野獣死すべし(1980年)
[スレッド一覧] [返信投稿] [▼下に]
<<始n <前n 次n> 終n>>
page
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

1 @kira 2013-02-08 22:00:00 [携帯]

の画像を貼りましょう。
162 @kira 2013-02-25 18:14:32 [携帯]

シーン41
 
釈放される真田
本編ではカット。
 
シーン42
 
横須賀の雑踏をバッグを掲げた真田が歩いて来る。
正面からアメリカの水平二人と腕を組んだ売春婦が騒ぎながら通り過ぎる。
真田、振り返って遣り過ごした売春婦たちを睨む。
そして、バーの階段を上って行く。
 
このシーンの為に、水兵役で外国人エキストラを頼んだのだが、やって来たエキストラがどこが水兵なんだよ!ってくらいのメタボ外人だったらしい。
 
シーン43
 
簡素なインテリアの屋根裏部屋。
一人で酒を飲む真田。
聞こえてくるバーの喧騒に苛立って、壁に貼ってあるフラメンコダンサーの写真に煙草の火を押しつける。

163 @kira 2013-02-25 18:15:36 [画像] [携帯]

シーン44
劇場版の台詞
真田『お前、何やってんだよ。そこで何やってんだよっ?!』
真田『何しに来たんだよ、何しに来たんだよっ?!』
伊達『・・・・・・・・・・』
真田『あれだな、お宅・・・全然呑まないじゃない』
伊達『呑めないんです』
真田『ひゃっはっはっは!・・・・・・ほんと?』
伊達『・・・ええ・・・』
真田『ああ〜あ、珍しいね・・・・・・・ねえ、その眼、どうなってんの?その眼』
伊達『眼?!』
真田『心が死んでるよ、ソレ』
伊達『キミもそうですよね』
真田『ヒャッハッハッハ』
真田『女がよ、アメリカ行きたいっつーんだよね。ジャパニーズ・フラメンコっつってさ、アメリカでドサやろうっちゅーの・・・・・・急に言い出しちゃったよ・・・』
伊達『キミが、ギターをひいて・・・?・・・いい指してますね』
真田『フフ・・・・・わかんの?』
真田『でもよ!先立つもんがさ、コレしかないから・・・それであのレストランに行ったわけ。女込みでロスの支店、行かせてくれるってゆーから・・・ところがあのザマだよ・・・ナンボになってもカッとすると、わけわかんなくなんだよ』
真田『女さ、この店預かってんだよ。毎月赤字だけどな・・・』
伊達『さっきの・・・あの娘ですか?』
真田『・・・・・・今頃、ヤンキーの将校とドライブだよ・・・・・・徹夜のドライブ・・・・・・こんなこと、初めてだ・・・』
伊達『・・・・・・女に情を移すほど・・・マヌケに見えませんけど』
真田『・・・・・・女に情移す?!・・・・・・誰がよ・・・・・・ブッ殺してやるよ!!』

164 @kira 2013-02-25 18:22:15 [画像] [携帯]

シーン44
 
1階のバー。
階段を下りてきた真田がカウンターに座る。
虚脱したように酒を飲んでいる。
何気なく、振り向くとカウンターに伊達が座っている。
怒りが込み上げてきた真田は威嚇すると、伊達に近づく。
真田、さらに威嚇するように伊達の襟を掴む。
ゆっくりと振り向くと真田を見つめる伊達。
その眼は焦点が定まっていない。
真田、怒りが消えて襟を掴む手を放す。
カウンターに戻って、再び飲む。
 
バーでかかっている曲は『探偵物語』でも、よく使用されていたものだ。
 
ここで面白いのは、松田優作がほとんど顔を見せていない事。
終始、カメラに背を向けている。自意識が強い俳優なら『もっと俺を撮れよ』となるところだ。この時点で優作は伊達邦彦になりきっているから、俳優としての自意識を捨て去ってしまっているのだ。
 
そして、真田の座るカウンターの向こう側に立っているホステス沙羅を演じるのは実は女優ではない。
彼女こそ、松田優作主演『蘇える金狼』の主題歌を歌っていた前野曜子、その人である。
それが縁での出演だろう。
セリフは無く、自分で酒を注いで自分で飲んでいる。
アルコール依存症だった彼女自身を演じているかのような役柄である。
彼女は『探偵物語』第14話『復讐のメロディー』にもゲスト出演しています。

165 @kira 2013-02-25 18:23:23 [画像] [携帯]

シーン44
 
閉店後の店内。
カウンターからテーブルに移った伊達と真田が、向かい合って飲んでいる。
その横の通路を千鳥足の前野曜子が『I Feel Like A Motherless Child』を口づさんでいる。

166 @kira 2013-02-25 18:25:04 [画像] [携帯]

『蘇える金狼』の女優たち
 
前野曜子
 
1948年1月25日 - 1988年7月31日
本名 前野耀子
ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカル。
東京都中央区銀座生まれ(江戸川区生まれとの説もある)。
略歴
1965年、川村高等学校を2年で中退し宝塚音楽学校に進む。
1967年、宝塚歌劇団へ入団。
同期は54名で当時の芸名は『弓千晶』。
1968年宝塚歌劇団退団。
伝説のディスコ赤坂『MUGEN』でゴーゴーガールを務める。
宝塚時代に知り合った亀渕友香と『MUGEN』で再会し、リッキー&960ポンドに参加。
翌1969年、『ワッハッハ』がヒット。
この頃は『西丘有里』と名乗る。
1971年、リッキー&960ポンドと同じ事務所に所属するペドロ&カプリシャスにヴォーカルとして参加。
1972年に『別れの朝』が大ヒットし一躍人気・仕事の絶頂のさなかだった翌1973年、突然の脱退を発表して単身渡米もその後数ヶ月で帰国した。
当時のあるテレビ芸能ニュース番組では『米国留学の為』と放送された記録が残っているが、脱退については1972年11月頃発売分の『週刊女性』では前野が深酒に因る仕事上の失敗を繰り返していた上、恋仲となった米国人男性への出奔、早期の帰国については1973年10月頃発売分の『週刊朝日』で恋人との破局や米国生活の限界が重なったのが原因との記事が掲載されるなど、具体的な面に触れた報道はなかったがいずれもすっきりしない脱退劇と前野にとって残念な結末を辿った事が垣間見られた出来事であった。
 
1988年7月31日に肝臓病で死去。

167 @kira 2013-02-25 18:49:18 [画像] [携帯]

前野曜子出演シーン@
168 @kira 2013-02-25 18:50:30 [画像] [携帯]

前野曜子出演シーンA
169 @kira 2013-02-25 18:51:37 [画像] [携帯]

前野曜子出演シーンB
170 @kira 2013-02-25 18:55:22 [画像] [携帯]

前野曜子出演シーンC