ところがチベット人は五百人居れば四百五十人までは確かに屑の方で、かの壮士坊主なんかというのもチベット人が主なのです。カムの人にもモンゴリヤの人にも壮士坊主は稀であります。
 
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