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材大なれば用を為し難し

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夢のためにリスクを負って頑張っている人はすごい!1 Ryou 2014-02-02 02:42:24 Ryou
日本人のすべてが1 Ryou 2014-02-01 17:59:10 Ryou
私は、その「明るさ」を1 Ryou 2014-02-01 17:58:31 Ryou
ダンチェンコ1 Ryou 2014-02-01 17:58:09 Ryou
近代劇の古典1 Ryou 2014-02-01 17:57:50 Ryou
ヴェルレエヌも1 Ryou 2014-02-01 17:57:29 Ryou
一八〇四年頃は1 Ryou 2014-02-01 17:56:58 Ryou
ルナンも一時芝居に1 Ryou 2014-02-01 17:56:44 Ryou
乞食芸術である1 Ryou 2014-02-01 17:56:10 Ryou
かういふ標題で1 Ryou 2014-02-01 17:55:53 Ryou
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1 Ryou 2014-02-02 02:42:24 [URL]

芸能人の方を見ていると、みんなお金持ちで羨ましいという思いとともに、リスクを背負ってまでよくやってこれたなと感心します。特に芸人さんがそうですが、売れると確定されているわけでもないのに、そこに人生をかけることができるなんてすごいなと尊敬します。サラリーマンになったほうがよほどリスクも少ないのに、夢のためにそれを捨てて頑張るのです。ずっと不安定な生活のままかもしれませんし、その可能性のほうがはるかに高いと思います。それでもアルバイトをしながら芸人をやっているのです。私なら絶対に叶えたい夢があったとしても、安定を優先してしまうと思います。親に「将来どうするの?」と心配されるのも嫌ですし…。でも、自分の人生ですもんね。自分がそんなことできない分。コツコツ夢のために頑張っている人をほんとうに尊敬するとともに羨ましいです。
 
1 Ryou 2014-02-01 17:59:10 [URL]

 日本人のすべてが、いま無意識にもとめてゐるものがある。いろいろな方面にそれがある。例へば小説にしても、今までのどんなものよりも身近な、それでゐて、おほらかなものを、それとははつきり言へないけれども、みんな心のなかで探してゐるやうに思ふ。
 作家はむろんそれに気づいてゐる。しかし、書くといふことはひとつの習慣であるから、思ひきつて自分の殻を破らなければ、新しい方向に進むことはできない。準備はもうできてゐる。機会が与へられゝばいゝのである。
 たまたま、私が翼賛会文化部の仕事をしてゐる関係で、今度陣容を建て直した翼賛出版協会から「健全で面白い小説」の出版について企画の相談をうけた。
 私の頭には、すぐ数名の中堅作家の名が浮び、その才能、思想、気魄の点で、私の考へてゐる「日本人全体を対象とするやうな小説」の執筆の依頼をしたらといふ事が即座に決定したのである。
 
1 Ryou 2014-02-01 17:58:31 [URL]

 私は、その「明るさ」を、戯曲のジャンルや手法に帰すべきではなく、登場人物それぞれの性格のなかに、すなわち、この種の社会を形づくる人間群のタイプのなかに求めなければならぬように思つた。
 なるほど、彼等は「かつて人間であつた」ものたちとも呼ばれている一種の落伍者たちである。しかし、それにも拘わらず、作者は、彼等に、最後の「人間らしさ」を残し、その人間らしさは、スラブ民族特有の楽天主義と、信仰と矛盾しない「ニヒリズム」とに支えられて、おおらかな人生の歌を唱つているのである。
 なによりも、ゴーリキイ自身のロシア民衆的な本質が、この作品のなかで、分裂し、対立し、衝突し、渦巻き、乱舞しているすがたが、この上もなく私の興味をひく。
 ゴーリキイは、なるほど、虐げられたものの味方であり、正義の敵が、何者であり、社会のバチルスがどこにひそんでいるかも知つていたに違いない。しかし、そのことだけを大声に訴えるためにこの戯曲を書いたのではあるまい。
 彼は、何よりも、自分の経験と才能のすべてを賭けて、感動的な一つのドラマを創り出そうとしたのである。
 
