total:49182 today:13 yesterday:70

材大なれば用を為し難し

Ads by Google
新スレッド作成フォーム
* スレッドタイトル: 50文字以内
ニックネーム:
30文字以内
URL:
* コメント: [絵文字入力]

1000文字以内
文字色:
* 印の付いた項目は必須です。

[すべてのスレッドを一覧表示]
スレッド名コメント作成者最終投稿
Tシャツを選ぶ際には1 Ryou 2013-12-15 22:05:05 Ryou
考へて見れば1 Ryou 2013-12-11 23:17:17 Ryou
空と雲と大地とは1 Ryou 2013-12-11 23:16:56 Ryou
「食後」の作者に1 Ryou 2013-12-11 23:16:40 Ryou
この意味に於て1 Ryou 2013-12-11 23:16:06 Ryou
詩人のつとめは1 Ryou 2013-12-11 23:15:50 Ryou
詩は今日の正夢であつて1 Ryou 2013-12-11 23:15:25 Ryou
爆彈のやうな詩を1 Ryou 2013-12-11 23:15:06 Ryou
ダンテの神曲のことが1 Ryou 2013-12-11 23:14:48 Ryou
諸君子のひそみに1 Ryou 2013-12-11 23:14:22 Ryou
Ads by Google
1 Ryou 2013-12-15 22:05:05 [URL]

Tシャツって、あまりにもデザインが多いですし、自分似合うものを選ぶにあたっては何を買えばよいのか分からなくなることが多い気がします。
そんな時には、オシャレに詳しい友達と一緒にショッピングに出かけてアイデアを聞いたり、オシャレなショップ店員さんに相談して自分に合いそうなものを選んでもらうとおすすめです。
オシャレな人にアイデアを貰うと、自分では思い浮かばなかった着こなし方や、素敵なデザインのTシャツも見つけやすくなるので、視野が広がります。
Tシャツを選ぶにあたっては、襟ぐりの深さやかたちなどに注目したり、着丈やサイズ感が自分に似合うかどうか考えることがおすすめです。
試着できるものであればぜひ試着すると、失敗を減らせるのです。
 
1 Ryou 2013-12-11 23:17:17 [URL]

 考へて見れば、これが「生の充實」を稱ふる現代の金口に何等の信仰を持たぬ人間の必定墮ちてゆく羽目であらう。その上、僕には本能的な生の衝動が極めて微弱であるから、悔恨の情さへ起り得ない。とどのつまり永遠に墮ちてゆく先は無爲の陷穽である。
 然しながら無爲の陷穽にはまつた人間にもなほ一つ殘された信仰がある。二千年も三千年も言ひ古るした、哲理の發端で綜合である無常――僕は僕の生氣の失せた肉體を通じてこの無常の鏡を今更しみじみと聽きほれるのである。これが僕のこのごろの生活の根調である。矢張僕の神經や肉の纖維には佛教の蟲が食ひこんでゐると見える。古本の紙魚を日光に曝らして拂ひ落すやうに、この佛教の蟲が拂ひ落せるものか、どうか。この蟲がそもそも轉變窮りなき夢を見せるのである。人間の芝居を人形の芝居として見せるのである。
 
1 Ryou 2013-12-11 23:16:56 [URL]

 空と雲と大地とは終日ながめくらしても飽くことを知らないが、半日の讀書は僕を倦ましめることが多い。新しい家に移つてからは、空地に好める樹木を植ゑたり、ほんの慰みに畑をいぢつたりするだけの仕事しか爲さないのである。そして僅に發芽する蔬菜のたぐひは、これを順次に、いかにも生に忠實な蟲に供養するまでゝある。勿論厨房の助にならう筈はない。こんな有樣なのであるから、田園生活なんどは毫頭想ひも寄らぬことがらである。僕の生活は都會ともつかず田園ともつかず、その中間にあつて、相變らず空漠なその日暮らしで始終してゐる。そして當然僕の生涯の絃の上には、倦怠と懶惰が執ねくもその灰色の手をおいて、無韻の韻を奏でてゐるのである。
 
1 Ryou 2013-12-11 23:16:40 [URL]

 ――君。僕は僕の近來の生活と思想の斷片を君に書いておくらうと思ふ。然し實を云へば何も書く材料はないのである。默してゐて濟むことである。君と僕との交誼が深ければ深いほど、默してゐた方が順當なのであらう。舊い家を去つて新しい家に移つた僕は、この靜かな郊外の田園で、懶惰に費す日の多くなつたのをよろこぶぐらゐなものである。僕には働くといふことが苦手である。ましてや他人の意志の下に働くといふことは、どうあつても出來ない相談である。それなら自分の意志の鞭を背に受けて、嚴肅な人生の途に上らねばならぬといふことは、それが假令考へられるにしても、その考を直ちに實行に移すことを難んずる状態である。今までに一つとして纏つた仕事を成して來なかつたのが何よりの證據である。
 
1 Ryou 2013-12-11 23:16:06 [URL]

この意味に於て、この曲は神慮を測り、且つ慰むる狂言綺語の一類であつたと云つても、決してその偉大さは妨げられない。かの穢を祓ひ縁喜を祝ふたぐひの言葉とその系統に於て異るところがあらうとは見られないからである。そのやうなあやのある言葉を邦語でカムヨゴト(神壽詞)と云ふ。神曲のコメデイアにそつくり當はまる言葉である。
 ダンテのカムヨゴトには、その至誠にかまけて神憑りがしてゐるところがある。そしてその言葉がほとほと神託の域に達してゐる。ダンテは明日の夢、理想の幻影のために私心をふくめる言葉を申さなかつた神人である。

