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材大なれば用を為し難し

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薬剤師の転職先としては製薬会社もあり1 Ryou 2013-12-01 12:15:45 Ryou
次に主人は1 Ryou 2013-12-01 12:14:55 Ryou
チベットの誓いの詞の種類1 Ryou 2013-12-01 12:14:21 Ryou
そりゃそうだろうけれども1 Ryou 2013-12-01 12:13:35 Ryou
機先の計略1 Ryou 2013-12-01 12:13:06 Ryou
それから二人は1 Ryou 2013-12-01 12:12:47 Ryou
そこでまた二、三日たって1 Ryou 2013-12-01 12:12:07 Ryou
私は何心なく見ますと1 Ryou 2013-12-01 12:11:30 Ryou
ことに露店も道の広いところには1 Ryou 2013-12-01 12:11:12 Ryou
チベットの外交上1 Ryou 2013-12-01 12:10:27 Ryou
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1 Ryou 2013-12-01 12:15:45 [URL]

薬剤師の勤め先としてはドラッグストアや病院がメインです。
基本的にはそれらの求人を探すことになります。

ただ、地方で薬剤師が勤め先を探すとなるとやや大変です。
大病院があるような都道府県であればまだよいのですが、小規模の診療所しかないような都道府県だと必然的に勤め先は限られてきます。

そんなときは、製薬会社にも目を向けてみましょう。
地方であっても大規模な製薬会社が存在していて、薬剤師を募集している場合はけっこうあります。
もちろん、製薬会社と病院、ドラッグストアなどでは仕事内容や社内の雰囲気はだいぶ違ってくるわけですが、仕事が見つからない場合は選り好みしすぎるのもよくありません。

なお、薬剤師専用の転職サイトもありますから、活用してみましょう。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:14:55 [URL]

次に主人は私のただ今の住所を尋ねたから私は今はセラに居るといったところが、主人は少し考えて居りましたが、「それじゃあなたはこの頃大変名高い法王の御殿に出入するセライ・アムチー(セラの医者という意味にて著者の通称なり。ただし本名はセーラブ・ギャムツォすなわち慧海という)というのはあなたの事じゃございませんか。」「そうだ」といいましたところが非常に驚いて「どうもこの頃は世間ではあなたを薬師様か耆婆 のようにいって居ります。私共も身体が弱いから酷い病気でも起らないかどうか、一遍お逢い申して見て戴きたいと思うて居った矢先でございました」というようないろいろの話が出てそれから大変にその人と親密になった。そこでまた例の大蔵大臣の所に居るものですから喰物が沢山余って仕様のない事がある。それはやはり大臣方の紹介で是非見てやらなければならん貴族の病人がある。それらを見に行くと沢山な礼物の上にいろいろ珍しい喰物をくれるです。
 そういう物は自分一人で喰えないからみんな薬舗と其所へ持って行って分けて遣る。自分の部屋の留守番をして居る弟子坊さんにも分けて遣る。自分の喰うものはそんなになくっても大臣の所で御馳走があり余る程あるんですから……。それでだんだん親しみを増して来て私の災難を真実に救う原因となったのです。そこで私はやはりその大学の生徒になって居るのですから科目を怠ることは出来ない。折々セラの方にも帰って問答に出なくてはならん。もっとも医者であるから幾分か教官の方でも大目に見てくれて、そう毎日出なくったって叱言は喰わないんですけれども自分も好きなものですから折々やって行く。ここで僧侶の一般の傾向及び学者の理想として望んで居るところの事柄、僧侶の人種の区別等についてお話して置きましょう。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:14:21 [URL]

ここでちょっとチベットの誓いの詞の種類 について話して置きます。チベットでは誓いの詞が幾種もあって「南無三宝」というのが普通で「母と離る」とて、わが言うことの違えばわが最愛の母と死別れよというて誓うことになるのですが、また地方においてはその各地の地神あるいはその地方で名高い仏菩薩を指して誓います。ラサ府では「チョオー・リンボチェ」というのが主であって、商売の取引上にもいよいよ確定の値段になるとこの詞を出して誓います。これはただ口先だけでいうので釈迦堂を指して厳格にいうようなことは致しませんですから、商売上とかちょいとした話に「チョオー・リンボチェ」を感詞のごとくに話の切れ目に投げ入れても、それで確実に信用することが出来ない場合も沢山ありますが、しかしいよいよ釈迦堂を指すとかあるいはお経を頭に戴くとかしてこの誓言を発して事が決定した場合に、それを破るのは親を殺すよりも大罪として居ります。
 大抵普通の場合に用いる誓いの詞は自分の話を確かめるために感詞のごとくに詞の間に入れますので、婦女子の話には大変誓詞を沢山用います。チベットにおける誓詞の数は私の知って居るだけでも四十五種もございますが、くだくだしいから略します。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:13:35 [URL]

