蘇える金狼(1979年)
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1 @kira 2013-02-08 22:00:00 [携帯]

の画像を貼りましょう。
192 @kira 2013-02-26 20:16:49 [携帯]

シーン62
 
東亜経済研究所から出て来た朱美から桜井の女の情報を聞き出そうとする朝倉。
本編ではカット。
 
シーン63
 
シーン64

193 @kira 2013-02-26 20:17:51 [画像] [携帯]

シーン65
 
劇場版の台詞
朝倉『留守だったらしいねえ』
朱美『・・・・・・!!』
朝倉『うっ・・・』
朝倉『桜井は経済研究所の所員なんだろっ?えぇっ?』
朱美『知らないわ!』
朱美『ああ、そう・・・』
朱美『ああ!そうじゃないけど・・・・鈴本さんの・・・・甥!』
朝倉『フンフン・・・桜井が好きなんだねえ・・・あんなトロイの何処がいいんだよ。桜井にはアンタの他に女がいるだろ、え?』
朱美『し・・・知らないわ・・・』
 
シーン66
劇場版の台詞
朝倉『答えさせてやろうか?おい。ええ?誰だ、女!』
朱美『銀座のバーの・・・ホステス・・・!』
朝倉『名前は?!』
朱美『牧・・・牧雪子ぉ!』
朝倉『どこに住んでる?』
朱美『広尾の・・・公営マンション・・・』
朝倉『公営マンションか・・・ご苦労さん』
朱美『ああぁぁ・・・・』

194 @kira 2013-02-26 20:26:30 [携帯]

シーン67
 
雪子のマンションの前に立つ朝倉。
本編ではカット。
 
シーン68
 
シーン69
 
シーン70
 
朝倉が隣室のバルコニー伝いに雪子の部屋に乗り移る。
優作が危険なスタントも余裕でやっている。
配管に掴まりながら移動するうちに足を滑らせるというカットだが、便宜上撮っただけなのかあまり焦っている感じはない。
優作の芝居は気分が乗っている時とそうじゃない時の差が激しいのも特徴だ。
 
朝倉が雪子の部屋を覗くと、石井と相棒の田宮が雪子を拘束して桜井の帰りを待っていた。
脚本では雪子は、ほぼヌードに近い状態だが本編ではバスタオルを巻いている。シャワー中に襲われたのか。
石井の相棒、田宮も脚本ではよりサディスティックだ。
田宮を演じる高橋明は東映ヤクザ映画の悪役として多数の作品で活躍した。
優作の遺作『ブラック・レイン』にも出演していた。

195 @kira 2013-02-26 20:27:31 [画像] [携帯]

シーン71
劇場版の台詞
桜井『ああ〜、あああああああ〜、欲望の街〜』
石井『動かないのネ・・・』
石井『写真とテープ、どこ!!二千五百万!写真とテープ渡したら、くれてやる!』
桜井『約束は・・・五千万・・・だぞ・・・取り引き出来ませんよ・・・』
石井『高いっ!!カタワになりゃ、考えも変わるだろうに』
桜井『わかった・・・わかりました・・・出しますよ、ちょっと待って下さい・・・ちょっと待ってくれ・・・』
石井『うわぁ〜、ぐわぁ〜』
田宮『そいつを捨てろ!!捨てねえと、女の喉首掻ッ切るぞ!』
桜井『やってみろ、やってみろよ。その女が死のうが生きようが、俺には痛くも痒くもねんだよ。へへっ・・・やってみろ』
雪子『あなた・・・・助けて・・・・・』
桜井『助けて?俺を騙して、ここにおびき寄せておきながら、そんなことが言えた義理か!』
田宮『コノヤロウ!』
田宮『うぎゃー!』
田宮『うがぁ〜、うぎゃぁ〜』
石井『がまんネ!!』
桜井『失せろ!!』
桜井『雪子・・・雪子・・・・・』
雪子『ホントじゃないわね、ホントじゃないわね?』
桜井『馬鹿だな・・・当たり前じゃないかよ』
雪子『来てくれて良かった』
桜井『悪かったよ・・・心配かけて悪かった・・・』
桜井『愛してるよ、雪子・・・・』

