蘇える金狼(1979年)
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1 @kira 2013-02-08 22:00:00 [携帯]
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132 @kira 2013-02-26 10:10:24 [画像] [携帯]
ファックシーンK
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135 @kira 2013-02-26 10:19:11 [画像] [携帯]
『蘇える金狼』の女優たち@
真行寺君枝
■1959年9月24日生まれ
■東京都大田区出身
■身長 156cm 体重 43kg
■スリーサイズ B78cm W57cm H83cm
■血液型 AB型
■東京都立大崎高等学校卒業
1976年に資生堂秋のキャンペーン『ゆれる、まなざし』で本格デビュー。
以降、モデル・女優・アーティストとして、舞台・映画・テレビなどで活躍。
136 @kira 2013-02-26 10:25:59 [画像] [携帯]
『蘇える金狼』の女優たちA
風吹ジュン
■本名『堀川麗子』
■1952年5月12日生まれ。
富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)生まれ。高岡市と京都府で育つ。
■血液型 B型
1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ、1974年には歌手デビューする。
そして1975年に女優デビュー。
寺内貫太郎一家2(1975年)では寺内節子役で人気を博した。
冬の運動会(1977年)や岸辺のアルバム(1977年)にも篠崎雅江(哀愁)役で出演。
当初は年齢を公表せず、『不思議ちゃん』的イメージで活動していた。
1978年の『火の鳥』では尾美としのり演じる12歳・ナギのガールフレンド(オロ)を同年輩という設定で見事に演じて評価を高めた。
一転、翌年の『蘇える金狼』では永井京子役を妖艶に演じ、松田優作との濃厚なラブシーンも話題になった。
これは、アイドルを脱却する為のイメージチェンジだったと思われる。
この時期に年齢詐称が発覚し、芸能界を干されていた事による芸能活動の限界を感じていた事も原因だろう。
また『無能の人』では日本アカデミー賞優秀助演女優賞などを受賞。
その後の『青の時代』や『はみだし刑事情熱系』などの演技も高く評価された。
長年、大正製薬のCM(ナロンエース)に出演していたことでも知られる。
137 @kira 2013-02-26 11:10:27 [画像] [携帯]
『蘇える金狼』の男優たち@
小池朝雄
1931年3月18日 - 1985年3月23日
代表作のひとつである『刑事コロンボ』など、洋画・海外ドラマの吹き替えも数多く担当した。
アニメ『あしたのジョー』のエンディング・テーマ『ジョーの子守唄』では歌手を務めた。
東京都出身。
東京都立青山高等学校を経て、1950年に文学座付属演劇研究所に入所。
『崑崙山の人々』で初舞台を踏んだ。
1963年の文学座分裂の際には、芥川比呂志、神山繁らと行動を共にし、福田恆存が創立した現代演劇協会附属・劇団雲の創設に参画。
1975年の雲の分裂時には芥川らと離れ、福田が新たに結成した劇団昴に参加、中心俳優として活躍した。
異様なオーバーアクションの怪優として映画、テレビに脇役として数多く出演。
『仁義なき戦い』シリーズ(1973年〜1974年)を始めとする東映ヤクザ映画で印象を残すほか、勝新太郎にたいへん気に入られ、勝製作の映画、ドラマの常連でもあった。
また、石井輝男監督映画の常連でもあり、『徳川いれずみ師 責め地獄』(1969年)の悪のいれずみ師 辰蔵役など、常に怪しい役柄を熱演していた。
なお本人は、『よく考えてみると、ぼくのやりたいのは、全部、狂人なんだな』と語っていたという。
声優としても、洋画ではジーン・ハックマン、ピーター・フォークなどを持役とした。
特に『刑事コロンボ』は番組自体の大ヒットとともに、小池のアクの強い台詞回しも外国俳優の吹き替えとしては空前絶後ともいえる注目を集めた。
1985年3月23日、肺不全のため東京都中央区築地の国立がんセンターで死去。
54歳の若さだった。
ピーター・フォーク、ジーン・ハックマン等一部の役は石田太郎と受け継がれている。
松田優作とはドラマ『大都会PARTU』角川映画『蘇える金狼』で共演している。
138 @kira 2013-02-26 13:11:24 [画像] [携帯]
『蘇える金狼』の男優たちA
成田 三樹夫
1935年1月31日 - 1990年4月9日
山形県酒田市生まれ。
山形県立酒田東高等学校卒業。
岸洋子とは中学校から酒田東高を通じて同級生であった。
東京大学に入学するが、中退し帰郷。
その後、山形大学人文学部英文学科に入学するが中退している。
1959年、俳優座養成所に第12期生として入所。
同期には松山英太郎、山本圭、中村敦夫らがいる。
1963年の卒業後は永田雅一の知己を得て大映と専属契約を結び、1964年に『殺られる前に殺れ』で映画デビュー。
1965年の『座頭市地獄旅』出演以降は勝新太郎や市川雷蔵の敵役を主に務め、悪役イメージが定着した。
大映退社後は東映を中心に活躍。
