野獣死すべし(1980年)
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1 @kira 2013-02-08 22:00:00 [携帯]

の画像を貼りましょう。
152 @kira 2013-02-25 12:19:05 [携帯]

シーン38
 
電車に乗っている伊達。
周りは帰宅途中のサラリーマンの群れ。近くで柏木が見張っている。
伊達はサラリーマンをドブネズミと称して軽蔑している描写がある。
本編ではカット。
 
シーン39
 
電車を降りる伊達。
改札に向かう階段でサラリーマンの群れにもまれ、気分が悪くなり吐く。
傍らで見守る柏木が群れに押されて伊達から離される。
元の場所に戻るが伊達の姿は既になくなっている。
 
本編ではカット。

153 @kira 2013-02-25 12:26:23 [画像] [携帯]

シーン40
劇場版の台詞
乃木『ヨッ!遅れて申し訳ない。会長が遅れて申し訳ない』
乃木『あのね、珍しい奴、連れて来たよ』
里中『お!お!伊達君じゃないか、おい。』
『入ってくれよ』
結城『おお!久しぶり!通信社、やめたんだってなあ』
伊達『ええ、まあ・・・』
結城『あ、やっぱりクビになったの?インドシナ内戦の時に、君が送ってきた写真は圧巻だったけどなあ』
平井『しかし、戦場ばかり駆り出されてるんじゃ、イヤんなるわな』
結城『ああ、たいへんだぁ』
東条『今、何やってるんだ?』
乃木『俺の出版社で翻訳、手伝ってもらってるんだ』
東条『なんだ、アルバイトかぁ。よかったら、うちの下請けでも世話しようか?学歴、経歴は申し分ないんだ、ねえ、広報課長ぐらいすぐなれるよ』
里中『伊達君、君は学生ん時は、図書館と名曲喫茶に入りびたりだったなあ』
乃木『そうそう、半年でさぁ、ニーチェを読みきってな、それでお前、チャンドラーやハメットまで読みちらかしてたんだぞ、こいつ』
結城『昔からほとんどクチきかなかったけど、あれだねぇ、変わンないねぇ』
乃木『今日は、俺が無理に誘ったんだよ』
東条『ああ、君はそう言えば射撃部だったなぁ・・・今でも鉄砲、撃ってんの?』
伊達『・・・ええ・・・たまに・・・』
東条『まあ、しかしアレだなあ、日本じゃウサギか鳥ぐらいしか撃てないだろ』
『ハイハイ、珍しく伊達君も揃ったことだし、じゃ、始めようか』
『じゃ、会長』
乃木『え〜、俺達も来年、いよいよ三十路だ。これが二十代最後の集まりになるだろう。さらば青春、』
『アデュー ラドレサ!』
乃木『おい、そろそろ外地、行くんだろ?』
平井『いやぁ〜、外務省も人材がダブっててな、中々お鉢が廻って来んよ』
結城『おい、東条、今度の外為法違反の騒ぎは、関係ないのか?』
東条『ああ、あれはなぁ、航空機部門だけだよ。俺の鉄鋼部は綺麗なもんだよ』
平井『おい、結城、お前ンとこの株、ひどいなぁ』
結城『来週は持ち直すと思うよ。今日の前引きも久しぶりにジリ高になってるし』
東条『気をつけなさい!』
真田『今のはお客さんの不注意じゃないスか?』
東条『なにぃ〜?!さっきから君のマナーはなってないじゃないか!何言ってンだよ!』
真田『まァ、そんなに興奮しないで下さいよ。私もね、来年30なんスよ。お宅らと同い年。大学は出てませんけどね』
真田『ま、70年代、シコシコやってきたよしみで、仲良くやりましょう』
東条『なんだぁ?!』
真田『なんだとは、なんだ!』
平井『『東条、ボーイなぞ、相手にするな』
乃木『ま、いいから座れよ』
東条『まったく、この店も質が落ちたもんだ!昔は学卒のれっきとしたボーイがいたもんだが!』
里中『三流の人間がだな、ハバをきかす時代よ。我々は黙して語らずさ』
真田『お客さん、言っていいことと悪いこと、あるよ』
東条『不愉快だなぁ!君はっ!!何だよそのいい方はっ!!』
東条『店長、呼べっ!!』
真田『どうも・・・すいませんでした』
乃木『東条、お前ちっとも変わらんな、しかし』
真田『 何、見てんだ?!お前っ!!』
真田『文句あんのか、ええ?』
東条『何なんだよ、君はぁっ!!』
真田『・・・ブタが・・・』
『おい、東条、しっかりしろ』
『おい、大丈夫か?』
『救急車、呼んだほうがいいんじゃないのか?おい』

154 @kira 2013-02-25 17:31:21 [画像] [携帯]