196 @kira 2013-02-26 20:33:26 [画像] [携帯]

桜井が何も知らずに雪子の部屋に鼻歌を歌いながら入って来る。
この時、桜井が歌っているのはダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドの『欲望の街』。
角川映画『白昼の死角』の主題歌である。
これは同年に村川透が監督した作品で、千葉真一も出演している。
『蘇える金狼』は、こうしたお遊びが多い作品だ。

197 @kira 2013-02-26 20:35:23 [画像] [携帯]

『蘇える金狼』の男優たちK
 
佐藤慶
 
1928年12月21日 - 2010年5月2日
福島県会津若松市生まれ。
本名は『佐藤慶之助』。
 
佐藤家は先祖代々会津藩士で、戊辰戦争に敗れて漆器材料の卸商を営んでいた佐貫百合人『役者烈々 俳優座養成所の軌跡』、三一書房、1995年、149-150頁。
福島県立会津工業学校染織科卒業後、会津若松市役所戸籍係に勤務するかたわら、地元で結成した新劇愛好会で演劇に打ち込むが、会の発表会の日に無断欠勤をして役所を免職されたという『根っからの新劇人』ぶりが高じ上京。
俳優座養成所から俳優人生をスタートする。
俳優座養成所の第4期生の同期には仲代達矢、佐藤允、中谷一郎、宇津井健などがいる。
1955年以降、大島渚監督の一連の作品をはじめ、映画、舞台、テレビドラマで存在感のある悪役などを演じる。
その無機質な風貌を生かし、屈折した性格の悪役を得意とし、社会派作品から時代劇・ヤクザ映画まで、様々な作品で総合的性格俳優として活躍する。
1965年、『鬼婆』でパナマ映画祭主演男優賞。
1971年、『儀式』『日本の悪霊』でキネマ旬報主演男優賞を受賞。
1967年のテレビドラマ『白い巨塔』では、田宮二郎の野心的な雰囲気とは違った暗くねじれた個性を前面に出した財前五郎役を好演した。
1980年、紀伊國屋演劇賞受賞。
また、低く泰然とした声でのナレーションも人気があり、1970年代から1980年代にかけて日本テレビで放送された科学ドキュメンタリー『知られざる世界』のナレーターを担当した。
1981年には『白日夢』で武智鉄二監督の演出のもと愛染恭子と本番行為を行い、一躍話題になった。
晩年の代表作にはNHK連続テレビ小説『ほんまもん』、大河ドラマ『風林火山』がある。
かつては月刊誌『噂の真相』を愛読しており、創刊準備号から最終号まで1号も欠かさず読みつづけたという。
また、下積み時代の生計を支えてくれたガリ版への感謝を忘れず、有名になってからもガリ版用具を大切に保管していたという謙虚な一面も持ちあわせていて、後年山形市の山形謄写印刷資料館に愛用のガリ版用具並びに製作した印刷物が寄贈された。
 
2010年5月2日午後4時19分、肺炎のため都内の病院で死去。

198 @kira 2013-02-26 20:41:55 [画像] [携帯]

『蘇える金狼』の男優たちL
 
草薙幸二郎
 
1929年9月19日 - 2007年11月11日
東京市王子区(現・東京都北区)出身の俳優。
本名は『草薙 幸次郎』。
長男の草薙仁も俳優。
 
日本大学文学部哲学科中退。
劇団民藝在籍中の1953年に映画『夜明け前』でデビュー。
1956年には今井正監督の『真昼の暗黒』で主役に抜擢され、第1回製作者協会の新人賞を受賞して注目される。
その後は日活映画を中心に活動。
アクション系作品では凄腕の刺客や謎の中国人などを怪演し、特異な個性を持つ敵役として強烈な存在感を見せた。
映画産業の斜陽化後はテレビドラマにも活躍の場を拡大。
時代劇から現代劇まで、主にインテリ系の悪役を様々な作品で演じてきたが、近年では悪役以外の老け役にも演技の幅を広げていた。
2007年11月11日、間質性肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去。