1 Ryou 2014-02-01 17:58:09 [URL]

ダンチェンコを首脳とするこの劇団の名は欧州を風靡していたので、一演劇学生であつた私は、胸を躍らせて、この千載一遇の好機を捉え、シャンゼリゼェ劇場へ十日興行の殆ど毎夜を通いつめた。
 チェーホフの「桜の園」「ワーニャ伯父さん」ツルゲーニェフの「田舎の女」トルストイの「イワン皇帝」ゴーリキイの「どん底」等、目星しいレパートリーの数々を親しくこの眼で見、この耳で聴くことができた。
 私は予めそれらの戯曲の仏訳を読んで行つた。読んだ印象よりもずつと面白く、快い感動にひたることができ、なるほど、さすがはモスクワ芸術座だと思い、近代劇の一つの頂点はたしかにここにあるとさえ信じるに至つた。
 ほかのレパートリーはとにかく、ゴーリキイの「どん底」から受けた極めて特徴的な印象は、いろんな意味で人生の、最も惨めで「暗い」生活の断面を描きながら、この舞台には、なんともいえぬ明るさが、漂つていることであつた。
 
1 Ryou 2014-02-01 17:57:50 [URL]

 近代劇の古典といわれるゴーリキイの「どん底」を文学座がそのレパートリーのなかに入れたことは、そんなに驚くには当らない。
 しかし、私が演出を引受けるについては、自分でもその柄でないような気がしなくもなかつた。
 第一に、私はロシア文学について勉強が足りず、原作も原語で読めない弱味は、戯曲演出の場合はまず致命的といつていいからである。
 それにも拘わらず、私は、少々図々しく構えて、委員会の指名に従つた。やつぱりこの戯曲は、私の演出欲をそそつたものと見える。
 かねがね「翻訳劇」の演出というものには手を触れたくないと思つていた私も、この「どん底」だけは、ついに例外となつた。
 そこで、やる以上は、それだけの意味を考えなければならぬ。
 順序として、私がこの作品に興味をもちだした因縁と経路を話せば、そもそも最初にこの風変りな戯曲にぶつかつたのは、今から卅年前、たまたま世界巡業の旅にあつたモスクワ芸術座の舞台をパリで観た時である。
 当時既に、スタニスラフスキイ、
 
1 Ryou 2014-02-01 17:57:29 [URL]

 ヴェルレエヌも、リラダンも舞台では失敗である。ヴェルレエヌの韻文狂言「お互に」は、ポオル・フォオルの肝入りでゴオギャン後援のために催された慈善興行の上演目録に加へられた。それから「オオバン夫人」といふ戯曲の草稿が遺つてゐることも附け加へよう。
 リラダンの戯曲「新世界」は、一八七五年、亜米利加独立記念賞金を受けたことで有名になつた。アントワアヌが、自由劇場で「脱走」一幕を上演したことも記録に遺つてゐる。ゴンクウルの「教姉フィロメエヌ」と同時である。それから、「反逆」といふのはデュマ・フィスにデディケエトされた脚本で、これもデュマの骨折りで脚光を見た筈である。
 ルコント・ド・リイル、ヴェルハアレン、ロデンバッハ、サマンなど詩人たちの戯曲は、何れも一時的の評判をとつただけである。

 ロチイ、マルグリット、ジイド、ボルドオなどの小説家も戯曲を書いたが、これも余技の程度を出ない。
 詩人にして小説家アナトオル・フランスはブウルジェと共に自作の小説を脚色してゐるが、若い頃、「ピエロの化身」といふ韻文劇一幕を書いたことを世人は大方忘れてゐる。

 新しい時代の有名な作家中、タロオ兄弟、アンドレ・モオロア、ポオル・モオラン、モオリヤックなどは、揃ひも揃つて、芝居に仏頂面を向けてゐる。しかし、立てまじきは誓ひである。現に、近頃まで木石と見えたアルヌウが、そろそろこの道の味を解し出した。(一九二九・五)
 
1 Ryou 2014-02-01 17:56:58 [URL]

 一八〇四年頃はスタンダアルにとつて、芝居でなければ夜が明けぬ時代だつた。彼は、いろいろな脚本のプランを樹てた。悲劇二つ、浪漫劇一つ、オペラ一つ、喜劇数種、そのなかで、韻文の喜劇一つは書きかけて完成しなかつたが、標題を初め「ルテリエ家の人々」とし、次に「二人の男」と変へ、更に「果報」と改めた。彼は金のいる時代だつた。二十一歳の遊蕩児である。国立劇場に脚本を売り込む算段をしてゐたのである。彼は後年、その天職を他の形式に見出した。損はしてゐない筈だ。