シーン40
 
レストランの個室。
東京大学経済学部同窓会とある。
乃木が遅れてやって来る。その後ろに伊達。
里中、結城、平井、東条が出迎える。
 
結城を岩城滉一、東条を阿藤海、里中を林ゆたか、平井を加藤大樹がそれぞれ演じている。
いずれも松田優作の映画やドラマでおなじみの面々だ。
 
しかし、東京大学OBにはとても見えない。
 
そして、なんといっても強烈なのは真田徹夫を演じる鹿賀丈史だ。
劇団四季を退団後、大河ドラマ『黄金の日日』『天皇の料理番』などに出演していたが『野獣死すべし』が映画デビューである。
その演技は初登場のレストランのシーンから観客の目を釘づけにする魅力を持っている。
頭髪をアフロにしての熱演はデビュー作とは思えないくらい鬼気迫る迫力に満ちている。
観ればわかるが真田はもうひとりの主役である。
伊達と真田は相棒であり、共犯関係であり、陰と陽であり、鏡に映った自分自身である。
東大出身の青年とレストランのボーイ。
境遇は違っても、現在の日本や自分自身に鬱屈した思いを抱き、怠惰な日常を貪っている。
それは、ふとしたきっかけで暴発する危険性を孕んでいる。

155 @kira 2013-02-25 17:43:07 [画像] [携帯]

鹿賀丈史は、劇団四季で『ジーザス・クライスト・スーパースター』『ウエスト・サイド物語』に出演後、退団するが一年間仕事がなかった。
劇団在籍中は、大河ドラマ『黄金の日日』や『三男三女婿一匹』に出演していたが映画は『野獣死すべし』が初めてだった。
未知の領域に臨むに当たって、舞台での経験は全く通用しないと思った彼は、『まぁ考えてもしょうがない』という思いで現場に入った。
そんな彼を、松田優作や監督が形に嵌めようとせず受け入れた。
松田優作が彼の内面から真田徹男を引き出し、彼も松田優作が創りたい世界を感じて演技した。
この映画の伊達と真田はいわば、漫才のボケとツッコミである。
伊達がボケて真田が突っ込む。それが終盤には真田もボケる。誰も突っ込まないという高度な事を既にやっている。松田優作が笑いに対する優れた感性も持っていた事が分かる作品だ。
レストランのボーイで真田が初登場するシーンでは、『お前の目はどうなってるんだ?』と言われる奴はどういう奴なんだという事を考えて現場に行ったという。
横須賀のドブ板横丁のバーで優作と二人で話をするシーンでは、優作の背中越しの鹿賀を長回しで撮影。監督の『カット!』の声がかかり、切り返しを撮るのかと思ったら、『ハイ、お疲れさま!』。
『アレ!?』と鹿賀丈史。
『これちょっと優作氏、何、背中だけじゃない?いいのかよ、おい?』と驚いたという。
撮影も終盤になった頃、松田優作が鹿賀丈史にこんな事を言った。
『おい鹿賀、俺なぁ、お前に負けたよ』
鹿賀が『えぇ!?何ですか?』と言ったら、優作が『お前の目、三角になってたもんな』と語ったらしい。
優作がどこまで本気だったかは分からないが、鹿賀は『それはすごい嬉しかった……本当に嬉しかった』と思った。
その後、松田優作が断った『麻雀放浪記』や刑事ドラマのボス役を鹿賀丈史が演じた事なども考えると、かつて松田優作が追いかけていた萩原健一との関係を連想させて奇妙な因縁を感じる。

156 @kira 2013-02-25 17:51:10 [携帯]