199 @kira 2013-02-26 20:49:44 [携帯]

『蘇える金狼』の男優たちM
 
河合絃司
 
1918年10月4日
東京都出身。
旧芸名 河合弦司

200 @kira 2013-02-26 20:50:41 [画像] [携帯]

『蘇える金狼』の男優たちN
 
千葉 真一
 
1939年〈昭和14年〉1月22日生まれ。
 
英名 JJ Sonny Chiba
本名 前田禎穂
愛称 千葉ちゃん
日本を代表する映画スターの一人で、世界では『Sonny Chiba』の名で知られている。
定評のあるアクロバティックなアクションを生かし、映画・テレビドラマ・舞台・CMと半世紀にわたり幅広く活躍。
特技の器械体操・極真カラテ四段・少林寺拳法弐段や、スキー・乗馬・武道などあらゆるスポーツに精通し、アクションスターの元祖ともいえる存在である。
身長176cm、体重60kg、血液型O型。
ジャパンアクションクラブ(JAC)の元主宰。
アストライア所属。
 
福岡県福岡市博多区雑餉隈で、二男三女の長男(第二子)として生誕。

201 @kira 2013-02-26 20:52:34 [画像] [携帯]

『蘇える金狼』の男優たちO
 
岸田森
 
1939年10月17日 - 1982年12月28日
 
東京都杉並区阿佐ヶ谷にある河北総合病院にて誕生する。
5歳頃まで東京都中野区本町通りに住んでいた。
1944年
疎開先の箱根町立湯本小学校へ入学。
1947年
帰京し、千代田区の九段小学校へ転校する。
麹町中学校から海城高校を卒業。
この小学3年生のころから、蝶の収集を始める。
1958年
一浪後法政大学英文科へ入学するが、2年生の時に俳優の道を志し、中退したという。
1960年
文学座附属演劇研究所に研究生として入団。
研究発表会のような内輪の演劇ばかりで、年間収入が2〜3万円という暮らしが5〜6年続いた。
1964年
同期である女優・悠木千帆(後の樹木希林)と結婚する。
1965年
文学座座員に昇格。
1966年
年頭に退団。
悠木、村松克己らと劇団『六月劇場』を結成し、以降は主に映画・テレビに活躍の舞台を移す。
同年の『氷点』(NET)が本格的なテレビ初出演。
1968年
悠木(樹木)と離婚後、バーのマダムと再婚するが再び離婚。
その後は女優・三田和代と交際関係にあった。
『怪奇大作戦』(TBS)が、円谷プロとの初仕事となる。
この作品への出演が自身の芝居の一大転機になったと語り、以後『僕は円谷育ち』と公言している。
1971年
東宝映画『呪いの館 血を吸う眼』(山本迪夫監督)で吸血鬼を演じ、和製ドラキュラとの評価を得る。
1977年
『歌麿 夢と知りせば』(太陽社)に出演、脇役の多かった岸田としては唯一ともいえる大作映画主演であり、カンヌ映画祭でも上映され話題を集めた。
当作をはじめとして、円谷プロ以来のつきあいである実相寺昭雄監督とも名コンビを謳われた。
1982年12月28日午前4時59分、食道癌のため、43歳の若さで死去。
墓所は神奈川県鎌倉市にある鎌倉霊園。
 
血液型AB。
身長169センチ。
趣味は蝶の収集・採集、スコッチ・ウイスキー収集、油絵、ゴルフ、植草甚一の影響によりジャズ鑑賞。
特技は剣道(3段)、野球。



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