 カムヨゴトなるかな――わたくしはかう獨語して、そして筆を擲つた。筆が卓の上で微かな音をたてる。わたくしの氣分も少しく輕くなつてくるやうである。
(昭和十三年十二月 書物展望社刊)
 
1 Ryou 2013-12-11 23:15:50 [URL]

 詩人のつとめは、それより外にあらうはずがない。詩はかくの如くにして、神と人とのつながりから、自然に巧まれてうちあげられたものである。上は出雲國造神壽詞から下は三河萬歳の言葉にいたるまで、それが詩の一貫した方式である。
 詩はカムヨゴトである。それ故に、慰めの言葉、をかしき言葉、乃至は狂言綺語であることが、詩の正道にはづれたものとは決しられない。またかく云ふことが詩を蔑むとも考へられない。
 ダンテはその一世一代の詩篇に標するにデイヴイナ・コメデイア(神聖喜曲)といふ題を置いた。これには傳承もあることであらうが、ダンテがこの曲を書いた意圖は、彼が言葉の最高の司祭者として、底知れぬ人生、即ち民族精神の綜合的現實世界の前にカムヨゴトを申したことより外には、これを尋ね難い。
 
1 Ryou 2013-12-11 23:15:25 [URL]

 詩は今日の正夢であつてよいのである。今日の境涯には不平、怨嗟は絶えず起る。さればといつて、それ等も今日の夢であつてこそ、それ等に相應する表現價値がある。然るにその不平怨嗟の境涯を以て、明日のために企劃された不逞なる成心による爭鬪意識の對象となすとき、詩の本質は曲解されなくてはならない。詩は詩の埒の外に逸脱しなくてはならない。それに比ぶれば、詩が今日の惡酒に醉ひ痴れてゐても、その方がいくらよいか判らない。
 人生はこれを慰めてゆくべきものと諦められる。人生が慰められゝば個人もまた同時に慰められる。詩人はその間に立ちて、犧牲をさゝげ讚め言葉をまをす媒介者である。神と人との隔りを繋ぎとめるカムナギである。更にまた神慮にかなはんがために、世にもめでたき振舞をするワザヲギの民のたぐひである。
 
1 Ryou 2013-12-11 23:15:06 [URL]

 爆彈のやうな詩を作るなら、眞に爆發するものであつて欲しい。それが若し不發に終るものならば、たとへ玩具にすぎぬとも、線香花火がまだ優つてゐる。その方が正直だからである。言葉を詩の爆彈に填充する火藥とすれば、その言葉の性質をも辨へず、調合をおろそかにすることは出來ないのであらう。それを怠つてゐたのでは、いくら擲つても爆發するはずがない。
 さて、詩は爆彈に代るものであらうか。わたくしは第一にそれを疑ふ。
 明日の夢を夢みて今日を破壞しようとするのは無謀でなくて何であらう。またその目的のために言葉を謬用することは、詩をも識らず、言葉にこもる民族精神にも徹せぬ所爲であらう。
 
1 Ryou 2013-12-11 23:14:48 [URL]

 ダンテの神曲のことが不圖思考の表に上つてくる。氣儘に比較するのではないが、神と人との繋りに心を留めてみたからである。そしてその繋りによつて始められた文化を、古語の中から、或は又現に忘れられつゝある民間語の中から、探り出して、その暗示によつてわれ等が祖先の世界の面影を再現し、その生活を記述批判することも亦詩でなくて何であらう。
 いづれにしても、言葉はその中にあつて淨瑠璃の役目をつとめるものである。それはアメノマヒトツノカミ、イシコリドメノミコトの精魂をこめて鑄た鏡よりも、更に曇りなく、更に不可思議なものである。言葉は民族的なものであるから、その闡明は民族精神によるところの批判であり、その批判はいかにも嚴しい。言葉は畢竟僞らぬものゝ隨一であらう。
 
1 Ryou 2013-12-11 23:14:22 [URL]

 諸君子のひそみに倣つて爆彈のやうな詩を書いて見ようと思はぬでもない。も少し穩かなところで、民衆詩あたりでも惡くはなからうと思はぬでもない。さうは思ふが、さてどうにもならない。
 格にはまつた詩も、格にはづれた詩も、いづれにしても、わたくしには今作れない。わたくしは言葉の探究に夢中になつてゐて、詩の作れぬわけをそれに託けてゐる。とは云へ、その探究は言葉を科學的に冷靜にぢりぢりと押へつけて行つて、その効果を擧げようと企てゝゐるやうなものではない。それにはまた別に人がある。
 わたくしは夢を見てゐるに過ぎない。ただこの機運に際し、多年言葉の修練を唱へてきた餘力を驅つて、言葉の奧に蟠る祕義に參してみたいと思ふばかりなのである。詩は作れないといつたが、こゝに別樣の意味に於て、なほ詩作はつづけられてゐる。さう思つて少しく慰めてみるのである。
 
Ads by Google
(c)Copyright mottoki.com 2007- All rights reserved.