『野獣死すべし』の男優たち
 
風間杜夫
 
本名(または旧芸名) 住田知仁
1949年4月26日生まれ。
早稲田大学第二文学部演劇専修中退。
東京都世田谷区三軒茶屋出身。
 
父は新東宝で営業を担当していた。
1957年、8歳の時に児童劇団『東童』に入団。
翌年『東映児童演劇研修所』の一期生となる。
すぐに子役としての頭角をあらわし、マキノ雅弘、加藤泰監督など、日本映画史に名を残す名監督の東映作品に多数出演し、少年雑誌の表紙を飾るほどの売れっ子になる。
『小学校5年生の時には全く学校にも行けず、1年間京都の撮影所に通い詰めだったよ』と自身も語っている。
しかし、『俳優を一生の仕事にするなら、子役の仕事をやめた方がいい』との米倉斉加年の言葉に従って、1962年、13歳の時に劇団を退団し、その後子役としての仕事は減る。
早稲田大学第二文学部演劇専修入学(のち中退)し、演劇活動を始める。
1971年秋、通っていた劇団俳優小劇場の養成所で、養成所の幹部の間で内紛があったため費用を返金してもらう。
その金を元に22歳のときに劇団『表現劇場』を結成。
このときの仲間に、シティボーイズの3人(大竹まこと、きたろう、斉木しげる)がいたことは有名。
大竹、斉木とは一時同居生活も送っていた。
『風間杜夫』の芸名で銀幕デビューしたのは、1972年の日活ロマンポルノだった。
1974年、『勝海舟』でテレビドラマ初出演。
1976年、『娘たちの四季』(CX)で初のドラマレギュラーを得る。
その後は、映画『蒲田行進曲』やドラマ『スチュワーデス物語』などの人気作に続けて出演。
声優としても幅広く活躍し、12歳よりアニメ『安寿と厨子王丸』で声優をつとめ、近年ではドラマ『X-Files』(テレビ朝日放送分)のモルダー役などが知られている。
2002年11月には、ひとり芝居『カラオケマン』の北京公演。
2003年には、舞台での演技が評価され、文化庁芸術祭で大賞を受賞した。

157 @kira 2013-02-25 17:52:12 [画像] [携帯]

『野獣死すべし』の男優たち
 
岩城滉一
 
■本名 岩城光一
■1951年3月21日生まれ
■東京都出身
■日本大学鶴ヶ丘高等学校・帝京大学経済学部卒
■血液型 A型
 
デビュー前は、舘ひろしとともに原宿・表参道を拠点にした硬派暴走族『クールス』を総括。
矢沢永吉がリーダーだったロックバンド『キャロル』の親衛隊として有名となった。
 デビューは1975年製作『新幹線大爆破』だが本格的なデビューは同年の『爆発!暴走族』だった。
 
優作とは公私共に親交が深かった。
共演作も多く、初共演は1977年の角川映画『人間の証明』で岩城は優作に射殺される役だった。
『俺たちに墓はない』1978年
『探偵物語』1979年 日本テレビ
『野獣死すべし』1980年
でも共演している。

158 @kira 2013-02-25 18:00:43 [画像] [携帯]

『野獣死すべし』の男優たち
 
阿藤 快
 
1946年11月14日生まれ。
俳優・タレント。
旧芸名は『阿藤 「海」』、本名は『阿藤 「公一」』。
神奈川県小田原市出身。
有限会社さいど事務所所属。
 
中学時代は野球に熱中。
神奈川県立西湘高等学校に入学するが、高校に野球部がなかった為2年時に退学。
その後、野球部名門校の編入試験を受験するも不合格になり、西湘高校に復学した。
卒業後は、東京都立大学法学部第二部(夜間部)に入学。
学生時代は弁護士を志し司法試験の勉強に勤しむが、2年次にドイツ語の単位が足らず断念。
在学中に、劇団の俳優座養成所に加入したことをきっかけに役者を目指すようになった。
養成所に在籍し、東京都立大学卒業後の10年間は悪役専門で役者を続けた。
グルメ番組でのリポーター・旅番組での案内役もする。
また、出身地である小田原市が主催する小田原映画祭の実行委員を第1回(2005年)より務め、第2回(2007年)には実行委員長も務める。
 
血液型はA型。
座右の銘は『一日一生』。
長年煙草を吸っていたが、最近某通販の離煙パイプにより禁煙。
競馬が大好きなため、それが高じて競馬の関連書籍も執筆している。関西テレビのバラエティー番組『たかじん胸いっぱい』にゲスト出演した際、同局のアナウンサー馬場鉄志に数々のGIレースの実況を再現してもらい、感激していた。
テレビ番組や映画への出演のほか、『ぶらり途中下車の旅』の旅人役で出演していることでも知られている。
雑誌の取材にてインタビューした姓名判断士の助言により、『海』より『快』に改名。
女優の加藤あいと名前が似ていることから、『タモリ倶楽部』で『24人の加藤あい』に対して『24人の阿藤海』という企画が作られた際、この放送より阿藤『快』としての活動を開始した。
『なんだかなー』が口癖。
このフレーズは、険悪な現場を和ませるために言うようになったものである。
このように気さくな性格であるためか、『芸能界で最もいい人』との称号を受けることもある。

159 @kira 2013-02-25 18:02:40 [画像] [携帯]

『野獣死すべし』の男優たち
 
林ゆたか
 
本名 林温
1947年2月24日生まれ。
元バンドドラマー・元俳優。
長野県出身。
 
城西高校卒業後、グループサウンズ『ヴィレッジ・シンガーズ』の結成に参加。
ドラマーとして数々のヒット曲を世に送り出した。
グループ解散後は俳優に転向。
社会に屈折した若者から悪役まであらゆる役を演じた。
その間、奈美悦子と結婚・離婚し、1983年に引退した。
引退後は実業家に転進し、オールディーズライブハウス、ケントスを全国展開し成功させてきたが、2001年辺りからヴィレッジ・シンガーズのメンバーとして再び活動を再開している。
 