『仁義なき戦い』シリーズなど実録ヤクザ映画の常連となってからも、そのニヒルで鋭い眼光とドスの利いた声を活かした鬼気迫る演技で、唯一無二の個性を持つ悪役俳優として圧倒的な存在感を発揮した。
悪役を得意とするが芸域は幅広く、映画『ある殺し屋』(1967年、大映)では市川雷蔵の弟分役で準主役を演じ、テレビドラマ『土曜日の虎』(1966年 TBS)では社会悪と闘う私立探偵的な企業コンサルタント『津村公』役で主役を務めた。
この他、大河ドラマ『徳川家康』(1983年 NHK)では今川義元役、ドラマ『探偵物語』(1979年 日本テレビ)ではコミカルな刑事役、映画『蘇える金狼』(1979年 角川映画)では権力者に媚びへつらう管理職役などを好演。
時に軽薄、人間的な弱さもあり、しかしどことなく憎めないキャラクターも数多く演じている。
特に映画『柳生一族の陰謀』(1978年 東映)では、公家でありながら剣豪という異色の敵役・『烏丸少将文麿』を、これまでの重厚な演技とは一転させ声色を変えるなどして飄々と怪演。
烏丸少将文麿は同年のテレビドラマ版でも演じ、当り役となった。
松田優作が『最高の悪役だと思う』と語ったことがあり、『探偵物語』には松田に請われて出演。
このドラマで成田が演じた『服部刑事』のキャラクターは現在でも多くのファンに愛されており、松田演じる私立探偵・工藤俊作への『工藤ちゃ〜ん』という呼びかけの声は彼の代名詞ともなった。
139 @kira 2013-02-26 13:12:57 [画像] [携帯]
成田三樹夫A
続いてのレギュラー出演作『サンキュー先生』(1980年 テレビ朝日)の教頭役でも、校長役の藤岡琢也と掛け合い漫才を演じるなど、1980年代からはコメディリリーフ的な役柄にも演技の幅を広げていた。
晩年はテレビのバラエティー番組にも出演していた。
『今夜は最高!』(日本テレビ系)にゲスト出演した際、司会のタモリらとのトークで『俺はもう生まれてこのかた、ずっと厄年だよ(笑)』『(テレビの前の妻に向けて)帰ったら、一発やるか?』等の発言をした。
1990年4月9日、胃癌のため東海大学医学部付属東京病院で死去。
55歳の若さだった。
亡くなる前年、成田は松田優作の葬儀に出席した際、インタビューで『人の命なんてものは、まったくあてになりませんな…』と、自らの死まで暗示させるようなコメントを残している。
その個性と演技力と迫力に魅せられた新しい世代のファンも多く、現在でも『ミッキー』の愛称で慕われている。
趣味は将棋と俳句で、没後に遺稿句集『鯨の目』が出版された。
140 @kira 2013-02-26 13:53:13 [画像] [携帯]
『蘇える金狼』の男優たちB
岩城滉一
■本名 岩城光一
■1951年3月21日生まれ
■東京都出身
■日本大学鶴ヶ丘高等学校・帝京大学経済学部卒
■血液型 A型
デビュー前は、舘ひろしとともに原宿・表参道を拠点にした硬派暴走族『クールス』を総括。
矢沢永吉がリーダーだったロックバンド『キャロル』の親衛隊として有名となった。
デビューは1975年製作『新幹線大爆破』だが本格的なデビューは同年の『爆発!暴走族』だった。
優作とは公私共に親交が深かった。
共演作も多く、初共演は1977年の角川映画『人間の証明』で岩城は優作に射殺される役だった。
『俺たちに墓はない』1978年
『探偵物語』1979年 日本テレビ
『野獣死すべし』1980年
でも共演している。
何本かの主演作もあり独特の嗄れた声が印象的だが滑舌が悪いのでセリフがよく聞き取れない。
本作でもその滑舌の悪さを遺憾なく発揮してコメディリリーフ的役割を絶妙にこなしている。
現在の彼しか知らない人には新鮮だろう。
余談として萩原健一主演『前略おふくろ様』第2シーズンの最終回に彼が新入りの板前役で出演している。
141 @kira 2013-02-26 13:55:04 [画像] [携帯]
『蘇える金狼』の男優たちC
加藤健一
■1949年10月31日生まれ
■静岡県磐田市出身
■加藤健一事務所主宰
青年座映画放送部所属
■文化庁芸術選奨文部大 臣新人賞(1989年)
第11回読売演劇大賞優 秀男優賞受賞(2004年)
文化庁芸術選奨文部科 学大臣賞(2004年)
紫綬褒章(2007年)受章
高校卒業後、半年間のサラリーマン生活を経て劇団俳優小劇場の養成所に入所。
その後、劇団新芸を結成しその上演を続けつつ、劇団つかこうへい事務所の作品に出演していた。
1980年に一人芝居『審判』を上演するため加藤健一事務所を設立。
以降現在に至るまで年間3、4本のペースで東京都世田谷区の本多劇場を中心に公演を行い主役を演じ続けている。
また、1986年には加藤健一事務所俳優教室を開設し、若手俳優の育成にも力を入れている。
映画やテレビドラマなどの映像作品については、舞台の稽古のためにスケジュールが合わないなどの理由から最近は少なくなっているが、ドラマ『想い出づくり』映画『椿姫』などへの出演経験がある。
加藤健一と言えば真っ先に思い浮かぶのは『舞台俳優』と言うイメージだ。
そのキャリアのほとんどが舞台で占められている。『蘇える金狼』出演の経緯は経済的理由か個人的理由かは不明だが、優作も『夢家』という劇団で活動していたから何らかの親交があったのかも知れない。
角川映画ではその後『麻雀放浪記』に出演している。
個人的には金曜ドラマ『金曜日の妻たちへ』の出演が印象に残っている。

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