「そりゃそうだろうけれどもお前にも金儲けが出来、私の方にも便宜を得る訳だから言って見たがよかろう。それともお前達はどうしても政府に告げる気はないのか。」「ないどころじゃない、チョオー・リンボチェ(誓いの言葉)、そういう事は死んでもいいません」という。これがチベット人のラサ府における最後の誓いである。
 チョオー・リンボチェというのは救世主宝という意味でラサ府の釈迦牟尼仏を指していうのです。すなわち釈迦牟尼仏に対し「もし私がこの事を発言するならば死んでよろしい、どうか殺して下さい」というくらいに強い誓いを立てるのです。で、そのチョオー・リンボチェといって左の手を拡げてラサ府の釈迦牟尼仏の居る方向に指して一生懸命に祈るがごとく恐るるがごとくに誓いを立てました。その時の様子はいかにも人を欺くような素振は少しもない。全く深い心の底から出て来たとしか見られない。
 するとその妻君も同じくチョオー・リンボチェと言って「決してそういう事はしません。たといあなたが告げてくれろとどれだけお頼みになってもそういうお頼みはチョオー・リンボチェ決して肯くことは出来ません。」この誓いを得さえすればチベットでは公正証書を取ったよりも確かなものである。そこで私は「そんなら無理に頼む必要もない」というてその事は一段話が極りました。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:13:06 [URL]

 そこで私は殊更に儼然と構え込んでさて「どうだお前達二人は誠に立派に暮して居るが、しかし俺の事を政府に告げると随分金儲けが出来るだろう。私もその方がかえって大変都合のよい事があるんだ。私が自身に言うて出ると、なんだか本当の事を嘘の事でもあるように疑われて詰らない。だからお前達二人でダージリンで見たところのジャパン・ラマが此国に忍んで来て居る。それを私が発見しましたといって願うがよかろう。するとお前達は銭儲けが出来るし私の方も都合がよい。私はもう括られる用意をして居るから」と鋭くいいました。
 すると妻君は少し震い気味、その良人も非常な驚き方で「どう致しまして、そんな悪い事をして多くの金儲けをしたところでその金が何の役に立ちますものか、それほど私共は悪い人間じゃあございません。喰わずに居ってもそんな事をするのは嫌でございます。たとい此事が知れて私共の身に災難が起ったところがどうせ前世の因縁と諦めなくちゃならん。こんなに商売人こそして居りますけれどもそういうむさい金を取ろうというような考えは持って居らないのでございます。そんな事をおっしゃって下すっては困ります」となかなか立派な答え。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:12:47 [URL]

 それから二人は口を揃えて「まあどこからお越しになりましたか。我々は紛いもないチベット人ですら、出入をするに実に困難を極めて間道でもあれば脱けて行きたいと思う位苦しんで居りますが、それをまああなたはどこからお越しになったか、空でも飛んでお越しになったか」という話。「空を飛ぶような事は知らない、西北原から来た」といいますと「なあに西北原だってこの三、四年このかたは皆その間道間道には兵隊を付けてあるからどこでも通り脱けるということは出来ない。間道から来なければどこにも通って来る所はないのですからどうも空でも飛んでお越しになられたとほか思われません。」「イヤそんな事の出来る訳がない、道のない所を難儀して来た」と話しましたが信じないようでした。
 私はここ危機一髪を誤まれば自分の日本人たる事が顕われてあるいは大なる災害を自分の恩人たる大蔵大臣およびセラ大学に及ぼすかも知れない。商人という者は殊に利に走り易いものであるから、どういう事から私の事を政府に告げて金を儲ける算段をするかも知れない。およそ物事は「機先を制すれば勝利は自分に得らるるもの」、この時に当って一つの策略を運らさなければならんという考えが浮かびました。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:12:07 [URL]

 そこでまた二、三日たってそのパルコルに出かけ、あの石鹸を二つ三つ買って置かないと、売切れてはラサ府で買うことが出来ないと思うてその店に行ったところが、その主人は石鹸を売るということをせずにジーッと私の顔を見詰めて居る。私は石鹸はこの間の値段で買うからといって銭を出そうとすると「まあお待ちなさい、あなたは私を御存知ありませんか」という声が紛いなくツァ・ルンバに違いございませんから「知って居る」と笑いながら答えました。すると大いに驚いた顔をして「何しろ内へお入り下さい」といい、もう日暮でもございましたから店の小厮に店を仕舞うように吩付けて家へ入った。私も続いて家へ入りますと「どうかまあ久々の事ですからむさいところではありますがお上り下さい」といいますから主人に従って家に通りますと、なかなか小ざっぱりとした立派な商法家で、二室ばかり向うに抜け梯子段を上に昇り、その人の本堂の室へ着きました。
 其室にはその内儀さんのペートン(蓮顕)という女がやはりダージリンから一緒に来て居る。私はじきに知りましたけれども先方では全く知らない様子。主人は笑いながら自分の女房に対し「お前はこのお方を知って居るか」と尋ねましたが、私を見て「存じません」と答えたです。「存じない事があるものか、大変よく知って居る筈だ、お前達が世話になった方だ」といわれて今度は大変よく見て居ったですが、全く分らんものと見えて、「どこのお方か覚えません私が世話になった方ならば知って居る筈ですが」というと「そういう馬鹿だから困る。それダージリンで差込が起った時尊い薬を貰って治ったじゃないか。」すると「ああそうです。もうその先は言ってくれないでも宜しい。どうも失礼致しました。久々でこういう所でお目にかかろうとは思わなかった。嬉しい事でございます」という挨拶。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:11:30 [URL]