出演作品
映画
虹の中のレモン(1968年、松竹) ※ヴィレッジ・シンガーズでの出演
落葉とくちづけ(1969年、松竹) ※ヴィレッジ・シンガーズでの出演
喜劇 怪談旅行(1972年、松竹)
ゴジラ対メガロ(1973年、東宝)
バージンブルース(1974年、日活)
新幹線大爆破(1975年、東映)
さらば夏の光よ(1976年、松竹)
暴行切り裂きジャック(1976年、日活)
赤い花弁が濡れる(1977年、日活)
肉体の悪魔(1977年、日活)
霧の旗(1977年、東宝)
皮ジャン反抗族(1978年、東映)
病院坂の首縊りの家(1979年、東宝)
ホワイト・ラブ(1979年、東宝)
レイプ・ハンター 狙われた女(1980年、にっかつ)
団鬼六 白衣縄地獄(1980年、にっかつ)
野獣死すべし(1980年、東映)
幸福号出帆(1980年、東映)
子どものころ戦争があった(1981年、松竹)
汚れた英雄(1982年、東映)
エル・オー・ヴィ・愛・N・G(1983年、東宝)
化粧(1984年、松竹)
メトロポリス(2001年、東宝) ※声優での出演 etc.

160 @kira 2013-02-25 18:08:04 [画像] [携帯]

『野獣死すべし』の男優たち
 
加藤大樹
 
日本の俳優、元スタントマン。
本名 加藤寿
 
高倉英二に師事し若駒冒険グループに入団。
スーツアクターなどのスタントマンとして、特撮ヒーロー物を中心に活動。
『トリプルファイター』のケリー岩崎役で俳優としてもデビューを果たし、『スーパーロボット レッドバロン』では、レギュラーの隊員役に抜擢される。
スタントマン仕込みの高度なアクションと、長身で精悍なマスクから人気が出て、シリーズ続編の『スーパーロボット マッハバロン』にも隊員役で引き続きレギュラー出演した。
これらを機会に役者としても活躍するようになり、刑事ドラマ中心に出演した。
78年公開の映画『皮ジャン反抗族』から、芸名を本名の『加藤寿』から『加藤大樹』に改めた。
松田優作と共演する事が多く、『探偵物語』の最終回で松田演じる工藤俊作に地下道で復讐され殺害されるスローモーションシーンは印象深い。
『仮面ライダー』の主役オーディションを受けたが、合格に至らなかった。
講談社の『仮面ライダー大全集』(ISBN 4-06-178401-3)にはそのときの写真が掲載されている。
日本を活躍の舞台とした1981年香港製作のブルース・リー主演作『死亡の塔』に出演した。
しかしながら1981年当時既にブルース・リーは故人であり、本作では間接的に”世紀の闘神”ブルース・リーとの共演を果たした。
現在は芸能界を引退し、NPO法人森吉山ネイチャー協会理事長や、秋田県トライアスロン連合理事などを務めている。

161 @kira 2013-02-25 18:09:25 [画像] [携帯]

『野獣死すべし』の男優たち
 
鹿賀丈史
 
1950年10月12日生まれ。
本名 勝田薫且
石川県金沢市出身。
左利き。
所属事務所はホリプロ。
 
略歴
石川県立金沢二水高等学校卒業後、浜口庫之助事務所を経て1972年劇団四季に入団。
在団中より大河ドラマに出演。
1980年退団。
1983年、映画『疑惑』(松竹)により、1984年映画『麻雀放浪記』(角川・東映作品)により、1987年映画『キャバレー』(角川)により、日本アカデミー賞助演男優賞受賞。
1982年、エランドール賞新人賞受賞。
1998年、『レ・ミゼラブル』の初演以来舞台の中核として活躍してきた功績に対し菊田一夫演劇賞特別賞を、2005年には『ジキル&ハイド』『レ・ミゼラブル』の演技に対し菊田一夫演劇賞演劇大賞を受賞。
 
高校在学中は合唱部でテノール指揮者として活躍。
オペラ歌手を志して音楽大学の浪人中、友人に勧められ一緒にオーディションを受けたのが入団のきっかけとなった。
鹿賀丈史という芸名は、劇団四季代表の浅利慶太が名づけた。
劇団四季では児童向けミュージカルなどに出演した後に『ジーザス・クライスト スーパースター』のジーザス役で主役デビューし、注目を集める。
同劇団の顔・日下武史のシャイロックで話題を集めた『ヴェニスの商人』のバッサーニオなど軽妙な役柄もこなした。
劇団退団後の1987年、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン役とジャベール役を滝田栄とのダブルキャストでこなし、舞台役者としての地位を確たるものとする。



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