 フロオベエルの劇文学侵入が、無残な結果を生んだことは周知の事実である。喜劇「候補者」、夢幻劇「心の城」は「ボバリイ夫人」の足もとにも及ばない。
 
1 Ryou 2014-02-01 17:56:44 [URL]

 ルナンも一時芝居に食指を動かしたことがある。一八八六年、ヴィクトオル・ユゴオの誕生日に、「千八百〇二年」と題する対話劇をコメディイ・フランセエズで上演させてゐる。
 これは、死者の対話であつて、死者とは即ち、コルネイユ、ラシイヌ、ボアロオ、ヴォルテエル、ディドロの面々である。
 それからまた、「哲学劇」数篇を物してゐるが、ルナン自ら、「上演の意図毛頭これなし」と云つてゐるにも拘はらず、ラ・デュウゼが、そのうちの一篇「ジュアアルの尼院長」を伊太利で舞台にかけた。
 アントワアヌも、自由劇場の上演目録中にこれを加へようと思つて、ルナンに許を乞ふた。ところが、ルナンの返事は「ユゴオの誕生日に一寸した思ひつきをやつてみたのだが、その経験によると、自分の書くやうな仏蘭西語は、どうも役者が覚えにくいらしいから」といふのであつた。でも、兎に角といふ話になると、ルナンは、アントワアヌに、それでは、主人公ジュリイの役を誰がやる。心当りがあるかと問ふた。アントワアヌは早速サラ・ベルナアルのところへ駈けつけた。そして、ラ・デュウゼが演つた役だと話すと、サラは傍らの侍女を顧みて、「お前、ラ・デュウゼつて女を知つてるかい」と尋ねたものである。侍女の答はかうであつた。「はい、存じをります。でも、いい加減なもんでございますよ」
 そこで、「ジュアアルの尼院長」は自由劇場の上演目録から消え失せた次第である。
 
1 Ryou 2014-02-01 17:56:10 [URL]

「乞食芸術である。誰彼となく手を差し出す――劇場主に、背景画家に、衣裳係に、俳優に……。そして、何れの時代に於ても、大衆の頭と同じ水準に自分をおくことにのみ汲々としてゐる。それは、大衆に支へられて生き、大衆に向つて呼びかけるものだからである」。彼はなほ云ふ。「人類の総ての愚劣さのなかにあつて、劇文学のみは最も結構な愚劣さなのだらうか」

 大作家と呼ばれる人々のうちで、芝居に手をつけない人は少い。ラマルチィヌ、ミシュレ、テエヌ、などは芝居に関係がないらしい。

 アミアンの図書館に保管されてあるボオドレエルの遺稿の中から、韻文劇「イデオルス或はマノエル」の草案が発見された。これは、プラロンといふ無名の協力者と合作をする筈だつたらしい。

 三年前に、エドガア・ポオの未完成のドラマが、出版された。モルガン図書館で発見されたものである。断片的な草稿であるが、ポオの劇作家的天分を知らしめるといふほどのものではない。
 
1 Ryou 2014-02-01 17:55:53 [URL]

 かういふ標題で、最近のヌウヴェル・リテレエルは、リュシアン・デカアヴの興味ある調査を掲げてゐる。別に結論らしい結論もないから、面白い「事実」だけを拾つてみる。

 モオリス・バレスは一八八四年、「墨痕」といふ文芸雑誌を出したが、その創刊号に次の如き宣言を書いた。
「この雑誌は文芸雑誌であるから、滅多に演劇に関する記事は載せないつもりだ」
 十年後、彼は、「議会の一日」といふ一幕物を書いてアントワアヌの自由劇場に持ち込んだ。ところで、この戯曲を単行本にして出す時、その序文で、彼は、再び戯曲に筆を染めるかどうかわからぬと告白し、ヴィニイが「舞台の芸術くらゐ狭い芸術はない。しかもあらゆる拘束を受けなければならぬ」と云つた言葉を引いて、それとなく芝居は苦手だといふ顔をして見せた。

 シャトオブリヤンには、「モイズ」といふ詩劇があるが、一度も上演されなかつた。

 バルベエ・ドオルヴィリイは、芝居に縁のない作家の一人であるが、戯曲のことをかう書いてゐる。
 
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