 私は何心なく見ますと、ダージリンで知合いになったところのツァ・ルンバという商業家らしい。なぜこんなところへ商法店を出して居るのか知らん。それともあの男によく似た人がここに居るのであろうか知らん。あるいは兄弟ではないか知らんという感じを起したけれども、どう見てもツァ・ルンバである。ところが私の顔と風俗が全く変って居るので〔先方には〕ちっとも分らなかったようです。けれども余程不審な顔をして眺めて居った。もっとも私がダージリンに居た時分には多くは日本服を着け、稀にチベット服を着けても余り人中に出たことがない。チベットに行ってからは純粋のチベット服を着けて居るからその様子も変って居るでしょう。またダージリンでは髯がなかったが、その時分は髯が長く生えて居ったからちょっと分らんのも無理はない。
 その主人の言うには「その石鹸はなかなか値段が高いからよしたらよかろう。こっちの方に安くてよいのがございますから。」私はその安くってよい方は気に喰わないので高くてよいのが欲しいと言うと、向うでも笑って何程何程と言う。それを二個ばかり買って帰って参りまして何心なく現任大臣に見せますと、此品は香いもよし、非常に立派だから私にこれを分けてくれまいか。いやそれじゃあさっそくお上げ申しますと言って二個とも上げてしまった。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:11:12 [URL]

ことに露店も道の広いところには沢山あって、それらの売物は大抵日用品のみです。衣服に要する物、あるいは食物に要する物それから日用道具、その中にはもちろんチベットの物が大部分を占めて居りますけれども、次いで多いのはインド、カルカッタ、ボンベイ地方から輸入された物品である。その中で最も私の感じたのは日本の燐寸です。大阪の土井〔(亀太郎)〕という人が拵えた燐寸がチベットのラサ府の中に入って居るです。まだほかの物も入って居るですがその名が記してないから分らない。象の面が二つあるのと一つあるのと、それからまた一つの象を家のところから引き出して居るような蝋燐寸もあって、それにはメード・イン・ジャパンと書いてある。その面は赤い地に画を白く抜いてある。もっともスウェーデンで拵えた燐寸も幾分か入って居るですけれども、それは
日本燐寸に圧倒 されて今は少ししかない。それから日本の竹簾に女の絵などの書いてある物がやはり入って居る。なお陶器類でも九谷焼――それは店の売物としては出て居らんけれども――などが貴族の家に行くとあるです。また日本の画なども貴族の家に額面として折々掛けられてある。それらの日本品を見て、心なき物品は心ある人間よりもえらいと思うて自分ながらおかしく感じました。ことに日本の燐寸の沢山入って居るのを見て、日本の智慧の火がこの国の蒙昧なる闇がりを照すところの道具となる縁起でもあろうかなどと、馬鹿な考えを起してうかうか散歩しながらある店頭へ来ました。ところで大変よい石鹸を見付け出した。そんな物はかつてラサ府にはなかったので、こりゃよい掘出物、買おうと思って値段を聞きますとその主が私の顔をじろりと見ました。
 
1 Ryou 2013-12-01 12:10:27 [URL]

 の事についても充分に知るの便宜を得られた。ただ寺に居った分には仏教上の理屈を研究するにはごく都合がよいけれども、なかなか政府部内の秘密なんと言うことは学者社会にはちっとも知られて居らんで、ただ法王の政府はありがたいという考えを持って居る間抜け坊主ばかりが学問に従事して居るのです。こりゃ間抜けじゃない。知らさないから知らんのでしょう。とにかく私はそういう好都合を得ましたから、この後場合を見て、私の聞いたシナ、英国、ロシア、ネパール等に対する外交上の秘密な事についてもお話をしようと思います。
 それからまた妙な事が重なれば重なり、奇遇というような事も随分あるもので、すでに前にはパーラー公子と天和堂の前で奇遇しましたが、今度はまたダージリンの商人で、ツァ・ルンバ(土地の名をその人の名とす)という人に邂逅しました。此人がまた後にチベットを出る時分に大変助けになった人ですから、ここに寄遇した事を言って置かないと後の事が分らない。ある日私はラサの目抜であるいわば東京の銀座通 とも言うべきパルコルという道を廻って参りました。其街には商業家がいずれもみな店を張って居りますので、その店の張り方は別段他の国の遣り方と変った事はない。
 
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