野獣死すべし(1980年)
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1 @kira 2013-02-08 22:00:00 [携帯]
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22 @kira 2013-02-20 22:50:09 [画像] [携帯]
パンフレットP
23 @kira 2013-02-20 22:52:02 [画像] [携帯]
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28 @kira 2013-02-20 22:58:12 [画像] [携帯]
パンフレット23
29 @kira 2013-02-22 16:40:27 [画像] [携帯]
『伊達邦彦‐魂の彷徨‐』ヤ
この作品の主人公伊達邦彦には肉体がない。
肉体が死んでいるのだ。
病んだ魂が肉体にこびりついている。つまり幽霊である。
伊達邦彦の呪縛された魂の解放プロセスを描いたのがこの映画なのだ。
優作は語る『伊達邦彦の肉体を棄てたかったんだよ』
松田優作は脚本家丸山昇一に『原作通りにはやらん』と語り、『何を仕出かすか分からない危ない男が街に潜んでいる話をやりたい』と話した。
企画から数カ月したあるパーティーで松田優作は丸山に
『伊達邦彦を捕まえたよ。ちょっと見てくれ』
と言った。
優作は何もせず、瞳の輝きだけが落ちて行き、首をゆっくりと回し振り向いた。
これがあの『野獣死すべし』の出発点である。
松田優作は自分のイメージから発展した安易な企画に満足しなかった。
優作がやりたかったのは本物の野獣だったのではないか。
我々は獣を暴力の権化として恐怖する!
しかしそれは獣が生きる為には当然の行為なのだ。
肉体を失った獣が決して癒される事はない。
そして獣は癒やしを求め次の獲物を獲る為に新たな行動を始める!
30 @kira 2013-02-22 17:01:21 [画像] [携帯]
『野獣死すべし』製作発表記者会見
1980年7月
東宝撮影所
『松田優作の演技メソッド』
俳優[松田優作]は『野獣死すべし』で何をしようとしたのか。
それは1973年に遡る。
優作はバーボンを携えてある男の家を訪ねる。
その男の名は原田芳雄。
優作が憧れていた俳優である。
面識はなかった。唯、憧れの俳優に会いたかった。
『太陽にほえろ!』への出演が決まった事を報告して同じ世界の住人となる事を伝えたかった。
優作が通された部屋で原田は映画のスタッフと麻雀をしていた。
優作は部屋の片隅に正座すると麻雀を打つ原田を眺めていた。
原田も優作も挨拶を交わしたっきり特に会話を交わす訳でもなくただ雑然と時間だけが流れた。
麻雀を打つ原田は時折、スタッフや脚本家と次回作の話を冗談混じりに話し、原田はそれに対し自分のアイディアを出した。
それは優作にとって新鮮な衝撃だった!
映画とはそれぞれがそれぞれの仕事をしているだけだと思っていたからだ。
優作は益々、原田に心酔していった。
昼に優作が訪問してどれだけの時間が経ったろう。
すでに外は暗くなっていた。
優作は一礼すると帰っていった。
ふと優作の居た隅に目を遣ると封を切ったバーボンの空き瓶が残されていた。
中は空だった。
優作が一人で全部飲んでしまっていたのだ。
そんな優作の事を原田は直感的に
『彼奴とは一生の付き合いになるな』
と確信した。
原田邸を出た優作は
『いいなあ。いつか俺もあの人みたいに自分の作りたい映画を作れるようになりたいなあ』
と感じながら家へと帰っていった。
31 @kira 2013-02-22 17:28:03 [画像] [携帯]
『野獣死すべし』製作発表記者会見
1980年7月
東宝撮影所
その『己の映画』を作る為の『共犯者』が監督村川透や撮影監督仙元誠一や脚本家丸山昇一だった。
憧れの人の真似をする様に最初は原田芳雄がしているからという理由だったのだろう。
デビュー当時から現場では演技は言うに及ばず、脚本 演出にまで自分の意見を出した。
しかしそれが聞き入れられる事は稀だった。
毎週放送されるドラマでは全てが流れ作業。
優作の意見を聞き入れていては作品が完成しない。
『そんな作り方でいいものなんか出来る筈がない』
優作は安易な現場に失望し役を降りた。
現場への不信感が募った。
しかし別の人生を演じられる映画の魅力に取り憑かれてからはそれが徐々に自分の血と肉になりのめり込んでいった。
そのきっかけが1977年の『大都会PARTU』だった!
TVドラマだったがスタッフは映画出身者だった。
優作はこの仕事に乗り気ではなかったが寛容な現場で優作の意見も取り入れ遊ばせてくれた。
優作にとって思いがけない収穫だったのが監督・村川透との出会いだった。
村川監督とはフィーリングが合い、撮影を楽しむようになった。
優作は次第にかつて埋もれさせていた夢を意識するようになる。
【アクション俳優として代表作となる映画を撮る】
村川監督となら、それが可能だと実感した。
優作が初めて信頼出来る【共犯者】と出会った瞬間だった。
『大都会PARTU』は優作が仕事に絶望せず、【共犯者】と出会う事によって、映画というステージに向かうステップとなった作品だった。

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